愛のカケラ、星のカケラ
母親から電話がきた。
年に1回、この日だけ話す特別な日。
8月9日、42回目の誕生日をむかえた。
電話をとった瞬間 相変わらずマシンガン
こっちが話す隙なんて一ミリも与えちゃくれない
最近どう?みんな元気?
コロナは大丈夫?こっちは大丈夫だから
なしが美味しいから贈るね 住所は変わってない?
止まらない母親の話の合間で、一言言いたくて常に隙を伺っていた。
でも、今までもそんな隙なんてないのはわかってるからいつものように俺から会話を遮って無理やりこの言葉を放った。
いつもありがとう。
母親といっても養子縁組の母。本当の母は小1に天へ戻った。
本当の母のお姉さんみたいな存在だった、それが今の母親だ。
たくさんたくさん迷惑をかけた
一時は修復不可能なほどの誤解もした
でも離れるべきでない縁はどうあっても離れない
一度は離れてもまた然るべきときに戻る
人生は完璧なんだと思い知らされる。
SNSでも個別メッセージでもたくさんのお祝いの言葉をもらった。
おれと出会って人生がかわったって言ってくれる人もたくさんいた。
「これからも女性の幸せのためにナイトお願いします!」
「子どもたちのためにこれからも一緒にがんばろう!」
こういう言葉は自分の使命を思い出させてくれる珠玉の言葉。昨日はみんなのメッセージに浸る穏やかな時間を過ごさせてもらった。
誕生日に神好き発見報告をくれた仲間もいた。本当に嬉しかった。
誕生日だからいつも以上にみんなの思いを目に見えるカタチで受け取ることができたけれど、それは普通のことじゃないなと思うんだ。
誰かを愛し愛されるということは、決して普通のことじゃない。当たり前に受け取っているそれは、どれだけ自分の人生を豊かにしてくれているものか、普段の日常でそれを考え感じ取ることをおれたちは忘れてしまってるかもしれない。
それでも人を愛するのが人なんだ
愛するって疲れることだと思う。
でもなんで人はだれかを愛するかって言えば、その人を愛してるからだよ。
きっと涙も愛なんだ 微笑みもそう愛なんだ
強い気持ちでいれば かならずある明日の太陽
好きな人がいること
応援したい人がいること
愛する人がいること
たとえそうすることで傷つくことがあっても
すべてが幸せ
すべてが至福
たった一人で生きている人なんていない
当たり前の今にどれだけ星のカケラを感じることができるか?
人生は「星のカケラ」を集める旅。
すべてを集めるプロセスで幸せであることが日常になり、「星のカケラ」を集め終えたあと、ハッピーエンドで人生の幕を閉じるのです。
神さまはすぐやる人が大好き。(あとがきより)
わたしは愛されていない
あなたが羨ましい
今朝、そう言う女性と話をしていた。
それは嘘だとはっきり言った。
彼女はいついかなるときも
あんなにも多くの人から愛されている
そしてまた、幸せは数じゃないってことも伝えた。
本当に、たった一人でいいから自分のことを本気で愛してくれている人がいれば人生は至福だって。
愛されていないっていう勘違いにあなたが囚われているなら、具体的にSNSから数日離れてみるといい。
FacebookもTwitterもInstagramも
この世界からなくなったって繋がりは消えない。
むしろ今まで以上に変わらない人たちと
深い関係性を築き豊かになれると思ってる。
うちの母親はガラケーのSMSでしか連絡がとれない。他のツールはなんにも通用しない。
電話も年に1度。年を重ねるごとに体力も気力も減っている。70歳近くまでラブホの経営者、年収5,000万だった過去は今では誰も知るよしがない。
でも相変わらず愛に溢れている。不器用だけどそれは昔から変わらずずっと感じることができる。
おれ、本を出したこと伝えてなかった。昨日電話切ったあと送ってやろうって思ったんだ。わだかまりとも言える、また、恥ずかしくて伝えられなかったとも言えることを昨日の電話で氷解して送りたいとおもった。
なんてことをね、誕生日で色々感じました。
みんな、本当にありがとう!
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