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【書き起こし】未発見の才能サミット:基調パネル:「INNOVA人材」の活躍がこれからの競争力になる

本記事は2021年9月29日開催の未発見の才能サミット、基調パネル:「INNOVA人材」の活躍がこれからの競争力になるのパネルディスカッションの文字起こしです。

< 登壇者(敬称略) >
株式会社デジタルハーツプラス 代表取締役 畑田 康二郎
ロート製薬CEO付兼未来社会デザイン室長 荒木 健史
内閣府 科学技術・イノベーション推進事務局 審議官 合田 哲雄
株式会社SPACE 代表取締役 福本 理恵

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■畑田氏
 株式会社デジタルハーツプラス 代表取締役の畑田康二郎です。本日はよろしくお願いします。

 本日は、イベント全体を通じて「仲間作り」というのが最大のコンセプトとなっておりまして、いろんな論点から、有識者といいますか登壇者の方にお願いしているんですけれども、実はこの特にその中でも基調パネルのコンセプトはですね、もうすでに仲間を集めてみました っていうコーナーでありまして、この僕がやろうとしているデジタルハーツプラスのこのINNOVAはですね、いろんな異端な人材を活躍させる拠点を作るっていうところについてですね 発信して行く上でどういうメンバー集めたらいいかなって考えたときに最初に顔が浮かんだ面々が実は今日揃っています。

 本当にお忙しい中、都合合わせていただいて、大変もう感謝感激なんですけれども、最初に、先ほどこのイベントの趣旨と言いますか、INNOVA初台のコンセプトのところはお話させていただいたので、パーソナルな話も含めて最初に私からお話しさせてください。

 元々、経済産業省で10数年間役人として働いておりまして、さらに遡るとその前は大学ではエネルギー変換科学を専攻していました。何も考えずに僕はもう研究者なるのかなと思っていたんですけど、一研究者として人生を終えるのは僕の飽きっぽい性格からして無理があるなと思いまして、むしろ研究者を増やしていくためにはってことで文部科学省に興味を持ったんですが、うろうろしている間に経済産業省というもっと面白いやつに捕まってしまいまして、日本経済をよくすることを一緒に考えようと言われてですね、気がついたら経産省にいました。

 その中で10年間僕がやってきたことを一言で表すなら、実現したい未来をより早く実装するための加速みたいなことをずっと取り組んでいたなという風に自分の役人人生を総括しています。

 産業構造をどう変革していくか、新規事業をどう創出していくか、ほっといてもそういうことは起きていくんですけれども、そこに政策介入し、いろんな装置作っていく、法律や制度を変えていくことでこうあって欲しい未来がもっと早くやってくるようにする取り組みを10年間ずっとやってたんですが、だんだんですね、私もこの性格からして自分でやりたいなという風になり、特に僕が一番取り組みたい社会課題が引きこもりや発達障害の方が居場所がないというのは本当にどうにかしなきゃといけない、待ってても多分誰もやらないので、僕がやるしかないってことでですね、3年前からやってきまして、サイバーセキュリティ人材の育成を一つの軸に、なかなか居場所が見つけられない、引きこもり歴がある、発達障害だっていう方を積極的に雇用して戦力にしていく、そういう取り組みをすごく頑張ってきました。

 実はその頑張ってきたことも、ずっとこのメンバーには今こういう風にやってますが大変です、とか話しながら進めてきたので戦友だと思っておりまして、ここの貴重パネルではそういったよくわかっている仲間で話を盛り上げていければなと考えております。

 その中でも、同じ時期に偶然うっかり経産省内に入り、まさに経産省内異端人材としてうろうろしていて、これまた偶然示し合わせたわけではないのですが全く同時期に卒業し、かたやデジタルハーツ、かたやロート製薬にいき、異端な取り組みをしている荒木さんに最初バトンを渡し、話を膨らませてもらえればなと思います。

■荒木氏
 ありがとうございます。もうパーソナルな部分も含めてご紹介いただいたので、だいぶ話しやすくなりました。

 最後に触れていただいた通り、畑田さんとは経産省で同期でかつ本当に同時期に、地球から離れた宇宙関係の部局にいたんですが、その後一瞬違うところに行きつつも、本当に7月のタイミングで同時期に、事前のすり合わせも全くなかったんですが辞めたというのがあって、その後はやめたからそれっきりではなく、経産省でグレーターミーティングみたいなのがあり、野に放たれても引き続き公の性格を帯るというのが一部あると思っていまして、もはや彼とは盟友ということで僕は有り難いなと思っています。

 デジタルハーツさん全体としては、今e-Sportsの関係で産業振興を中心にやらさせていただきつつ、一部教育を軸に協業という形を取らさせていただいております。

 いくつか記事にもお書きいただいたメディアもございましたが、大阪市の公立中学校で、デジタルハーツさんの所属のみぃみさんというプロゲーマーの方にもご登壇・ご登場いただいて、いわゆる公立中の総合の時間を活用してe-Sportsの授業を実施、伴走させていただいた経緯が一つございます。

 そこでの大きな気づきの一つとしては、生徒自らがゲームに対してどういう認識を持っているのかなという点を4ヶ月ほど話をさせていただいたところ、生徒自らが「ゲームは本当に悪なのかな?」「これって元々教育のツールなんじゃないのかな?」といった疑問を持ち始め、結局e-Sportsの大会に閉じずに、最後は研究発表という構成で実証したのが、実は今年の2月末です。

 その結果、先生たちからの受け売りの一つですが、語弊を恐れずにいうと、これまで地味だった子がすごいプレーアップされたりとか、いきなり司会やり始めたとか、輝く生徒が変わったなどコメントもいただいたりしました。

 あとは研究発表の内容もすごい秀逸だと思ったのは、「なんでも使い方を誤れば悪になってしまう」というものが、極めて印象的だったなと思っています。

 ゲームについても、良い面が認識されないのはなんでだろうという点では、トラブルなど悪い面がわかりやすく認識されやすい。他方で、いわゆる良い面が、今回非認知スキルをテーマにしていた部分もありますが、そういうところにあるのではないかと結論づけていたのが、すごい印象的だったと思います。

 そして、ここは後半の合田さんに繋がるのかもしれませんけど、昨今のOECDで提唱されているような生徒エージェンシーのような、自分で自ら何かを発見をして探求する、追求するみたいな姿勢っていうのが、実はこのe-Sportsの授業の中でも極めて具現化できてきているのが、僕自身良い意味で痛感をした場面でもありました。

 そのe-Sportsをきっかけにしながら、今後海洋生物環境ですとか、ちょうどお話を別途いただいた演劇においても何かしらの非認知スキルと繋がる部分がありそうで、そういう様々な分野で、かつ子供達がなりたい職業ランキングに近い、という領域とうまく紐付けながら、いわゆる教育と今回の雇用・就労の出口部分が重要かなと思って、一気通関にできるといいのかなと、強く思っています。

