死ににくい雛

二日連続で日記を書いている。すごい。

今日は憲法記念日です。憲法記念日を憲法記念日として、いままで意識して考えてきたことがあったかと言われると恥ずかしながら(ほんとうにこれは恥ずかしながら)無くて、ただ、今日この日、いままさに現在において、憲法とは国とはを考えられずにはいられないのに知識がひたすらに乏しい。勉強するぞというよりかは興味も関心も無かったのだなと思う。世界のとらえ方が変わると、いままで使ったことがない道具を使うようなかんじで、おそるおそる、時間をかけて不器用にものごとを料理して口に運んで咀嚼するようで、しかし味をうまく表現できないので、精進します。

もう二度と同じことは繰り返すまいと、おそらく戦後の人々は憲法というかたちで決意を刻んでおり、そしてその平和のうえに胡坐をかいて高度経済成長の貯金を食い潰しているような感覚があるいま。

現政権に、憲法を触らせたくないよ…が直球な感情ですね。もっとほかにやるべきことがあるのでは。

公務員のひとと、医療関係で働いていた人とWEBでお話をした。

公務員の窓口対応の過酷さ、いろんな声を受け止めるがどうしようもなくて、組織のしばりが強すぎて動きにくいこと、感染リスクは怖いが絶対に逃げ出せない、という話をきいて、話してもらえたのはほんの一部のところだけだったがしんどすぎて「ありがとう、日々、がんばってくださってありがとうございます」としか言えなかった。「公務員」と一括りにしている場合ではなく、ひとりひとり生きているひとが働いている。

元医療関係者の方は「いま、もし現場(保健所)にいたらと考えると。おそらく電話はひっきりなし、休むひまもない」と話されていて。
いままで必要なところにお金を投資してこなかったから。公衆衛生学を衰退させていった国が悪い、と怒りがすごかった。公衆衛生の概念や、今回のコロナは肺が両方ともだめになる(肺炎の場合は片方の肺だけ、という場合が多い)のが怖い、体温や自覚している症状だけでは肺の状態なんてわからないから血中の酸素濃度を測定すると良いのではないか等々、わたしだけでは全く考え及ばない分野の話で興味深かった。とりあえず、怒りがすごかった。

ずっとチーズとフルーツばかり食べている。ラーメンとか食べたい。でもお湯をわかす気力がない。あまり回復できていないのかな。今日ははやく寝る。

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。(日本国憲法前文)

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