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インド音楽とポップミュージックグループ '24

日本から西へおよそ6000キロ。飛行機に乗ればおよそ9時間30分で行ける、パキスタンやバングラデシュ、ネパールなどと国境を接するインド洋につき出た国、インド。正式には、インド共和国。首都は、ニューデリー。

デザイン事務所のブログから海賊みたいに盗んできた地図

面積は世界で7番目に大きく、日本の9倍ほどのおよそ328万平方キロメートル。そこに世界1位の、14億2577万もの人が暮らしているそうです。人口の8割がヒンドゥー教徒で、あと何千年も続く”カースト”と呼ばれる身分制度が根強く残っているのが特徴みたいです。東京大学のインド文化研究室によりますと、インドの文化を理解するには、紀元前2000年頃の世界最古の都市文明の1つインダス文明にまでさかのぼる必要があるそうです。NHKの『高校講座 世界史』も、高度な都市文明を持ったインダス文明に始まり複数の国が興亡して古代インド社会が形成されたっていってます。その後は高校生向けの『TRY it』によると、インダス文明の後、遊牧民だったアーリヤ人がその場所に定住し、現在もインドを流れるガンジス川河流域に16の小国を建て、インド最古の宗教文献である『ヴェーダ』が編纂されヒンドゥー教の基盤となるヴェーダ文化が発展したそうです。そして紀元前300年頃、アレクサンドロス大王が現在のインド北西部に侵攻してきたのをキッカケに諸王国が国を統一する必要性を感じて、インドに初めての王朝・マウリヤ朝が爆誕したらしいです。その後、イスラム勢力、ムガル帝国の支配を経て、毎日小学生新聞のコーナー『ニュース知りたいんジャー』を最後にパクリますと、19世紀中頃にイギリスの植民地となったけどガンジーらの努力により1947年に独立を果たし、まもなくインド共和国となったそうです!・・・以上、オタク特有の早口で小学生や高校生向けの記事を切り抜きましたが、アタシには難しくてサンドウィッチマン並に”ちょっとなに言ってるか分かんない”っす!
インドは独立後、人口が増えるに従って経済も大きく成長していて、2022年の国内総生産(GDP)は、アメリカ、中国、日本、ドイツに次ぐ5位ですが、2027年にオレたち日本そしてドイツを抜いて3位になると予想されているんですって。ぴえん
そのインドは、タージマハルやガンジス川など有名な観光地、さらにカレーやタンドリーチキン、ビリヤニといったグルメ、宝石やサリーなどのファッション、伝統医療のアーユルヴェーダ、また映画など魅力がいっぱいの国みたいですよ。

そんなインドは、音楽の歴史も長いらしいです。東京外国語大学の水野善文(みずの よしふみ)教授の解説を、『機動戦士ガンダム』シリーズの主人公パイロット並に借りパクしますね。

古来インドの祭式には、神の讃歌を、まさしく歌謡として歌う専門祭官たちが存在している彼らのテクスト・ブックとも言える『サーマ・ヴェーダ』も、(中略)、組織的に工夫された記憶術のもと正確に口頭伝承されてきたものが、紀元前後頃に文字化・文書化された。そのテクストには歌詞に加えて、声音の抑揚、長短・変化、音節の反復、拍子を指示する符号が記されている。いわば音符に相当するものが付記されているのだ。(中略)
祭式に発したインド音楽の歴史のなかで、初めて本格的に音楽理論が説かれたのは、戯曲論集『ナーティヤ・シャーストラ(Nāṭya-śāstra)』の数章においてである。遅くとも5世紀には成立していたと見られるこの文献では、音楽を「ガーンダルヴァ(gāndharva)」という単語で表している。

水野善文 『寂静という音楽 〈古典に聴く〉』

5世紀には成立していたらしい古来インドのヴェーダの祭式にはじまった、インド音楽。その後、インドの音楽は南と北によって大きく2つに分かれることになるそうです。大東文化大学の小尾淳(おび じゅん)准教授の解説を、海賊みたいに盗みます。