 そういった経験をなぜかロートで得ながらですね、本日の11時にリリースをさせていただいたんですけれども、10月1日付ですが、「ロートこどもみらい財団」を設立をさせていただくことになりました。

 ホームページの一部になるかなとは思うんですが、投影というかまだホームページが10月1日にオープンになるので、すべからくをお見せすることが難しくございますので、イメージとして、こういうイメージを作っていただいたこともあって、やっています。

 コンセプトは三つほど傾げていて、一つはやっぱり「個性の尊重」というところと、あとはロート製薬は「目」という印象もありますが、他方で「目」という生物的な話と、見極める力と言うのを持っているところを考えると、その「見極める力」を育むという点と、やはりコロナという全然何もかもわからないこの不透明極まる未来社会をどう生きるかという観点の「レジデンシー」というのが大事かなと、この3つを軸にコンセプトデザインをしています。

 ロート製薬に標語がありまして、「難しいからこそチャレンジする」ないし、「社会的健康というのを実現する」そういったキーワードにしているものですから、それらを紐解きながらデザイニングをしたと言うのが背景になっています。

 先ほどのOECDに絡めると、ラーニングコンパスで社会的ウェルビーイングみたいなものを提唱されておりますので、そのような点どもリンケージ、リンク張っていけるかなと思っています。

 内容的には、このあと福本さんからお話いただけるかもしれませんが、いろんな環境下で個性を出しきれていない子がいるな、というのをこれまですごく感じています。

 そういった、すでにもし何かやりたいことがあれば、そういう子に対するいわゆる助成やメンターとの出会いというのを提供させていただき、なんか俺やりたいことがあるんだよな、みたいな子に対しては、プログラム、例えば自然教育などのプログラムを提供させていただいたり、あとはコアとしては横の学び、同じ境遇の子供達が集まるコミュニティーづくりが大切になってくるのかなと思っています。

 このあたりもWHOが提唱するようなウェルビーイングで言うと、身体的な所に限らず、精神的なところ、社会的なところのウェルビーイングというところにあと時間あるかわかりませんけど、極めてプライベートな話で申し上げると、自分の子供を見ていると学校自体にも純粋な指導要諦というよりかは、保育という心が必要なのかなと常々思っています。

 そういった自分ごととの関係で考えて、かつこの財団の代表を担うに至って、自分のスキルセットに足りないものとして感じ、昨今保育士になりました。その保育士と面も生かしながら今後、運営をしたいと思っていますし、まさに財団の設立に至っては、今おられる福本さんから多大なご尽力、サポートをいただき、ロケットでご経験された内容もふんだんに盛り込ませていただきました。改めて御礼を申し上げつつ、内容面については引き続き今後もご相談をさせていただけることを、とてもありがたく思っております。

 少し時間超過しておりますが、ここで福本さんにバトンタッチをさせていただいてもよろしいでしょうか。

■福本氏
 はい、ありがとうございます。バトンを受け取らせていただきます。
今日無事に、荒木さんとご一緒している「ロートこどもみらい財団」も立ち上がったんですが、私自身は株式会社SPACEというという教育ベンチャーを昨年の夏に立ち上げました。SPACE自体は好奇心と情熱で作動していく、究極に自分らしさを追求する学びと仕事をどうやって作れるか、そこに切り込んでいける、そんな会社を目指して活動しています。

 スペースって宇宙って意味もあると思うんですが、そのスペースを産んだロケットというのがありまして、ロケットの子ども達っていうのがですね、 私の人生にこう好奇心と情熱を取り戻させてくれたような子供達だったんですね。

 異才発掘プロジェクト ROCKET

これは2014年に日本財団さんが初めて資金提供してくださって、東大先端研で始まった不登校向けの教育プロジェクトだったんですけれども、とにかく不登校の子供達の中にユニークな子供達が眠っていると、そういう子達がなんか自分でドローンを組み立てたり、自分でなんか投資を始めたり、なんか大人でもやらないようなことをやっているぞ、というところに着目して財団さんが投資をしてくださった形で立ち上がったのがこちらです。

 ここにきてた子供達、本当に凸凹なるユニークな子供たち、そして本当に愛着を持てるですね、生きにくそうな子供達が集まってきてまして、時に繊細で感受性が強すぎると言いますか、いろんな感覚過敏も含めて繊細であり、なおかつだからこそ必死に生きている躍動感のある、そして大きな揺らぎですね、揺らぎあって、とにかく人間っぽい、生っぽいような子供達が集まっていたなという印象があります。

 その中には例えばこういうキノコですね。ずっと研究しながら、きのこ研究してたと思ったらドラマを自分で一人で全部作り上げてしまうとか、音楽も全部作っちゃうというようなそんな才能の発揮の仕方をしている子もいれば、写真をずっと撮りながら、自分の見ているフィルターの世界を私たちに見せてくれて、それ自体を仕事にしたいと言ってですね、大好きな鯉のぼりっていうものを立ち上げていく、鯉のぼりブランドを立ち上げていくっていうようなことをしている子もいましたし、あとは北斎に小学校の時に見せられて、渋いなと思うんですけども、小学校の時に魅せられてそのまま彫師の道に行くっていうことで弟子入りをしてしまった今はもう高校生になった子もいますし、読み書きの書きの部分が自分の名前さえも書けないんだけれども、こんなに緻密な絵が描けてしまうっていう、描(えが)くっていうことと文字を書くっていうことが実は私たちの中では違うんだっていうことを教えてくれた子供達がいたりですね。

 あとは引きこもってずっと爆破映像ばかり作り続けて大丈夫なのかなっていう、なんかこう危ないことに繋がらないかなって思いつつ見守ってたところ、実際にそのスキルが大人の人以上に伸びてしまい、初の仕事がGUのプロモーションムービーの製作に繋がり、今は音楽家のミュージックムービーを作ったり、あとNSTで投資90万ぐらい描けて自分のアートを売るっていうのを、そんなチャレンジしてる子がいました。

 彼らは本当に、認知や性格の偏りですね、あとはこだわったら強くて強くて譲らないっていうこととか、集中しまくるっていうそういうことで、学校の中にやっぱり入っていけなかったんですよね。

 だから私たちはとにかく興味を持てるもの、そして日本全国をフィールドにし、また、時には世界に出て行く形で学びの場を広げていく生き方と学び方をチャレンジできる、そういう場を提供してきたかなと思います。

 ユニークな子供達が育つっていうのはやっぱり枠を外したところの自由な環境、そして既存の評価ではなくて新しい評価と言いますか、自分が軸になってく評価を子供達がちゃんとトライアルの中で自分の事を見つめ直していくようなそんな評価が必要なんじゃないかなと思ってます。

