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オレのTHE FIRST 台灣偶像少女&少年組合團體

日本の首都・東京から南西へおよそ2100キロ。飛行機でおよそ3時間30分で行ける太平洋に面した島、台湾。面積は日本の九州とほぼ同じ広さで、およそ3万6000平方キロメートル。現在、2400万人ほどの人が暮らしているそうです。旅行会社によりますと、沖縄ととても近い場所にある台湾は、1年を通してとても暖かい常夏の気候に加えて、日本でも人気の小籠包や魯肉飯といったグルメ、そして様々なグルメが並ぶ夜市や中国美術のコレクションが並ぶ世界四大博物館の1つ『国立故宮博物院』、また高さおよそ509メートルを誇るタワー『台北101』や映画『千と千尋の神隠し』のモデルといわれる街・九份(きゅうふん)などがあって人気なんですって!あとキマりたい人には、合成ハーブ”梹榔(ビンロウ)”が人気だって! \ 風紀委員の方ー /

そんな台湾ですが、2015年頃からTWICEのツウィさんや(G)I-DLEのシュファさん、&TEAMのニコラスさんなど世界的に人気のポップミュージックグループのメンバーを輩出しています。
そんなツウィさんやシュファさんなど、彼らのバックグラウンドにある”台湾のポップ・ミュージック”について、中華圏の音楽が専門の音楽評論家・関谷元子(せきやもとこ)さんは・・・

(台湾で元から使われている言葉)台湾語のポップスは、上海映画『桃花泣血記』が台湾上映時の1932年に宣伝歌として作られた《桃花泣血記》が最初の曲といわれている

関谷元子『チャイニーズ・ポップの歴史と現状』

(シンガー・純純の)「桃花泣血記」の成功の後、いわゆる”台湾ポップス”という新しいジャンルの音楽がついにスタートし、次第に大衆に受け入れられるようになった

関谷元子『蓄音臺灣~日本統治時代の台湾音楽 1917-1943』

・・・って書いていたのを、アタシが映画泥棒並に盗んでネットにアップロードしたのが上記です!

純純演唱 「桃花泣血記」

1932年にスタートしたという、台湾のポップミュージック。その後はー・・・。

1950年代には、海外の作品も観られ数多くの台湾映画が作られそれらの主題歌が親しまれた。(中略)
1960年代にはテレビ局が次々と開局し、経済は成長。
1970年代はナショナリズムを鼓舞する愛国歌が作られる一方で(中略)、民歌(フォークソング)運動が起こる。
1980年代の台湾ポップス界は、一言でいえば、商業化である。レコード会社が創設され、制作・宣伝の面も進化、音楽産業が本格的になった。さまざまなタイプのコンポーザー・アーティストが出現。(中略)
1987年、戒厳令解除。民主化が始まり、自由な表現活動でポップスを一気に元気で力のあるものにしていく。(中略)
1990年代前半は、香港スター(中略)、アイドル・グループ草蜢(グラスホッパー)が台湾でも大成功。(中略)
1990年代後半、とうとう台湾ポップスが中華圏の中心に躍り出た。

関谷元子『チャイニーズ・ポップの歴史と現状』

以上、『千葉雄喜』さんから勝手に『勇気貸し』てもらいまして、関谷元子さんの文章をふんだんにパクって&ネットに書き込みました!台湾については、万物評論家の丸屋九兵衛(まるやきゅうべえ)さんも2014年に出した著書『史上最強の台北カオスガイド101』の中で、台湾は”中華圏最強の音楽輸出”エリアだと書いています。
そして2015年以降は、中華圏の枠を超えて、世界的に人気のポップミュージック・グループのメンバーを送り出しているに至るんですが・・・。

TWICE 「Like OOH-AHH(OOH-AHH하게)」M/V

アタシ撮影 @ TOWER RECORDS SHIBUYA 2017.07.04

TWICEのツウィさんや(G)I-DLEのシュファさんとかの、ニキ&ネキ・・・。中華圏最強の音楽輸出エリアの台湾で、最初にポップミュージック・グループをやった激レアさんはダレなのか?気になったので2024年にもなってナイツみたいに、ヤホーで調べてみましたよ!

すると、アメリカの音楽に関するデータベースウェブサイト『Discogs』に、こんな表記を発見です。

'City Girls' is Taiwan's first girl group launched in the 1980s.