南インドでは7~8世紀頃に起こった大衆的な宗教運動以来、ヒンドゥー教の賛歌の伝統が色濃く残る。体系化された音楽理論と優れた音楽家/楽聖の登場によって南インド古典音楽(カルナータカ音楽)が確立し、南インド各地の藩王国の庇護により音楽文化が栄えた。

インド映画Note 『「シャンカラーバラナム 不滅のメロディ」楽曲の解説』

日本の企業・ビクターによりますと、7~8世紀頃にバブーと誕生したインド南のカルナータカ音楽は、こんな音楽らしいですよ。

「Karunimpa」 Varnam | Sahana raga

カルナータカ音楽は、サイト『魅惑の!!!インド音楽ガイド』によりますと、タミルナードゥー州、アーンドラプラデーシュ州、ケーララ州、カルナータカ州の南インドの4つの州で発展してきたヒンドゥー教の賛歌の伝統が色濃く残る音楽で、音楽評論家の中村とうようさんによりますと、『本来のインドの伝統は南のほうが濃厚に受け継いで』いるらしいです!

スピってるぽい人のサイトからパクってきた地図

誕生の後に大きく2つに分かれるインド音楽の1つが南インド古典音楽、カルナータカ音楽。では、もう1つについて大東文化大学の小尾淳(おび じゅん)准教授の解説を、再犯して盗みます。

インドでは古来より「ヒンドゥー教」の神々を称える賛歌が歌われてきた。13世紀初頭に北インドにイスラーム王朝が成立して以来、ヒンドゥーの音楽伝統とペルシャの影響を受けたイスラーム的要素が融合し、北インド古典音楽(ヒンドゥスターニー音楽)が形成される

インド映画Note 『「シャンカラーバラナム 不滅のメロディ」楽曲の解説』

音楽を紹介する会社のオフィス・サンビーニャによりますと、インド北のヒンドゥスターニー音楽は、こんな音楽らしいですよ。

Ravi Shankar 「Tilak Shyam」 on The Ed Sullivan Show

ヒンドゥスタニー音楽は、サイト『魅惑の!!!インド音楽ガイド』によりますと、13世紀初頭にイスラーム王朝がインド北部の都市・デリーに成立し、イスラム文化の影響のもとに発展した北インド古典音楽で、シタールやサントゥール、タブラなどの楽器が主に使用されるそうです。

インド音楽にとって、13世紀はマジで大事な時代みたいで、インドの音楽研究者らしいB.C. デーヴァ博士は、本でこのように書いています。著作権を侵害しているのがインドまで漏えいしないことを神(トイレの)に願いながら無断転載します!

13世紀になると記念碑的著作が登場する。シャールンガデーヴァの『サンギータ・ラトナーカラ』(音楽の大洋)である。(中略)音階、ラーガ、ターラ、音楽形式、楽器ほか、多くの項目について非常に詳細に記されている。さらに重要な点は、これがおそらく北と南の音楽体系を扱った最初の主要な著作、という事実である。(中略)インド音楽が北と南の2つの体系に別れたのはこの時期であろう、と多くの研究者は考えている。

B.C. デーヴァ 『インド音楽序説』

民族音楽学者のピーター・マニュエルさんは著書『非西欧世界のポピュラー音楽』の中で・・・、『インドのポピュラー音楽は、南インド古典音楽(カルナータカ音楽)と北インド古典音楽(ヒンドゥスターニー音楽)の2つの芸術音楽の諸要素を取り込みながら、地域の人々の特別な好みとか民謡の要素とかを様々に反映する』・・・としながら、こうも指摘します。