 学校の枠は外して、教科書なし、そして時間制限もなし5年間ずっとやったプロジェクトもありますし、目的さえなくっていきなりインドに連れていかれてしまうっていう旅なんかの、でレジリエンスを上げていくっていうことをしたんですけれども、軸をこうずらしていく、当たり前の社会だと軸を固めていってきちんと守っていくことを決めていくだと思うんですけど、ロケットは逆に軸をぶらしながら既存の価値観を問うっていう人生の哲学を自分たちで作っていくということをやっていたのかなと思います。

 そのなかで好奇心と情熱のままに自分らしい道を見つける。その人生のトライアルができるような場がやっぱり日本にもたくさんあってほしいなということでスペースを立ち上げたんですよね。

 今スペースでやっていることは異才から多才っていう、異才じゃなくてもいいんじゃない、個人個人一人一人違うっていうものをちゃんと見える化していくことでその子にあった環境っていうのがマッチングできるんじゃないかっていうことで、多様な環境、学習環境とマッチングをしたり、あとはこういう面白いプログラムをですね開発して、オンラインとオフライン含めてですね、地域が交流しながらながら子供達もいろんな人たちと交流して学び方と生きたかを学べるというそういう場所を作っています。

 一昨日、これもローンチしたんですけど、鎌倉市さんと一緒に不登校を、不登校傾向にある子供たちに新しい学びをロケットのような学びを提供するっていうのが自治体でも始まります。

 こういう形になってくると選ばれた子供たちということではなく、全ての子供達が自分の才能ってどこにあるんだろう、逆に苦手なことってどうやって避けたらいいんだろうっていうことをトライアルできる場が日本中に広がってくんじゃないかなと思っています。

 最後にすみません、未発見の未発掘の才能を見出すために私が思ってるところはやっぱり発掘の旗を立てる、今日畑田さんが発掘の旗を立ててくれて、こういうトピックスをやるから集まってくれって言う、これってやっぱキュレーターの役割だなと思っていて、そこにトピックスがたたないと、そういう事が始まってるとか、そういうものを求めてる人がいるんだってことに気づかないんですよね。

 それが立つことによってラベルがなかった才能にこうフォーカスが上がっていくということがまずあるんじゃないかなと思います。その次にやっぱり個才とその多様な環境が本当に合ってるのかどうかいうことマッチして見極めていくこの“マッチンガー”というマッチングをやり続ける、マッチンガーみたいな人たちが必要なんじゃないかなと。最後にその才能、本当に多様な才能ですね、そういうものを生業に変換していくようなプロデューサーっていうものがいた時に初めてその子達は自信を持って社会の中で活躍できる人材に変わってくのかなという風に思います。すみません長く喋りすぎました。

■畑田氏
 ありがとうございます。もう結論出ちゃった。もうあの本当に、福本さんがロケットやってる時代からの付き合いですので、どれだけの数の異才たちと向き合ってきたかというのをすごく蓄積を感じる良いプレゼンテーションでした。ありがとうございました。

 僕ら3人異才発掘集団がですね、いろんな地を這ってやっている活動を内閣府でイノベーションを考えられている合田さんに届けるというのが今日このパネルの最大の目的だったので、ここまでの話を踏まえて、ぜひ合田さんの取り組みなども紹介していただきながらお話をしていただけると有り難いです。

■合田氏
 はい、ありがとうございます。内閣府の合田です。内閣府に今いますが、元々は文部科学省に務めておりまして、2008年それから2017年の学習指導要領の改訂などを担当してました。私は92年に旧文部省に入ったのですが、当時は正直に白状しますと、やっぱり政府、中央政府、地方政府は公教育に全部責任をおうんだという風に思っていました。ガバメントソリューションで全部できると、教育っていうのは市場に任しちゃだめだと、マーケットソリューションではダメで、ガバメントソリューションじゃなきゃいけないという風にむしろ思っていました。

 指導要領もそういうつもりで、責任感ある意味で責任感を持ってやってきたんですけども、私は今日参加なさっているお三方それぞれですね、お話を聞いてすごい衝撃を受けました。

 まず、畑田さんがデジタルハーツでおやりになっていることの中で、畑田さんに言われたのは、まず畑田さんも荒木さんも霞ヶ関、かつての霞ヶ関仲間ですから、ゲームのデバックとか、エシカルハッカーというのは霞ヶ関にいるこの受験体制の勝者には絶対に出来ませんと、短期間でまんべんなく点数を取る、プライオリティをパッと決めて判断して組み立てていくっていうことのそういう、そのプログラミングをしている人間には、でゲームのデバックやそれからそのエシカルハッカーという仕事はできませんと、アンテナ高くちょっとした変化だとか人には見分けられないような変化を見つけることができる人じゃないとできませんと、霞ヶ関の人間は絶対できませんと言われました。

 これはものすごく大きな衝撃でした。それから福本さんからはですね、要するにその学校に通学して学んでいる子、それからどうしても学校に行きたいと思ってるけども行けない子、それから自覚的に自分は学校に行かないと思っている子、その子供達の認知の特性を調べてみると明らかに傾向の違いがあるという風に教えていただきました。

 それから荒木さんからはですね、この間先ほどはお話がありましたけれども、e-Sportsの関係でやっぱり、e-Sportsを通じて見てその子供たちが、何と言うんでしょうかね。

自己肯定感を回復させたかと、ゲームばっかりやってっていうのじゃなくて、ゲームを通じて人と繋がっていて、しかもいつも教室では目立たない子供がこんなに生き生きと司会をやったりしているというのを見て、まず先生がびっくりしたという話を聞きました。これらに共通してるのは、結局その学校、日本の学校教育制度の近代学校教育制度150年間経っているわけですけれども、

要するに紙の教科書、活字というものを先生の授業を聞いて理解をして、自分でノートを取って整理をして、それをそのペーパーテストでアウトプットする。しかも先生が採点しやすい、マルバツで採点しやすいことが聞かれるなということを戦略的に理解して、それを先取りしていくという人の能力が評価されていたシステムだったんだなということを極めて痛感したわけで。

 私にとっては自分の人生はなんだったんだぐらいに根本から覆されるようなことではあったんですけれども、ただ要するに、そのこと自体がやっぱり私はこれからの学校教育の在り方を考えていかなければいけない重要なポイントだと思っています。

 これまで日本の学校教育がこういう風にやってきたのはですね、決して先生方がそうやりたいと思ってきた訳ではなく、大変失礼な言い方をすれば、元経産省のお二人を前に教育を解くのは恐縮ですけれども、むしろその社会とか企業がですね、工業化社会の中でゴールを見つけなくていいから、与えられたゴールを効率的に達成できる人間が欲しいと、そういうホワイトカラーが欲しいと、そういう工場で働く人材が欲しいという話で、そうなってきたんです。

