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 それほど人付き合いに優れていなかった僕には、子供の頃からの友達が一人いる。
 親が友達同士であったせいもあり、親が通っていた教会が同じだったこともあり、生まれて間も無くから友達であった。友達になった、のか、それとも友達として生まれたのか、よく見当がつかない時もある。
 しかし、大学に進学するころから、顔を合わせることが少なくなった。
よく人は言う。何の連絡も取り合わずにいても、ひさびさにあっても楽しく話ができ、時間を過ごせる人こそが本当の友達であると。
 そのことに異見はない。彼と僕はそういう関係であると思う。だが、日本に留学することになり、さらには大学院にも進んでしまった今、彼との出会いはほぼ途切れているようだ。
 昨日、その彼から連絡が届いた。普通によくある話を交わした。僕は彼にインスタグラムのフォローを頼んだ。彼のニュースが聞きたかったからだ。だが、彼はアドレスは持っているものの、それは空っぽだった。
 だが彼は、僕のインスタグラムに貼ってあったノートのURLを見て、ここに文章を書き続けてくれと頼んだ。
 彼は日本語を勉強するつもりでいる。僕は、文章を書き続ける良いきっかけができたつもりでいる。だが、各々の”つもり”が、また別の効果を生み出すのではないかと、密かに思うことも確かだ。
 その確かな思いをここに書き続けたい。

 ここには、大雑把に言えばその日に感じたあるモノ(物、者、もの)について、書きたいと思う。それは、以上の三つのモノに含まれることもあれば、含まれないこともあるかもしれない。だが、便宜上”モノ”とさせてもらう。
 この”モノ”についての、一般にはくだらないが、僕にとっては大事な思考を巡らせたいと思う。そこには、過去はあっても間違いはない。それは生きている僕の話である。

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