なぜ開戦は避けられなかったのか
ちょっと尺のある動画(10分程)だけど、見て欲しいと思います。
当時の政府は米英と戦うのは困難だと判断していた。
戦うべきではなかった。ドイツも独ソ開戦は避けるべきだった。あくまでもスターリン率いるソ連とは戦争せずに米英と戦うのなら、自然豊かで国土が広いロシアとは戦争せずに米英との戦争に全力を向けたのなら、『砂漠の狐』と呼ばれるロンメルや優秀な将校を抱えるドイツは有利に戦争をできたと思う。
松岡洋右氏も米英に対抗する為に、日独伊の他にソ連を含めての同盟を考えていた様ですね。
松岡洋右氏は昭和天皇から批判的に捉えられていたのだと思う。
しかしながら、松岡洋右氏はとても大胆な考えをしていた。今の日本の政治家とは一線を画している。
気宇壮大。もし、この考えが実行に移されたのなら、戦争はまた状況が一変したであろう。
そして、松岡洋右氏本人も戦後にGHQに東京裁判で裁かれる事はなかったと思う。死刑は免れない予想される中、病院で亡くなったのは不幸中の幸いか❓
動くべきではなかった。迷い、世論が分かれる中で。経済界から圧迫されても臥薪嘗胆の思いで堪え忍ぶべき。
それは同盟国であった日本も同じ。
独ソ開戦が始まったからと言って、石油資源の獲得に東南アジアに活路を見出すべきじゃなかった。
アメリカを怒らせてしまった。
対日石油制裁を受ける事となる。
ルーズベルト大統領の要求は飲めない状況(日中戦争が泥沼化していて、たくさんの犠牲者を出していた)だったのは分かる。ただそれでも国力が桁違いに違うアメリカを敵に回すべきではなかったし、太平洋を隔てているのに陸軍部隊をアメリカに進駐させる事は不可能だとわかっていたはず。
中国国内にある権益を全て放棄しても、南樺太、占守島までの千島列島、台湾、澎湖諸島、朝鮮半島は日本の領土であった。
特に戦後に択捉島と国後島を失ったのは大きい。択捉島は沖縄本島の2.6倍。国後島は沖縄本島の1.2倍の大きさを誇る。
石橋湛山元首相の唱えた『小日本主義』の方が正しかった事が分かる。
先帝陛下(昭和天皇)も日米の対話を望んでおられた。
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