 しかし本来はですね、その日本の学校教育というのは、やはり子ども達の一人一人の認知の特性や関心を踏まえ、それを伸ばしていきたい、それからその対話とか協同を通じて、意見は違うけれども納得感を形成して前へ進んでいきたいということを大事にしてきたので、私としてはその事に立ち返ってですね、日本の教育の可能性を引き出してみたい。

 そのためには、先ほど申し上げた通り特定の能力、素早く正確に解く力だけを重視する学校教育の、成功してしまったが故の慣性みたいなものをどう乗り越えていくのか、それからやはり学校種や学年や学級、教科というこの縦割りの構造をどうしていくのかという点。

 その他先ほど話があったように、非常にアンテナの高い子供、じっとしていられない子や友達と仲良くできない子など、辛い思いをしなきゃいけないようなこういうバイアスをどうしていくのかと、これを乗り越えなくてはいけないなという風に思ってまして、

 実は私が今内閣府にいるのは、もうはっきり申し上げて、ご案内の通り、あらゆる社会的な課題について、ひとつの省で解決できることは何一つなくなっています。

 それは多分、同じことは一つの学校とか一つの教科で解決できることはもう無くなっているということと同じだと思っているんですが、内閣府っていうのはありがたいことに声をかければ、関係者が「がっ」と集まって「がっ」とソリューションを出すということができる役所です。


 私は年末、年度末に向けて、今申し上げたことをするために、日本の学校教育の中におけるリソースと時間、それから人材、財源、これの再配置が必要だという風に思っています。

 例えば時間っていうのは難しいように聞こえるかもしれませんけど、教育課程、朝8時半に出て来て、4時半まで6コマありますと。45分の授業をみんな同じように聞きますという時間の使い方で本当にいいんですか、と。

 場所もですね、あの空間の中に全員いなきゃいけないんですか。今は一人一台の情報端末を配られた時に、情報端末をひとつのツールにしながらも、そこは学び方について時間軸も空間軸も多様化するんじゃないですかと。ただ、その場合にはやっぱり先ほど申し上げたように先生方が採点しやすいことだけではなくて、まさにロケットなんかでおやりになった探究活動の成果っていうのをきちんと評価をするっていうことが、これを問われているのが大人です。大人がそれをちゃんと理解して評価しなきゃいけない、大人が問われているところですね。

 あるいはギフテッドの子供をどうしていくのか、オルタナティブスクールをどのようにしていくのか、というような話ですとか、それからやはり今の学校が、教育学部を出て18歳で先生になろうと思い、22歳で先生になり、60歳まで勤め上げるという人生モデルが中心にできているので、これをいかに免許制度を変えることによって多様化していくかという点もあります。

 それから公立の小中学校には年間10兆円という、かなり大きなお金が国と地方で流れているんですけれども、これら全て紙ベースで構築されていて、かつ、あの授業モデルが前提になっていますので、それをやっぱりどうアロケートしていくかということを、これは省を超えて取り組む必要があります。これは明日すぐ授業が変わるとは私も思いません。

 ただやっぱり、デジタル庁もでき、デジタルコンテンツプラットフォームもできる時代に、やはり5年とかを見据えながら、それに向けてどう変えていくのかということを府省横断でやっていきたいと思っています。

 教育行政の観点で言えば、5年後っていうのはちょうど次の改訂が行われている年なので、次の改定こそは、学ぶということについて時間軸も空間軸も多様化しているということを前提に組み立てていくことができるようにしたい。

 ですが、そのことをどう生かすかっていうのは、今日お話を頂いお三方の取り組みとか実践とかっていうのを織り合わせていかなきゃいけないという風に思っておりますのでぜひこれからもご指導頂きたいと思っております。長くなりました、ありがとうございます。

■畑田氏
 本当に、本丸の霞ヶ関の中の変革が一番大事だと思っておりますので、ぜひ合田さんには僕らの仲間として、スパイ活動を頑張っていただければと思っていますけれども、まさに先ほど合田さんからおっしゃっていただいた、ここからもう自由に、みんなどんどん異種格闘技戦で入ってもらえたらと思います。

 合田さんにお話いただいたように、元々は供給力が不足している中で均質な人材をどうやって産業界に輩出していくかという理論と言いますか、朝起きれないやつはとにかく頑張って朝早く起きろ、同じ時間に、同じネジしめて、同じ椅子作っていく、安全なその品質の高い椅子を安く大量生産する、みたいなミッションだったのが、90年代くらいからだんだん変化してきて、供給過多になって需要がない時のように、このすごい人が作った、世界に一個しかない椅子のようなものにとんでもない値段がつくみたいな変化が起きていると思います。

 そうなると、もはや皆が同じことやってるみたいなことでは全く勝負にならなくて、どうやってユニークさを出していけるかとなってるのに、いまだに教育は昔のシステムのまま、産業界もそこまでアップデートできている訳でもなく、本来活躍するべき才能が埋もれてしまっているということがあるんだと思うんですね。

 そうは言っても希望は多分たくさんあって、イノベーティブな人の数っていうのは多分減っていないので、もうまさに福本さんがロケット時代からずっとやられているような、めちゃくちゃ動画作るのが上手い人とか、偏愛っていうんですかね、誰から言われたわけでもないのにそれを探求し続けるみたいなものって、多分失われてないはずなので、あとは本当にどうやって旗立て、みんなでマッチングしてプロデュースしていくのかみたいなところを地道にやっていけば、僕は全然希望があるのかなっていう風に思っています。

 特にそこで、一番苦労されてるのは福本さんじゃないかと私は思っていまして、どうですかね、その辺の、キュレーターが旗立ててマッチンガーがマッチングしていってみたいな世界観の中で特に課題だとかってあったりしますでしょうか。

■福本氏
 やっぱり時間かかりますよね。私が出会った子ども達も出会った当時は9才、10歳だったんですね。そこからもう7年ぐらい経ちますが、一番上の子は15歳だったので、15歳の子が22歳、23歳になってくっていう段階になって、初めて仕事を得始めているんですよね。

 それまでの人生も、子どもの人生って短いですけど、でもそれでも10年間、15年間と好きなことやり続けていくって、もうプロフェッショナルな域にいってしまうわけです。そこに同じような教育をやり続けるんではなく、彼らが必要なものを、自分自身もキュレーターになって必要なものを手繰り寄せていくっていうことが、本当にあのオーナーシップを持っていくっていう、当事者・エージェンシーであるという証でもあると思うんですね。