ポップ音楽の商業性、より多くの聴衆にアピールしたいという制作者の強い願望が、聴衆の多様性を乗り越えた大きな広がりをもつ共通言語的な主流音楽を、実現する方向に進めてきた。(中略)
インドでレコード産業が紹介されたのは1902年のことだが、(中略)、インドのポップ音楽は、いまだに多様性を保っているというよりも、よくここまで共通性を持つようになったと驚嘆していいのではなかろうか。(中略)
ここまで均一化が進んだのは、ひとつには、同じ好みを持つマスの聴衆層を育て上げたいという音楽産業の当然の欲求に起因する。(中略)
もうひとつの要因として、大衆音楽で最大の部門を占めるのが映画音楽であり、映画産業がボンベイとマドラスに集中しているという事情がある。

ピーター・マニュエル 『非西欧世界のポピュラー音楽』

インドの音楽は、インド南のカルナータカ音楽、インド北のヒンドゥスターニー音楽に加えて、1900年頃に幕を開けたっぽいポップ音楽(ミュージック)がマジ重要みたいです。中でも、インドのポップミュージックは映画音楽が新しいカギみたいですよ・・・。

1931年、初めての有声映画『アーラム・アーラー(世界の美)』がトーキー時代の幕をあけ、無声映画は急速に衰微した。その年の終わりの時点で4つの言語による27本のトーキーが『アーラム・アーラー』のあとに続いていた。それらの多くに歌のシーンが挿入され、しばしば踊りも見られたが、こうして映画音楽というインド音楽の新しい分野、そしてもっとも特徴的な分野が生み出されたのである。(中略)
現在のインド映画の音楽は、西欧のポップ・ミュージックの影響を強く受け、ディスコの要素やエレキ・ギター、シンセ、ベース、ドラムスなどが一般的となった。キャバレの場面にはロック・バンドが出てくることが多い。

ピーター・マニュエル 『非西欧世界のポピュラー音楽』

1931年に幕を開けた音声つきの映画の音楽が、インドでは最初に海外のポップミュージックの影響を受けたみたいっすね。そんなインドのポップミュージックついて、大東文化大学教授で音楽学者の井上貴子さんの文献を、おまわりさんが出動するレベルでパクりますと・・・。

インドでは、1980年代までヒット曲のほとんどはフィルミーソング(映画の挿入歌)であった。このころまでは、インドのポピュラー音楽といえばフィルミーソングを指していたといっても過言ではない。

井上貴子 『インドのポピュラー音楽と音楽産業』

1931年に始まった映画音楽はその後、歌や踊りが加えられて、1980年頃にはインド国内でポピュラー音楽(ポップミュージック)として人気を牽引していたみたいですね。そのインドに1990年代、変化が起きるそうです。気になる次の展開も・・・。井上貴子さんの文献からパクります!\ おまーわりさーん /

1991年の本格的な経済開放政策への転換に伴い、情報が自由化され、国営のみであったテレビというメディアに民間の参入が可能になった。同年には衛星放送が配信されるようになり、MTVをはじめとする音楽チャンネルが登場すると、ポピュラー音楽シーンはドラスティックな変化を遂げた。テレビが娯楽の中心となり、映画の文脈から離れたポピュラー音楽がヒットするようになったのである。(中略)
テレビ時代の到来によって、ルックスもダンスも要求されるようになってきた。また、MTVは欧米のヒット曲の情報を大量にもたらした。とくに人気が高かったのはマイケル・ジャクソンやマドンナ、ハウスやヒップホップのようなダンス・ミュージックである。
新しいポピュラー音楽のジャンルの誕生を明確に印象づけたのが、1995年、アリーシャー(Alisha Chinai)の『Made in India』が大ヒットを記録したことだろう。(中略)彼女は、当時はまだインドでは珍しかったボブヘアで欧米風のファッションを着こなす現代的なルックスの女の子として「インドのマドンナ」とも称され、一躍アイドル歌手となった。その後、ルックスがよくてダンスができる女性歌手や女性グループが次々とテレビに登場した

