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愛情のある距離とは

親から過干渉を受ける環境で過ごしてきた人たちは、人に対する適切な距離というものがわからなくなることがあります。


何をするにしても親からの干渉が過ぎていた場合、そのような関係が大切な人に対してとる愛のある繋がり方だと思い込んでしまいます。

その結果、自分も親しい人に対して干渉をしてしまったり、逆に相手から干渉されないことを不安に感じたりしてしまうこともあります。

どこかで聞いたことがあるかもしれませんが、見捨てられ不安というものを感じてしまうのです。
その名の通り、大切な人が自分の元を去ってしまうことを過剰に恐れます。


相手をコントロールし相手にコントロールされる距離や関係こそが、愛のある関係なのだという誤った考え方が根付いてしまい、相手に干渉されないことを不安に感じてしまいます。
お互いの行動が、全て目に入る距離でなければ満足できないのです。



そもそも、自分以外の人は家族であれど全て他人です。
他人の行動を全て把握していること、また、行動を制限したりコントロールすることは通常は不可能なのです。

しかし、親から干渉されて育ってきた人にとっては愛されることは干渉を受ける関係だと思っているため、他人との距離感を見誤ってしまいます。

「あの人と会ってはいけない」
「親との時間を優先しろ」

親からそう言葉にされたり態度に出されたりしてきた人は、恋人や配偶者などの近しい存在との間でも似たような関係になりやすいのです。
そして、そのような関係を築くことこそが愛情だと思い込んでいます。



健全な人同士の関係というものは、もちろん自分と相手との時間を大切にしますが、お互いのために時間を割きすぎることはしません。

自分にも相手にも家族がいて友達がいて、職場の同僚や所属しているコミュニティがあるのを理解しているからです。
それらの自分以外の人間関係やコミュニティは、自分の目につかなくても当然のものと捉えています。
むしろ、当たり前のことすぎるため、そのような意識すらしないかもしれません。

そして、パートナー以外の人たちとの時間も大切にしながら、その内の一つの関係としてパートナーとの時間があるのだとわかっています。


しかし、親から過干渉な環境で育った人たちには、そのような考え方がありません。

お互いの距離が近ければ近いほど、相手の行動が目につけばつくほど、自分のテリトリーの中であるほど、安心感があり愛情を与え合っている関係だと思っています。
親からそのように接しられてきたので、それこそが愛情だと思ってしまうことは当然のことです。



恋人や配偶者、パートナーとの関係というものは、数ある内の一つの関係であって、一つの関係だけに縛られてしまうことは健全ではありません。

色々な人との関わりがある中で自分の世界は広がり、多様な考え方や価値観などがあることを知り、自分のものとして取り入れていくことができるのです。
人との繋がりを断ち、自分の価値観だけで成り立つ世界に自分自身や相手を閉じ込めてしまうことは、自分と相手だけの狭い世界に閉じこもってしまうことになるのです。
その結果、人として成長するたくさんの機会を奪ってしまうことになります。


親から過干渉を受けてきた人にとって、パートナーとだけずっと一緒にいるということを手放すことは、最初はとても怖いことだと思います。
不安を強く感じる時間を過ごすこともあるでしょう。

また、恋人やパートナーに対して、相手以外との時間を作ることに罪悪感を感じるときもあるかもしれません。

しかし、自分の親が過干渉にあなたのプライベートの時間や空間に割り込んできたことは異常なことであり、健全に過ごしてきた人たちからすると、恋人やパートナーが自分以外の人との時間を過ごすことに何も違和感を覚えることはないのです。
だから、あなたは存分に色々な人たちとの関係を楽しんで良いのです


二人だけという時間の過ごし方を手放し、相手も自分もそれぞれの時間や環境、人間関係を過ごし、それらをまた二人で共有することこそがお互いに成長し合える関係となるでしょう。

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