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会いに行こう!

 今年の年賀状に「年始のご挨拶は今年を最後にします」と書かれているのが3枚あった。

年を経るにしたがって見掛けることが多くなったが、複数枚は初めてだった。

年賀状だけの付き合いの人も多いと思う。
それだけの付き合いでそんなに気にする必要はないかもしれないが、遠隔地の人とはもう一生会えないに近いことを表す寂しい言葉となる。


どこかで袖擦れあった多生の縁だったはずの人。誤用ではあるが、多少の縁だったのだろう。
それかもう縁の寿命も尽きたのかもしれない。

2年前に仕事を一旦退いて、縁あってまだ単年の契約をさせてもらっており、仕事関係の方は普段の業務の中でまだ会えるが、昔からの知人は住む場所も離れてしまい、なかなか会える機会はない。

そして、この年になると妙に昔の知り合いに会いたくなり、オフ・コース「老人のつぶやき」の、
「私の好きだった あのひとも今では もう死んでしまったかしら」
の歌詞を思い出す。


この歌詞が現実的なものとなった出来事を話してみよう。

15年前、とあるSNSの中にあるコミュニティが立った。

高校の同期のものである。

そこでは在学中には話したこともない人と多く出会った。

一応進学校だったため、高校2年から理系文系に分けられると、クラブ活動もほとんどが2年で引退。なので互いの交流はほとんど無くなる。
同学年の半数以上が話したこともない人になる。

ところが30年も経ると、その話したこともない人の話が新鮮で、お高く見えた綺麗だった人がめちゃめちゃ気さくだったり、逆に、え?おささん、そんな人だったの?とか言われたり、子育ての話とかもしながら楽しく過ごしていた。


そのコミュニティに新しい人が入ってきた。

昔の彼女だった。

彼女が入ってくることはコミュニティの友人を介して知っていた。
彼女は大腸がんを患っており、在宅でのケアに切り替えたところだったことも。

お見舞いがてら会いに行ったコミュニティの女性の友人達が、○○さんとか◎◎君とかと交流があって楽しいから気晴らしにどう?…と話したところ、その中に僕の名前があり、あ、昔、おさ君と付き合ってた…と彼女が言ったそうで、大騒ぎになったよ!と連絡があったからだ。


付き合ってた…とみんなに言えたのか…と、僕はビックリした。

高校1年のほんの3ヶ月。朝早い登校を一緒にして、体育等裏で話すくらいで、下校時は僕はテニス部、彼女はバスケ部と、クラブが違うので一緒にならず、僕のリードが拙いためにデートらしいデートもできず、いつの間にか話すことも少なくなった自然消滅の恋。


付き合ってた…


正直付き合ってたとか、そうだったのかどうだったのか分からないレベルで、そうか、ちゃんと彼女の中ではそうだったんだと言うのが嬉しかったが、ただそんな変な喜びも束の間、在宅ケアの意味を知った。


末期がんだそうだ。


まだ身体は楽な日が多いと聞いたので、僕は会いに行くことにした。

日にちを決めると友人が段取りしてくれた。

家は郊外にあり、友人は勝手知ったる知人の家の感じで中に入り、僕を手招きした。


ベッドで横になったまま、先に入った友人と話す姿は今にも起きて来そうで顔色も良く見えた。

「お。元気そうやな!」

「そうよ!元気なのよ!」

止まったままだった時計が30年振りに動き始めた。
久し振り会話は終始明るく、大きな目はくるくる動き、昔の彼女の面影を残したままだった。


色々話していると、まだ小さい息子さんがお母さんが心配なのかあっち行ったりこっちへ来たりで、長話も疲れるだろうから…と30分足らずでおじゃますることにした。

友人は「車を回してくるから!」と気を遣って2人きりにしてくれたが、そんなに語る歴史もなく、少しだけ話をして笑顔で、

「じゃ、またな」「うん、またね」と別れた。

その日の夕方、彼女からメールが届いた。

「今日はありがとう。
 30年前のことは私が悪かったのよね。
 また新たな友達としてよろしくです。」


それから10ヶ月が経ち夏になった。

その間、彼女はコミュニティにたまにコメントしたり、足跡が付いていたり、と初めのうちは動きが見えたのだが、だんだん顔を出すことが少なくなった。

と同時に友人達もお見舞いに行ける回数も減り、会えなくなっていたようだった。


お盆休みに僕は家族と信州を旅行していた。

車であちこち走っていたら、ある標識が目に入った。

その文字を見た瞬間に僕は覚悟をした。

その後、子供達を川で遊ばせている時に、友人からメールが届いた。

やはり訃報だった。
数時間前に亡くなったとのことだった。


彼女の名前は釜野と言う。

見た標識はこれだった。

山梨県 釜無川 標識



会えた人、会いたい人、もう会えない人、生きてきた中で、袖触れ合った人は様々で、一昨年に大病をして、会えなくなる人を大量に作りかけた僕は、健康第一と同時に、会えそうな人はなんとかして会う!ことを今年の目標の一つに加えていた。


奇しくも20日ほど前、関東住みの友人からLINEがあった。

年末に入院してしまい、年賀状が出せなかったお詫びの代わりの年始の挨拶だった。
年の近い彼は、
「もうこの年になるといつ会えるか分からないので会えるうちに会いましょう!」と同じことを考えていた。

近況をやりとりした後で、
「じゃ、今年はマストで会いましょう!」
と括ってきた。

マストで会う…か。使い方が若いな。
と友人の言葉に感心しながら、
「よし、マストで会おう」
と返した。


それとは別に今は高校の仲間と会う計画が進行中だ。

福岡から千葉までの東海道山陽沿線に5人バラバラに居て静岡で会うことが決まっている。それぞれがそんな必要はないのだが同じホテルを取り、あそこに行こう、ここに行こうと楽しそうだ。

会える時に会おうと考えていたら、10日ほど前に急に計画が立ち上がったのだ。



皆さん。
会えそうな人は会ってみてはいかがですか?
初めて会う人でも良い、久し振りの人でも良い、
時計を動かしてみましょう。

年は関係ないかもしれません。
若い方でも年を経て再会すると
「そういや最後に会ったのは20年前だったかなあ」
と笑いながら話す楽しみがあるかもしれませんよ。

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