井上貴子 『インドのポピュラー音楽と音楽産業』

古典音楽と映画音楽が中心で、1980年代までヒット曲のほとんどは映画の歌であったインドに、アメリカやヨーロッパのポップミュージックの入ってきたのは、テレビ業界への民間の参入が可能になったおよそ30年前の、1991年ですって!そして1995年に、”その後、ルックスがよくてダンスができる女性歌手や女性グループが次々と登場”するルーツで”アイドル歌手”、アリーシャー(Alisha Chinai)さんのヒット曲『Made in India』が、YouTubeにありましたよ!残暑に支払いを滞納して電気を止められる前に見るのがおすすめデス。(←サンドウィッチマンのコント「葬儀社」より)

Alisha Chinai 「Made In India」 Official Video

曲は、プロデューサーがイギリス系インド人のBidduさんで、インドの雑誌・The Score Magazineによるとカテゴリーはインド・インディポップ。この曲を収録したアルバム『Made In India』は、当時、映画音楽以外の音楽はほぼアンダーグラウンド、言い換えるならインディーズ(メインではない)だったインドで、ヒンディー映画音楽に匹敵する500万枚以上を売り上げたインドで最初のポップミュージックの作品、さらに国内にインド・インディポップシーンを形づくった作品でもあるそうですよ。まじリスペクト!(←NHK連続テレビ小説『あまちゃん』より)

では、1995年に映画音楽以外で花開いたインドのポップミュージックそして”アイドル”は、どのように現在へ繋がっていくのでしょうか。

インドの日刊新聞・The Times of Indiaは、2001年12月に『インド初のボーイバンドが歌に挑む(India's first boy band is on song)』という記事を発表。無料版ChatGPTによると、このような内容が書かれていました。

Clarity社のマネージングディレクターであるvinod g nairは、過去9か月間、インド初のボーイバンド、"A Band of Boys(ア・バンド・オブ・ボーイズ)"を作り上げるために努力を重ねてきました。彼は、250人以上の応募者をオーディションし、A Band of Boysを結成しました。来年2月に初アルバムがリリース予定のA Band of Boysについて、vinod g nairはこう言います。「ボーイバンドが世界中で成功しているからインドでもうまくいくだろうというのは甘い話です。しかし、私たちは自分たちを信じているので成功することを確信しています」。

The Times of India 『India's first boy band is on song』

"A Band of Boys(ア・バンド・オブ・ボーイズ)"については、インド・ムンバイのメディア企業・Perceptも、Vinod G Nairさんに行ったインタビュー記事でこう書いています。

2000年に、Vinod G Nairはインド初のボーイバンド「A Band of Boys」をプロモートし、インドで初めて音楽とアーティストの独立プロデューサー兼プロモーターとなりました。

Percept Limited 『Interview with Vinod G Nair, Managing Director, Clea Public Relations 11 September, 2008』

またインドのメディア企業・exchange4mediaや音楽配信サービスのSpotifyも、A Band of Boysが”(インド初のボーイバンド)India's first boy band”って書いています。
そのA Band of Boysが、2002年2月にリリースしたデビューアルバム『Yeh Bhi Woh Bhi』の収録曲&Videoが、YouTubeにありましたよ。

A Band of Boys 「Meri neend」 The Official Video

YouTubeの説明欄には、このように書いてあります。『2002年にリリースされたA Band of Boysの最初の曲は大成功を収めました!アルバムはプラチナム(※アタシ調べによると、売上10万枚)に輝きました。デビューした時のメンバーは、Sudhanshu Pandey(スダンシュ・パンディ)、Siddharth Haldipur(シッダース・ハルディプール)、Sherrin Varghese(シェリン・ヴァルギース)、Karan Oberoi(カラン・オベロイ)、Chin2 Bhosle(チャイタニヤ・ボスレ)です』。読み方は、サッカー選手がやるゴールパフォーマンスみたいな手を耳に当てるポーズでアタシがリスニングした結果なのでたぶん間違っていると思います。