 そして、彼らがほっといてもやれる環境をどういう風に整えていくかっていうのが大人の役割だと思うし、そこをちゃんとオーソライズできるだけのデジタルの技術が整ってきているっていう中で、環境でできないことが少なくなってきてるんじゃないかっていうのを感じるんですよ。

 マッチング自体も、もう特に旗を立てて集まってくる子ども達って、まだ意欲があって自分で何とかしたい、何とかしたくてしょうがないっていう子供達が多いですけど、そうじゃない子ども達にもやっぱりスポットが当たっていくべきだと思うんですね。

 そうした時にどういう力があるのかっていうのをトライアルできるっていうのは、やはり多様な環境に出ていける、その出ていくことを安全面も含めて大人がきちんと温かい目で見守っていけるような社会の仕組みっていうのと、同時にそこにもデジタルがやはり介入してきて、子供が動くたびにどこに行って、例えば水族館に1ヵ月行った中でどんな学びをやってきたのか、その学びの中でサメのことばかりずっとやって、サメのことがこんなに詳しくなったっていう、そういう形でなんか学びがその子らしいポートフォリオになっていくっていうのを全部学習ログでつなげていけばいい話だと思うんですね。

 そこのマッチングが人の手を介さないで、そういうデジタルに変わっていったときに、今までは属人的にはできなかったって言われてたことが可能になってくんじゃないかと思っていて、それが楽しみでもあり、今からの課題 、実装していくという時の大きな課題なのかなという風に思っています。

■畑田氏
そうですね、確かに時間かかるんですよね

■福本氏
そう、時間がかかる。

■畑田氏
 そうですね。一つでも、僕はあるなと思うのは、私もそのまぁ多分自分で 一からデジタルハーツ的な企業を起業しちゃいますっていうとものすごい時間かかると思うんですけど、デジタルハーツっていう母体があるから僕もすごく短期間でここまでいろんなことできてきたし、荒木さんもロート製薬という、彼が自由にのびのびと遊べるおもちゃを手にしたことによって財団まで設立して、いよいよもうなんか代表理事でタガが外れちゃうんじゃないかと思いますが、そういう既存のアセットをどう再活用して、より新しい時代に必要なものを作っていくのかみたなところも多分大事だと思います。

 その究極が僕は霞ヶ関の行政のあり方をまるごと変えちゃうってことだと思うんですが、ただそれは時間かかってしまうので、あのいろんな事例を作っていくということなのかなと思いますが、財団まで作っちゃった荒木代表理事からコメントをぜひ。

■荒木氏
 ありがとうございます。まさに、うちら2人とも15年くらいかな、霞が関の中にいましたけれども、恐れずに言うと中から世の中を変えるのは難しいな 認識する部分が正直あり、逆にその中を認識した上で外に出て外から変えるプレイヤーになりえると。

 逆にその方が、さっき畑田さんもおっしゃっていたように、変えやすい推進剤になるかというところで動いてきたところが実はあったりします。

 そして、一つはやっぱりこのロート製薬自体がよかったなと思うのが、マルチキャリアを追求できるところかなって思っています。今副業っていうところで、色々パラレルキャリアやいろんなワーディングがありますけれども いろんな企業がぼちぼちと解禁をし始めていますが、これって大人の話じゃなくて、僕は子どもにも適応できる話かなとずっと思っています。

 早い段階から、何かやりたいこと、好きなこと、才覚まではいかなくてもいいんでしょうけど、そういうのを早々に発見し、それを育める環境というのがあれば、正直申し上げるとリカレント教育が不要になるんじゃないかと僕は思っています。

 なので、リカレント教育を今後良い意味で廃止をするというところを考えると、早々とそういう子どもたちに対して環境を提供してあげると、正直自分自身の反省でもあるんですが、10年間稼げるな、という風に思いました。

 20歳、30歳くらいになったら、もう相当すごい人材が生まれてるんじゃないかなと常々思っていまして。なので、そういうところを副業という点で大人たちが徐々に介入し始めている内容を教育の中にも染み込ませていけると、合田さんがおっしゃっていた、そのカリキュラムとか指導要領とか要諦とか、そんなところからプラスアルファの部分で子供たちに提供することができると良いのではないかと思います。これから人口減が著しい日本において、一人一人の子どもたちが自然体に、マルチキャリアにできるのではないかなと。

 なので、少なくとも副業っていう言葉を大人の世界に閉じ込めるのではなく、子供にうまく適応できる制度にできれば、すごい良いのかなっていう点はロート製薬に来て感じたところの一つかなと思っています。

■畑田氏
 確かにその、もうハッカーとかでも中学生ぐらいでも全然大人に負けないぐらいできちゃう子とかですね、集中力とか知識でも、いたりするんで、ずっと大学卒業まで待って雇用しなくても戦力になるんじゃないかっていうのがいるなって思う反面、一方でこれはうちのデジタルハーツの中で、ゲーム制作するフレイムハーツというところがあるんですけど、そこの取締役の方と話していたときに、ゲームのクリエイターとかで色んなツールが使えてサクサクCGを作ったりできるのって、確かに学歴とかそういう学びとか何も関係なくて、好きで極めてたらうまいんですけど、問題解決能力っていうんですかね、ある種のツールでうまくいかないときに、問題を抽象化し、いや、そもそもそこのツールでやったらこっちでやったら解決するんじゃないかみたいな抽象化思考みたいなところって実はやっぱり大学教育とかで学んでる人の方が自分の知識の応用力みたいなのがあったりとかして、

 要はこのもう一点、突破型の天才って多分すぐにつくれてるんですけど、最終的な総合的なその問題解決力、まさにその僕はあの霞ヶ関の官僚人材がダメだって、僕自身は大好きな職場だったので、ある種のそういう調整をしてですね、いろんな政治とか産業界とかの変数がいっぱいある問題をばーっと最適に解いていくみたいな、これはこれで社会に引き続き必要なスキルだと思うんですよね。

 問題はあとはそれの組み合わせで、僕自身は一点突破天才というよりはそれをプロデュースしてというのが、自分の力を一番発揮できると思うので、僕自身がサイバーセキュリティーの専門知識を学んでやるよりも、そういうのがやれる人材をうまく鵜飼のように使ってですね、社会の課題を解決するのが多分向いていると思うんですけどそういう適材適所を極めていくっていうことなのかと今話を聞いていて思いました。

■合田氏
 よろしいですか、お話しを伺っていて本当にその通りだなと思っていて、問題はですね、このことを多くの保護者とか、それから教師を含めた大人でどう共有するかだと思うんです。

 私がいつも学校の先生方に申し上げているのは、今時代の歯車を回しているのは、我々役人だとか大企業の幹部だとか、そういう人ではありませんと。まさに今日のお三方のような、自分の名前で、自分のアイデアで、その社会を切り開いている人たちが今、自分の時代の歯車を回してるんですと言うことを申し上げてるんですが、やはりそういう社会の構造的な変化というのは、いかにリアルに影響するのかということがすごく大事じゃないかなと思っています。