城市少女 Discography

続いて、台湾のニュースチャンネル『三立新聞網』にも同じような文章を見つけました。

台灣第一個偶像少女組合團體「城市少女」

三立新聞網SETN 2020/01/29

キーワードっぽい「City Girls」と「城市少女」を、まだまだヤホーで検索します!すると中国語版ウィキペディアが、ヒットしました。文章をChatGPTに訳してもらいますと・・・、『「城市少女(City Girls)」は、1980年代に台湾でデビューした初のガールズグループで、メンバーは況明潔(クワン・ミンジエ)と黄雅珉(ホアン・イヤミン)の2人。彼女たちは1985年末にファーストアルバム『拉手』をリリースして正式にデビューしました』ですって。台湾の日刊紙『聯合報』も、『城市少女は、況明潔と黄雅珉の2人によって結成され、台湾でフレッシュなイメージで人気を博しました。彼女たちは台湾のアイドルガールズグループの元祖でした』的なことを報じています。城市少女(City Girls)は、「Twerk」とかの曲で有名なUS・マイアミ出身の女の子ラップデュオではございません。こんな、2人組ポップグループです!

城市少女 「年輕不要留白」 MV

城市少女は、日本で70~80年代に人気だったピンクレディーとかの影響があるっぽいですよ。
台湾は、二・二八事件をきっかけにした1947年、アーンド国共内戦で敗れた蔣介石政府によって1949年~1987年のおよそ40年に渡って戒厳令下に当時あり、日本に関する文化とかの輸入が規制されてたらしいんです。(ニュースサイト『Taiwan Today(略称はTT!)』の記事をチョップ&フリップ)。一方、海を隔ててすぐの日本では同じ頃に、AKBや坂道とかの総合プロデューサー・秋元康さんも関わっていたアイドルグループ・おニャン子クラブなどが人気。『K-POP 新感覚のメディア』の著者・金成玟(きむそんみん)さんの言葉を引用しますと・・・

80年代に「黄金期」を迎えていた日本のアイドル

金成玟『K-POP 新感覚のメディア』

そんな日本で黄金期を迎えていたアイドル文化に、日本を旅行などで訪れた台湾のプロデューサーたちが興味を持ち、台湾でも独自の”アイドル”を誕生させることにも興味を持ったのが、台湾のポップミュージックグループ爆誕の背景にあったらしいです。韓国のK-Popと、かなり「始まり」と「時代」が近いです・・・小学生のときに足し算と引き算を逆に覚えてテストで0点をゲトった、アタシ調べですけどー!

では続いて、覚えたての俺的パワーワード”台灣第一個偶像少女組合團體”を使いまして・・・、TWICEのツウィさんや(G)I-DLEのシュファさんとかのネキに続いて、ニキはダレなんだい?!と、なかやまきんに君の言い方で中華圏の人にしつこくヤホーで聞いてみます。すると。
台湾のラジオ『Rti 中央廣播電臺』、女性向けメディア『PopDaily』、さらに台湾の大学である輔仁大學から出た論文『論台灣流行音樂偶像團體:小虎隊』、あとあと中国語版ウィキペディアなどで、”台灣第一個男子偶像團體”のワードが鳥居みゆきさんのギャグ並にヒットしました!そこに載っていた名前は、「小虎隊」!

小虎隊 「青蘋果樂園」 官方正式版MV

小虎隊(シャォフードゥイ、英: The Little Tigers)は1988年10月、オーディションに合格した呉奇隆(ニッキー・ウー)さん、陳志朋(ベニー・チェン)さん、蘇有朋(アレック・スー)さん、の3人で結成。城市少女がデビューした1985年から4年後で、台湾で1987年に戒厳令が解除されたあと民主化が始まり自由な表現活動でポップミュージックが力あるものになった、1989年にデビューをしたボーイズグループだって。小虎隊は、日本で1981年に結成された台湾でも人気があったジャニーズ事務所の男性アイドルグループ・少年隊の影響を受けていて、小虎隊のデビュー曲↑の「青蘋果樂園」は、少年隊の曲「What’s your name?」のパクりではなくカバーなんですって!台湾のポップミュージックグループも、韓国”K-Pop”やタイ”T-Pop”と同様に最初は日本のアイドルの影響を受けていたんですね。そしてタイやフィリピンみたいに、台湾のポップミュージックグループも、まず女性から始まって、そのあとに男性グループがデビューしたっぽいですね!・・・知らなかったです。小学校で0点を取った後に、中学で英検5級に落ちて、大学で留年をしたバカだからー!

それから、およそ45年が経った今年、2024年。1月に行われた台湾総統選と立法委員(国会議員)選で、”台湾の自治権を主張する”民進党の頼清徳(らいせいとく)さんが勝利した一方で、立法委員(国会議員)選では”対中融和”を掲げる国民党が民進党を上回って第1党となったそうです。中国の習近平国家主席は、台湾”統一”は必ず果たさなくてはならないとしています。
中国では2021年8月、”アイドル規制”が出されています。さらに2023年、中国カルチャーを20年以上ウォッチしているライターで翻訳家の小山ひとみ(おやまひとみ)さんは中国発のアイドルグループがいなくなる!? 低迷する中国アイドル業界のいま』という記事を書いています。

台湾にも・・・、そんな未来が、近くに待っているのでしょうか。もしくは、“路上の伝説”になる未来。それか、みなとみらいか志田未来!(※敬称略)