ではボーイズグループに続いて、インドで最初のガールズグループは・・・、”マジで誰だ!”(Awichさんと電気グルーヴをマッシュアップ)

『推しの子』みたいに真相を探ったところですよ(インターネットで検索するだけ)、インドのメディア『Feminism in India』の2020年1月の記事を世界ふしぎ並に発見しました。

90年代後半から2000年代初頭は、インド音楽の素晴らしい時代でした。(中略)ハイライトは、2002年。インドの音楽シーンでとても特別なことが起こりました。初めて、ガールバンド(ガールズグループ)がステージに立ち、大ヒットし、若者にアンセムとなる曲を提供しました。(中略)彼女たちはインドで最初のポップスターでありました。

FII Jan 24, 2020

記事のタイトルには、こう書かれています。『VIVA!インド初のポップスター(VIVA! India’s First Pop Stars)』。さらに、『Viva インド初のガールグループ(Viva – India’s first girl group)』という記事を出したインドの新聞『ThePrint』によりますと、『2002年はじめ、テレビ局によってインドの女性だけのポップグループの候補者探しが行われた。そして選ばれた5人によって、インド初のメインストリームのガールズグループ”VIVA”は結成された。彼女たちは、Spice GirlsやDestiny's Childからインスパイアを受けていた』ですって。
インド初のボーイバンド・A Band of Boysが結成された2001年の翌年、2002年に”インド初のガールバンド(≒ガールズグループ)”がデビューしているみたいです。名前は、VIVA(読み方はたぶん、ビバ)ですって。Vivaについて、速度制限がかかったスマホで調べますと、インドのメディア・iDivaがすこし踏み込んで書いていました。

2002年、Channel Vはインド初のオールガールズバンド「VIVA」を誕生させました。彼女たちは「インド版スパイス・ガールズ」とも呼ばれました。彼女たちは、若い人たちの間で大人気となりました。曲「Hum Naye Geet Sunaye」のビデオは繰り返し再生され、その個性的なスタイルとエネルギッシュなパフォーマンスは当時としては斬新でした。

iDiva 『VIVA, Aasma, A Band Of Boys: Here’s A Heavy Dose Of Nostalgia!』

スパイス・ガールズは、ウィキペディアによると”イギリスの女性アイドル・グループ”ですって。そのインド版で、若い人たちの間で大人気となった、インド初のガールズバンド「VIVA」。2002年当時、インドのオタクの方たちが繰り返し再生したという曲「Hum Naye Geet Sunaye」のVideoが、インド警察に通報がいくレベルで違法アップロードされてYouTubeにありました。アタシと同じ違法アップロードファンの皆さん、どうぞ!

VIVA 「Hum Naye Geet Sunaye」

ChatGPTによると、曲名の「Hum Naye Geet Sunaye」は”ウチらは新しい歌をうたう”的な意味みたいです。VIVAは、1991年にテレビ業界へ民間が参入しアメリカやヨーロッパのポップミュージックがインドへ入ってきて、そして1995年に”その後、ルックスがよくてダンスができる女性歌手や女性グループが次々と登場”する元祖”アイドル歌手”のアリーシャーさんが登場した···、インドの新聞・The Telegraphによると”インドのポップミュージックで重要な1990年代後半から2000年代初頭の時代”の真っただ中・・・、2002年にインドのテレビ局・チャンネルVで放送されたリアリティショー『Coke V Popstars』で結成された5人組ガールズグループ。メンバーは、Pratichee Mohapatra(プラティチー・モハパトラ)さん、Neha Bhasin(ネーハ・バシン)さん、Mahua Kamat(マフア・カマト)さん、Anushka Manchanda(アヌシュカ・マンチャンダ)さん、Seema Ramchandani(シーマ・ラムチャンダニ)さん。カタカナ表記の読み方は全てGoogle 翻訳なので間違っていましたら、インド出身のスンダー・ピチャイCEOへクレームをよろしくです。