 先程、荒木さんがリカレント教育って言葉を無くしていきたいんだって話をおっしゃいましたけど、私も全くそれは思っていて、リカレント教育っていうか、そもそも初等中等教育っていうのはリカレント教育のためにやっているので、そこで自分の学びを自分で調整すると、自分の学びを自分で選んで自分で調整するっていうことが大事だと思うんですよね。

 ただその時、ここでよく議論されるようにいろんなことを自分の興味関心で学んで最後に到達したことが実は教科書に近いというのは、教科書が非常によくできてるっていう事なのですが、一方で、何の意味があるのか、現実社会とどう結びついているのかとか、あなたの興味関心にどう結びついているかというのをわからずにひたすら教えられるというのはそれは大変苦痛なんだと思うんですよね

 その点は先ほど申し上げたように、その学びが時間軸も空間軸も多様化していくという仕組みにしていかなきゃいけないのかなという風に思っています。実は2017年の指導要領の改訂で中学校の社会科に初めて『起業』っていう言葉を入れました。それまでは子ども達はですね、第一次産業に就く以外は組織に入るという事しか人生の選択肢はないと教えられてきたわけですよね。

 ところが「起業」という言葉を入れることによって、金融機関だけでも変わってくるし見方も変わってくるし、社会の構造に対する見方も変わってくるということだと思うので、とにかく我々はあのこういう場で議論させていただいたことを、いかに教師、先生方とかそれから今の子ども達は非常に親の言うことをよく聞くもんですから、親御さんとよく共有していく必要があるのかなというのはやっぱり強く感じます。

■畑田氏
 そうですね、合田さんも私も教科書的な学びが得意なタイプだから多分あんまりなんかそこに違和感感じないんですけど、確かにうちのそのハッカー人材とかだとやっぱりとにかく自分でやってみて納得しないと駄目なタイプとかだと、教科書で学べないんですよね。

 彼らなんかも最終的にはサイバーセキュリティーの資格の勉強とかし始めたりとかして、最終的には「畑田さんここに綺麗によくまとまってるんですよ」といった、そこからは始められないタイプ自分であーだこーだやってみて最後その教科書にたどり着くみたいなその学びのプロセスの自分にとっての最適なものって多分それぞれ違っていて。

■合田氏
 この間荒木さんとお話ししたんですけど、イソップ童話にアリとキリギリスって話があるじゃないですか。あれって明らかにアリがいいよね、と。計画的にね、冬場を凌ぐために計画的に労働する蟻がよくて、夏場にあのバイオリン弾いて歌ったり踊ったりしていたキリギリスは野垂れ死ぬよねって話なわけですよ。

 だけどあれって、イソップ童話は我々が子どもの頃聴いてですね、刷り込まれるわけですよ。やっぱり怖いよなキリギリスではいかんよな、やっぱアリにならなきゃと思うけど、でもなんかこれって凄くこう、暴力的な寓話ですよね。

 結局、今もまさに畑田さんが仰ったように、アリとキリギリスとかって個人の学びのスタイルの問題だと思うんですよね。もちろん計画的に学ぶ子のことを全然否定していません。そういう子はそういうことで、そういう子にふさわしい職場ってありますから確実に、霞ヶ関も含めてですね。ですが、キリギリスみたいな学び方をする子もいて、その子たちがその学びやすくする、その子達を社会が受け入れていく、認めて行く、その子達が社会で力を発揮することによってアリとキリギリスが共存できる社会を作っていかなきゃいけないのかなと。

 ものすごくアリとキリギリスは日本の教育、これは世界の教育もそうだったと思うんですけど、アリを作る、アリを作ると言ったら変なんですけど、そういうタイプの教育だったのかなという風にはつくづく思います。それをどのように、マインドセットしていくかっていうのが、これからの大きな課題かなという風に考えます。

■畑田氏
 これからの日本を引っ張っていく産業は自動車産業と鉄鋼となんとかであるみたいな風にして、そこにこうなんかいろんな政策資金を追求し、そこが雇用を支えていくみたいなことに対して、だんだんやっぱ需要も多様化していくので、このサプライサイドに政策をきかせるってだんだんやっぱうまくいかなくなっていくんですね。

 いかにしてディマンドサイドや需要を作るみたいなところ、これはやっぱまだ解がなくて、ともすればばら撒き的なんですね。お金はばっと撒くんだけど政策効果はよくわからないってなっちゃって、どうやってディマンドサイドから産業政策を作っていくかっていうのが多分今の経産省の悩みで、最近はその経済産業省の新規塾みたいなですね、総会の資料なんか見てると、まさにそこの悩みが書かれているなって思っています。

 同じように教育も、これまでは教育によって育てたい人材はこれであるみたいな、是とするものがあって、学校の供給者側、教師の学習指導要領をどう変えるかとかだったんだけど、多分ここからの教育はディマンドサイドというか当事者の認知特性とか、学び方の部分、あとあれですね偏愛とかですね、そういうのに応じた学びの最適さと就労の最適さみたいなところがうまくマッチすれば、すごい色んな人材が活躍するようになるということなのかなと思います。

 そこにさらにデジタルのツールがうまくこう噛み合えば、ものすごい良いシステムになるんじゃないかと総論はそういうことなんですけど、やってみるとそんな簡単じゃない。

■福本氏
 デマンドサイドの需要を出来るだけ多く出すってやっぱり枠組みを取っ払っていくやり方じゃないと難しいんですよね。

 規定した枠組みだとその枠組みにやっぱり人間はどうしても沿っていくっていう適応していくっていう形になるので、いかにリスクも含めた自由な環境っていうのを街の中とか野外活動とか、そういうところにまで伸ばして行って、その中で自由裁量で自分の学びを作ってみるっていうのを、ちっちゃなミッションを立てて動いてもらった時に、頭の中の思考スタイルとか、それとか刺激に対してどういう反応をするのか、どんな感情の出方がするのかっていうのをやっぱりちゃんとこう出し切るっていう、出し切った時に人間の知性ってこんなに幅があるんだっていう。

 スタイルもこんなに幅があるんだってことを分かった上で設計をしていかないと設計がいつもいつも小さなままであるという、そこをやることが非常にこれからの社会に求められているし、それを広げたとしても手綱を握っていけるのがデジタルの力にもなってくるのかなと思うので、どういう活用でそこを結びつけるかという、その設計はぜひやっていただきながら、私たちは枠を外した事例をロートさんも始めましたけど、そういうものをたくさん出して、こんなの上がってきましたよっていうのはお見せできると思うんですね。

