ケンブリッジ大学学部留学への軌跡

ケンブリッジでの留学も終わり、今週日本へ戻るので、留学までの軌跡、留学中の様子をまとめた記事をメモとして残そうと思います。


留学しようと思い始めたのは確か高校3年生も半ばくらいの時、

親に捨てられやさぐれたままほとんど高校へ行かなかった1、2年生の頃より少しだけ更生し始めた頃。

いやそんなに遡るんかい。

先輩に借りた池田潔の『自由と規律』を読んで、なんとなく抱いていたこの国に対する嫌悪感が、海外へいきたい、イギリスで勉強してみたいという気持ちに変わった

その時の読書メモは今でも読み返すなあ


大学に入学したら、ますます留学しようと思うようになり意識たかそうなHGPの授業をとったりしました

学部2年でIELTSかなんかを受けたら6.5くらいで、行きたかったオックスフォードには到底行けなそうで悲しかったなー

と言ってもろくに勉強しなかったのが悪いが。

そして留学の時期を一年遅らせた、休学/留年を織り込んで。


学部3年で少しまともにIELTSの勉強をして、なんとか目標の点に達し、ケンブリッジ大学留学の奨学金にアプライした.

通常£40,000以上する学費/滞在費を全てカバーしてくれる奨学金を如水会が提供してくれていた。(Oxbridge/Harvard/LSEのみ)

ここでは面接とかがあったけど、素直に自分の学問的興味を話して、どんなところに惹かれたのかを話した。

終わった瞬間にああこれは多分受かったな、と確信した。なんとなく。

そして如水会グローバルリーダー留学の奨学金をゲットすることに成功した。


この時点で僕は「ケンブリッジ大学への留学決まった」と公言した。


けど実際はここからだった。奨学金のアプリケーションなんて正直温かった

本当の地獄がここから始まった。


勘違いしている人も多いだろうが(なんと、それまで僕も勘違いしていた)一橋大学とCambridge Universityの間にはなんのコントラクトも提携も存在しない。

ぼくは完全に「個人」として応募しなくてはいけなかった(その時知った)

University of CambridgeのStudy Abroad Programmeの定員はわずか30名ほど。

Applicationに必要だったのは、

・Transcript (GPA)

・Reference (at least more than one)

・Two academic essays

・IELTS overall7.5以上 (RLWSそれぞれ7.0以上)

だった、あとは細々とした書類など。

GPAは問題ない、当時の僕のGPAはほとんど4に近かった。

Referenceも問題なかった、所属するゼミの教授、1-2年生でお世話になったすごい教授の二人にお願いした。

問題だったのはacademic essay. しかも2本.

バカだった僕は”academic essay"をGoogleで検索することから始めた、それくらいにやばかった。

どうやらいわゆるレポートとは違い学問的価値をそこに付加させた英語の短い論文のようであった(当たり前)

困った。そんなのほとんど英語で書いたことなかった。

しかしどうにかして書くしかなかった。取り掛かったのは2017年9月ごろ。applicationが始まるのは2017年12月1日。

Cambridgeではrolling basisを採用していていわゆる出願が早い方が有利な制度だったので12月1日には応募したかった。


当時のぼくの状況はというと、ゼミが始まり授業でそこそこ忙しいだけでなく、バイトで昼勤を1つ、夜勤を2つ掛け持ちし、サークルは2つ、うち一方の幹部みたいなこともしていた。

当時のスケジュール帳には英語のacademic essayを2本も書いている時間なんてとてもじゃないがなかった

でもやるしかなかった、奨学金とったし、公言もしちゃったし。


授業の合間とかに図書館行ったり、夜勤のない日に寝ずに書いたりしていた。

プライドの高いぼくは誰かに相談することもせず、完璧になった原稿を誰かに見せてちょっと校正してもらって出そうと思っていた。

そのせいでめちゃくちゃ時間がかかった。

この時は、トルコのエルドアン政権をハーバーマスの政教論を援用した宗教社会学的視点から分析した論文(のちに査読通過しe出版)と、エスピンアンデルセンの福祉国家論を欧州3カ国の高等教育政策に拡大した比較分析の論文を書いた。

我ながらよく書けたと思った

完成したのは11月下旬、めっちゃギリギリでゼミの教授に見てもらい、結構いいと言われたので結局そのまま出願した。

なんとか間に合った。間に合わせた。


12月1日に出願して、連絡がきたのは1ヶ月半後、いやおせえよ

IELTSの要件を満たしてないので再受験しろと言われた。

は????

・IELTS overall7.5以上 (RLWSそれぞれ7.0以上)

それぞれ7.0以上に達してなかった。何が達してなかったか忘れたがSかWだった気がする。

だっっっっっると思いながらここで諦めるわけにはいかないので毎日Writingしまくる生活になった。

書く際には辞書をたくさん使い、実際の時間の半分でとにかく規定字数を書き上げる訓練をした。辞書で質を補い、スピードで量を伸ばすのが自分にはむいていた。80pのノートを数冊使ったので200本くらい書いたのではないかと思う。


この冬は学費が結構やばくて週10バイトで月30万近く稼ぐバイトのシフトを組んでたので死ぬと思いながら頑張った(+テスト期間(GPA4.0キープしなければいけない)+複数バンド掛け持ち)

正直両立はできてなかった、幹部なのにサークルの方がおろそかになったのは申し訳なかった、自分本位になるしかなかった。


そして3月、こちらもなんとか達成した(overall 8.0)。なんとかって一言でいうとめっちゃ簡単だけど本当に本当にしんどかった

英語の勉強って先が見えない、上達している気がしない、しかし孤独に自分と向き合う必要がある

それと単純な時間ないとかだけじゃなく、様々なプレッシャーとか。


4月、CambridgeからCongratulations!と書かれたメールが届く。

めちゃくちゃに嬉しかった。半年間続いたストレスから解放された。

けどすでに留学行くって公言していたし、すでに休学して世界旅行をしていたので喜びは胸の内に秘めた


時は進み留学が始まる。

to be continued

#Cambridge #GlobalLeadersProgram #IELTS #StudyAbroad




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