インドの新聞・The Printは2022年9月に出した記事、『Viva – インド初の女性グループで2000年代初頭にフェミニストアンセムを歌った(Viva – India’s first girl group that sang feminist anthems in the early 2000s)』でこのように書いています。

Vivaの最初のショーは2002年4月にムンバイで開催され、50,000人の観客を集めました。(中略)
新しい時代の幕開けに、Vivaはインドのポップカルチャーシーンで若い女性のアイコンとなりました。彼女たちはメタリックアイシャドウやホルターネックなどの際どいファッションやトレンドを取り入れ、称賛されました。(中略)
そして彼女たちは音楽で、男女の格差を打破し、”girl tribe(女性のコミュニティ)”の重要性について歌っていました。デビューアルバムには、女性のエンパワーメントをテーマにした曲『Kali Mai Diya Salaai』も収録。しかし、この曲は現在YouTubeでは視聴できなくなっています。

The Print 『Viva – India’s first girl group that sang feminist anthems in the early 2000s』

VIVAは2002年に『VIVA!』、2003年に『Viva! - Reloaded』の2枚のアルバムをリリースした後に解散したそうです。

そして、とうとう来たぜこの時が・・・(戦極MCBATTLE ver.の漢 a.k.a. GAMIさん)。2024年!インドでは、アリーシャー(Alisha Chinai)さんアーンドVIVA姐さんの後輩ちゃん、アタシ調べによると2組のガールズグループがデビューしています。まずはー!

W.i.S.H. 「Lazeez」 Official Music Video

2024年3月、ティーザーなどたぶんなしでNewJeans的に突然、インドのガールズグループシーンに現れた、W.i.S.H.(読み方はたぶん、ウィッシュ)。活動拠点は、北インドに属するインド最大の都市・ムンバイ。グループ名は、ヒンディー語で”世界がウチらのステージだ”って意味の”World Inka Stage Hai”の略ですって。メンバーは、Ri(リー)さん、Zo(ゾー)さん、Sim(シム)さん、Suchi(スチ)さんの4人。Ri(リー)さん&Sim(シム)さんは姉妹で、以前は”Simetri(シミトリ)”というポップデュオで活動。Zo(ゾー)さんもソロシンガーとしての活動歴があるらしいです。プロデューサーは、インド・ムンバイを拠点に活動するニュージーランド人の音楽プロデューサー、Mikey McCleary(マイキー・マクレアリー)さん。デビュー曲は、プロデューサーのマイキー・マクレアリーさん、インド・ムンバイのアーティスト・YÜVA a.k.a. Parth Parekhさん、メンバーのRi(リー)さんによって制作されたっぽいです。曲は、ラテンポップ調にトラップを加えていて、途中でラップが入ります。ChatGPTによると曲名の「Lazeez」はヒンディー語(ウルドゥー語でも)で”美味しい”って意味で、リリックでは”わたしはマジ美味な存在 味わったらあなたの心は打ちのめされる”的なことを歌っているみたいです。インド・アジア通信社によると、曲のテーマは自己愛とエンパワーメントで、インドの女性とかに”自分の美しさを受け入れて”っていうメッセージを込めているみたいです。Videoはプロデューサーのマイキー・マクレアリーさんが監督で、パフォーマンス映像に、たぶんインドのチョリとか衣装、食事、Queen感を足した感じでしょうか。

インドの新聞・Times of Indiaの記事でメンバーは、『VIVAがインドのガールズグループの道を切り開いた』『VIVAを復活させたい』と話していて、メンバーが4人で"look at me now"ってラップしていますがBLACKPINKよりも、インド初のガールズグループ・VIVAに影響を受けているっぽいですね。Videoの再生回数は、711万です。

W.i.S.H.はデビューから1か月後・・・、2024年4月に早くも2ndシングル曲をリリース!