■合田氏
 それはまさに霞ヶ関でやっている議論で、デジタル庁ができ、教育DXをどう進めていくかという、まさにその議論なんですよ。

 考え方は2つあって、今の教え方を前提に情報端末を使おうとするとせいぜい百ます計算とか漢字の書き取りとかね、それで反復学習できますみたいな話が実際によく使われるんです。まずこれをやりましょうって話があるんですよね。
 
 だけどやっぱりデジタル庁とか、私個人的にもそうなんですけど、それは私は問題だと思っていて、さっき福本さんが仰ったようにアーキテクチャーが5年後ぐらい先を見てですね、で、要するに幅を広げていくと、広げてきても大丈夫なような仕組みにしていくという仕掛けにしていかなきゃいけなくて、その時に子供達が自分の学びを組み立てていけるというそのことを前提に、アーキテクチャを作ってかない、今ここでやるDXっていうのが後になってですね、結局子供の学びを拘束するってことになりかねないという風に思っています。

 そしてつくづく感じるのは、さっき畑田さん仰ったことに重なるんですけど、さっき私冒頭その教育は政府が責任をおうんだって思いでやってきましたって言ってたんですけども、もちろんマーケットで全部できるとは思わないんですけども、結局政府っていうのは形式的な構成とかルールに縛られるものですから、一人ひとりの子どもの認知の特性や関心などきめ細かいことについては限界があるんですよね。

 私たち、そこは教育ってのはありがたいことに、ガバメントソリューションとマーケットソリューションだけじゃなくて、その間にコミュニティソリューションっていうのがあって、これまで地域コミュニティソリューションっていうと地域の大人、地域のおじいちゃんおばあちゃんっていうことだったんですけど、デジタル化によって福本さんも荒木さんも畑田さんもコミュニティーになってきたわけですよ。

 この状態をDXの中で許容できるようなアーキテクチャにしていかなければいけないっていう議論を、ちょうど今デジタル庁の方でやってもらってますし、我々もそれを後押ししていますので、ここは是非またあの連携、協力させていただきたいなという風に思っております。

■畑田氏
 そうですね、確かにコミュニティーを作りながらそれぞれがやっていくしかないっていうこと。あと僕この手の議論で気をつけなきゃいけないなって思うのがINNOVA人材とか異端とか異能とかっていうと、これも本当に霞ヶ関の中と話しているとあるあるなんですけど、それってなんか要はトップオブトップみたいな、優れたギフテッドとか、天才ってことですよねというんですけど、僕は全くそういう意図はありません。

 もちろんイーロンマスクさん、オードリー・タンさん、最近ですとそういうヒーロー的な異端人材は出てくるんで、こういう人をなぜ日本からはジョブズが生まれないのかってそういう話になっちゃうんですけど、僕は何かもっと幅広いっていうかですね、そんなにめちゃくちゃ秀でてないんだけど全般的に困りごとがある人っていうのも当然いてよくて、あるいはその異端でもなんでもない平凡な人も別に許容されていて、それぞれがちゃんとそれぞれにあった最適さみたいなことを考えていく中で、結果として多分そういうめちゃくちゃずば抜けた人、無敵な人みたいなことだと思っています。

■合田氏
 今の畑田さんの言ったことをちゃんと共有しとかないとですね。今後最大の議論はさっきのアリとキリギリスの寓話で言えばですね、サプライサイドに立つ人はこう反論するんですよ。
 力のある人、能力のある人はキリギリスでいいんだけども、能力のない人はアリの方がリスクが低い人生が歩める、という。そこで今畑田さんが仰ったように、この学び方の多様化っていうのはキリギリスのためだけじゃありませんよと、いろんなタイプの人がもう少し自分の興味や関心や認知の特性、認知の特性とはみんなに特性があるんことだと思うので、私は、それに応じて学べるんですよ、よりそのアンビシャスに学べるんですよ、ということがその人にとってすごく大事ですよと、そういう風な学びをしても決してリスキーじゃないっていうことを、やはりそこは大変申し訳ないんですけど、やっぱり社会の側からあるいは企業の側から社会経済システムの側からどんどん言っていただいてますけれども、これをやっぱりもっと言っていただいて受け止めて共有していく必要があるかなという風に思っています。

 教師が結局、保護者も教師も結局ですね、リスクをどう低減するかってどうしても思っちゃうんですよね、特に子育てになると。一度しかない人生とか、一度しかない子育て期でリスクをどう低減するかっていう話しなんですけども、だけどそこは大きく変わってきているっていうことを共有する必要があるかなって思っています。

■畑田氏
 だから私も、ソーシャルファームで就労困難者の方を積極雇用して、それに合わせた個別の働き方をというと、なんかこう耳だけで聞いてると、すごく福祉的な弱者支援的な風に聞かれるんですけど、僕は全くそんな意図はありません。

 ただ、彼らが活躍できる環境をつくるっていうのは、それ以外の別に今困難と思ってない人にとっても働きやすい職場であることは間違いなくて、別に困りごとが顕在化してる人はある種の先行事例というかですね。わかりやすいケースなので、そこに最適化していくことで結果、実は自分ここで困ってたんだみたいなですね、見えない問題も解決していくことになって実はじゃそれって、じゃ何のためにやってるかっていうと、社会全体の働き方を変えていくみたいな、底上げしていってそれぞれが活躍できるポテンシャルが高まるみたいなことが多分効果だと思っています。

 だから私はロートさんの財団でやられる取り組みっていうのも、ある種その財団で直接支援できる子供っていうのは限られる絶対制約があるんで、全員ってわけにはいかないと思うんですが、その取り組みを見ながら、こういうことができるってことはうちでもこういうことができるんじゃないかと、うちの子ども大丈夫かなと思ってたけどこんな風な道もあるんだ、というように広がって行けば、結果財団のやっていることがもっと広がり、みたいな効果が本当の社会の意味だと思っていて。

 せっかくなので、プレスリリースしたばっかりの財団の取り組みの工夫した点など、これからの野望とかを聞きたいです。

■荒木氏
 ご紹介の時間いただき、ありがとうございます。ロートこどもみらい財団ですが、大きく分けて3つ、一応準備していて、一番の核はさきほど申し上げた、合田さんも仰っていたところに近いと思うんですが、コミュニティが重要と思っていおり、キーワードを「居場所作り」にしています。

 場所がないから学校、家庭含めてかもしれませんが、ゲームにいくっていうところで例のe-Sportsの授業に繋がってきたところの経緯も一つあるので、e-Sportsが好きな子だけではなく、さっき申し上げた生物環境とか、芸能系にしようとか、こういう多種多様な子供たちの関心をどう社会で受け止めるのかっていうのが重要かなと思うので、とりあえずe-Sportsで事例として作りながらも、そういう受け皿を社会側で用意するっていうのが重要かなと思っています。