W.i.S.H. ft. ‪MxRZI 「Galti」 Official Music Video

プロデュースはデビュー曲と同じ、プロデューサーのマイキー・マクレアリーさんとインド・ムンバイのアーティスト・YÜVA a.k.a. Parth Parekhさんのコンビで、編曲でメンバーのRi(リー)さんが参加。曲は、ディスコ調でインドのラッパー・‪MxRZIさんのラップが入ります、洗濯物干すのもHIPHOP、あとフェイクを業界から干すのが俺のHIPHOPって・・・ たぶん!途中に盛り込まれたスクリュー入ったビルドアップがK-Pop感あると、アタシは思いました。ChatGPTによると曲名の「Galti」はヒンディー語で”間違い”って意味で、リリックはたぶんヒンディー語と英語で書かれていて”お互い新しいヒトを見つけたよね でもねキミしか見えないんだ キミが頭から離れないんだ 間違いを一緒に犯そう そしてこの間違いはたぶん間違いではない”的なことを歌っているみたいです。VideoはインドのArsh Grewalさんという方が監督で、夜のプレースポット、廃屋、ストリート、檻の中に囚われたフィーチャリングの男性ラッパー・MxRZIさんとかをジャンプカットで繋いだりしています。あと3:37~、推しの子を決められる的なメンバーの紹介カットを入れています。Videoの再生回数は、398万です。

W.i.S.H.は、インドにおいてVIVA以来となる22年振りに”メインストリームを行く”ガールズグループとか報道されているみたいですが、デビューから3か月後の2024年6月に3rdシングルをリリースしています。しかも、ビジュアルが韓国の2NE1をアタシは思い出した、攻めてる感じです。

W.i.S.H 「Therapy」 Official Music Video

3曲目もプロデュースは、プロデューサーのマイキー・マクレアリーさんとインド・ムンバイのアーティスト・YÜVA a.k.a. Parth Parekhさんで、編曲でメンバーのRi(リー)さんが参加。曲は、ハウス調で0:39頃からインドの楽器・タブラっぽい音とかが入ります。リリックは英語で、”あなたは私の魂を奪おうとしてる 私はあなたのセラピーじゃないしあなたのモノでもない 今 私は自由"的なことを歌っているみたいです。Videoはプロデューサーのマイキー・マクレアリーさんが監督で、夜の世界と精神科病練、グラフィティと真っ白な壁、黒と白、パンクファッションと拘束着とかを映しています。Videoの再生回数は、453万回です。

そしてデビューからFIFTY足すFIFTYをかける2倍した日、2024年7月。W.i.S.H.は、4thシングルを発表・・・。←今ここ

W.i.S.H. 「Headrush」 Official Music Video

最新曲は、プロデュースに、プロデューサーのマイキー・マクレアリーさんとインド・ムンバイのアーティスト・YÜVA a.k.a. Parth Parekhさんのコンビに加えて、インド・ムンバイのシンガー・Blake D’Silvaさんが参加。曲は、4つ打ちのビートとポップで浮遊感あるメロディが、韓国のFIFTY FIFTY (피프티피프티)が2023年に起こしたミラクル「Cupid」を思い出します。リリックはたぶんヒンディー語と英語で、”とてもクラクラする あなたはエクスタシーみたいな存在 私の頭の中はあなたでいっぱいなの あなたもこの頭の中の高揚感を感じているの?”的なことを歌っているみたいです。Videoはプロデューサーのマイキー・マクレアリーさんが監督で、インド西海岸の街・ゴアで撮影していて、ひと夏や一夜の恋的なストーリーを撮っていると思います。Videoの再生回数は、266万です。

W.i.S.H.は今後について、『ポップミュージックを中心に(中略)、トラップ、ヒップホップ、ラテン、ダンスホール、EDMなどのさまざまなジャンルを取り入れ、またインド音楽の要素も含んだ音楽を作りたいと思っています』と発言していて、さらにインド音楽・映画音楽専門サイトのNEXT InDoorによると”海外展開を視野に入れ”ているそうですよ!


インドで2002年に爆誕した最初のガールズグループらしいVIVAの、もう1組の後輩も”世界を視野”に2024年にデビューしています。

BQUEENS 「MASTERPIECE」 OFFICIAL MUSIC VIDEO

2024年5月にシングル曲「MASTERPIECE」でデビューしたインドのガールズグループ、BQUEENS(読み方はたぶん、ビークイーンズ)。メンバーは、HappilyさんとNAngelさんの2人。曲はメンバーのNAngelさんが作詞作曲をした、インド感あるトラップ調のポップ。歌詞はたぶんヒンディー語で、ChatGPTによると”すべての仮面の後ろには女王がいる 顔を隠して自らの物語を語る BQUEENS 準備は万端 勝ちにいく”的なことを歌っているみたいです。Videoは、BQUEENSが振付けを行ったパフォーマンス映像系です。顔を隠しているのは、インドに根強く残る家父長制とかが関係がありそうですね。Videoの再生回数は、およそ1万です。

続きましては、インドのボーイズグループ。2024年にデビューをしたeydenさんみたいなインドのyoung gunsはいないと思いますが、新曲はリリースされています。

ESC 「Honest」 Official MV

北東インドが拠点らしい5人組のボーイバンド、ESC(読み方はたぶん、イーエスシー)。メンバーは、Sahilさん、Nolanさん、Lokeshさん、Rehaanさん、Pritomさん。デビューは2021年1月で、ESCは現在までに4曲をリリースしていて、「Honest」は2024年4月にリリースした5thシングルで最新曲。作曲は、これまでのESC作品の制作にも携わってきたと思う、Banshan Jahrinさん。曲は、R&B系でラップも入っています。歌詞は、YouTubeの翻訳機能によると”愛する人を失った 正直に言う ボクは無力だ”的なことを歌っているっぽいです。VideoはメンバーのSahilさんが監督で、暗い質感の映像の中でパフォーマンスとイメージを繋いだ感じです。Videoの再生回数は、1.2万ね。

2024年にインドのボーイズグループがリリースした新曲は、もう1曲あります。

MJ5 「OH PLEASE」 Official Music Video

MJ5(読み方はたぶん、エムジェーファイブ)は、2021年に「Bawaal」という曲で歌手デビューをしたインドのボーイバンドで、ダンスグループ。ダンスグループとしては、2013年に結成だって。活動拠点はムンバイで、メンバーは、Himanshu Golaさん、Rohit Singhさん、 Vishnu Kumarさん、Dennis Anthonyさん、Kartikさん。MJ5というグループ名は、キング・オブ・ポップことMichael Jackson(マイケル・ジャクソン)さんが由来だそうです。MJ5は、これまでに2曲をリリースしていて、「OH PLEASE」は2024年7月にリリースした3rdシングルで最新曲。プロデューサーは、デビュー曲「Bawaal」や2ndシングル「ZIDDI」を手掛けたDIXANTさんで、曲はカリブ海諸国で人気の”BassHall”というジャンルっぽいです。VideoはインドのSagar Zackさんが監督で、ダンスパフォーマンスとイメージ映像を合わせた感じです。Videoの再生回数は、27万です。

インドで、A Band of BoysやVIVAなどの第1世代っぽいポップミュージックグループが出てきた2000年代と、W.i.S.Hが筆頭と推測される第2世代っぽいグループが出てきた2020年代、その間に空白の時間がありますが・・・。インド音楽に詳しいライターの軽刈田凡平(かるかった ぼんべい)さんによりますと、インドでは2010年代になって多くのラッパーやロックバンド、電子音楽アーティストが登場してきたそうです。あとたぶん、楽器を持たないパンクバンドやヴィジュアル系エアーバンドも!