 そういうところを考えるとコミュニティを形成をして、その中でプログラムっていう一応名前にしてありますが、可能な範囲でこういう募集、自然教育なら自然教育っていうプログラムを提供をして、関心がある子は参加してもらうと、参加してワンショットだけだと「よかったな」という感想で終わってしまうので、そうじゃなくてそのあとに引き伸ばしながら、例えば専門家、エキスパートの方々と直接触れ合える機会を何回か設け、自分自身を自問自答し続けるという環境を財団の中では機能として設けようかなと思っていますし、それを1クール2クール設けて、1年単年度じゃなくて次年度にも、もう一回やったりとか、そういうところを動かしながらではあるんですけど、仕組みとしてやっていこうかなというふうに思っています。

 あとはデジタルってところでいうと、良い環境に僭越ながらなったよなとは思っていて、例えば自分の好きなことがあっても、例えば自分は東京にいて、その環境が北海道とかあの八重山にあったりすると、いちいち行かなくちゃいけなかったところが、一つその好きな子どもたちと直接こうやって繋がれる、VRとかを駆使すれば多少なりともリアリティを感じられるっていうことが、一つ革新性があったのかなと思ってますし、それでまだ物足りないという感じがあれば現場に行くというところで、なんとなくこう、0→1の学びが0.5みたいなところが一つ、今回デジタルのおかげでできたのかなという風には思ったので、そのあたりの時代の転換点ってのもその学びの中に入れながら、今後財団自体も運営していきたいかなという風には思っております。

■畑田氏
 なるほど、だからコロナの状況もあるからオンライン・オフライン両方睨みながらね。

■荒木氏
 そうですね、特に集まる機会はこういう昨今の状況もありますし、地理的な制約が一番大きのかなと思っていて、北海道から沖縄ぐらいの子達が集まれる環境だと、オンラインをベースにしつつも、やっぱフィールドワークみたいな現場はどうしても重要なので、そういうところはロート製薬でもいくつかアセットが存在するので、そういうところもうまく活用しながら提供していけないかなと思っています。

■畑田氏
 確かに私も経済産業省の未来の教室実証事業の中で、通信高校の生徒向けにデジタルハッカー育成講座みたいなのをやったりしているんですが、オンラインでやっていて、九州の方の地方から参加してくださった女の子がいるんですが、めっちゃくちゃ食いついてですね、成績も良かったんです。

 是非とも保護者の方にインタビューさせてくださいって言って、お電話でお話しさせてもらったんですが、そのご両親とも福祉系のお仕事でITにも全く無縁で、女の子二人いて、上の子だったかな、お姉ちゃんだけはもうとにかくゲームとかパソコンとか大好きで、ずっと一日向かってるんだけど遊んでるんだが勉強してんだかすら分からないって感じになっていて、学校にも行かなくなっちゃって。

 どうしたものかっていう状況になっている中、地方だと学校の先生に相談したところで
その子が今怠けてるのか、集中して学んでるのかが評価できないし、周りにIT企業とかがあるわけでもないし、どうしたものかっていう風になってしまうと。

 という中で、僕らかしたらすごい才能がありますよという風になり、それって多分東京にいたらいろんな情報とか企業とかもあったりするから、そういう困り事があってもその子に合った環境を探すことができるんですけど、地方だったら圧倒的にそういう数が少ないという中で、本当はデジタルであれば地理的な制約もなくできるはずなんですが、ラストワンマイルっていうんですかね、あとどうやって届けきるかみたいなところがなかなか難しいかなという風に私もやっていて感じました。

福本さんも、地方の学校などで活動されていますよね?

■福本氏
 だから本当に旗たてるっていういろんなプログラムをやりながら、こういうのやってるよっていうのを立てるのと、私たちは全国各地こんなとこにも不登校いるのっていうぐらい自分たちで行脚して、探しに行ってたんですね。いねーかーって、不登校いねーかーっていう感じで。

 そしたらもういたるところにいてですね、漁師の息子さんが不登校になってたりだとか、それこそIT系でもの作りにハマっている子がいたりだとか、いろんなタイプがいて、さっきの議論に戻るかもしれないんですけど、最上位の目的ってやっぱり幸せに生きていけるかどうか、幸せに生きていける人としてどんな学びが必要でどんな生き方があるのっていうのを知ろうと思った時に、選択肢がたくさんあるとロケットでも1/3の子は引きこもったままだったっていうか、家でやってるまんまだったし、1/3の子は学校に戻ったし、1/3の子は学校にしかもう行かなくなったっていう、別にロケットを選ばなかった子もいるわけですよ。

 だけどその時に彼らに一番私たちが届けられたものって、学びってこんなにある、その中で自分がこれをチョイスしたいっていうチョイスする力だと思うんですよ。

 幸せになっていく時ってこういうチョイスもあるんだ、あーいうチョイスもあって、この文脈だったらこれが自分に合ってるかもしれないっていう、その選択力だと思うんですよね。

 だから多様なものがないと旗立ててでもこういうのがあるよっていうのを見せていかないとなかなか発掘もできないし、発掘してアクセスした子供達はチョイスが増えるけど、そうじゃない子供達になかなか届かないっていうところをクリアして行くっていう必要があるのかなって思いますね。

■畑田氏
 なるほど、確かにアリでもキリギリスでも良いんだという選択肢があることが大事だってことですよね、素晴らしい。ちょうど時間でいい締めくくりのコメントを頂いたところですけれども、なんか少し最後喋り足りないなど、合田さんいかがですか?

■合田氏
 本当に今日はありがとうございました。私は畑田さんがよくその仕事に人を合わせるんじゃなくて人を仕事に合わせるんだとおっしゃってますよね。

 あれを全く同じことで、子供たちを学びに合わせるんじゃなくて、子供たちに学びを合わせるということがすごく大事だなと思います。それは先ほど福本さんがおっしゃった、その選択するっていうことだと思いますし、かつ選択する以上はやっぱり自分の判断に責任を負わなきゃいけないんですけど、何れにせよやはり私は今三要素って言ってるんですが、学ぶワクワク感と、それから教科書とか教科の学びが自分の問題意識を解決するためにこれ役立つじゃんというその実感と、それから自分の学びは自分で調整することができる
調整ってのは選択も含めてですね、スペースも含めて調整することができる

 この3つがこれからの学びにとって大事かなという風に思ってますので、これからもぜひルールと形式的な公正さと、ルールに縛られて痒いところに手が届かない行政ではございますが、引き続き是非ご指導いただければと思っております。よろしくお願いします。ありがとうございます。

■畑田氏
 はい、では、とても名残惜しいですけれども、お時間きてしまいましたので、このセッションはこれにてお終わりとさせていただきたいと思います。皆さんどうもありがとうございました。



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