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11/1ななにー:セクハラ芸で笑えなくなった自分に気付く

※全編通して自分語りで、出演者に対する感想はありません。

EXITド新規ファンの私、11/1のななにーをリアルタイムで観ました。その内のひとつ、貴さんと懐かしのバラエティをやろう!というコーナーでそれは起きました。

「あれ…?貴さんのみちょぱに対するセクハラ芸、全然面白く感じない」

ここでの私の困惑は「令和の時代に何やってるんだ」とか「セクハラは良くない」とかそういうことではなく、「子供のころはこれを見て笑っていたはずなのに」という点です。

あの頃の私

私が子供の頃というと90年代後半~2000年代の平成初期で、テレビはバラエティ全盛期だったのかなぁと思います。ゴールデンタイムは歌番組、お笑いネタ番組、バラエティ番組が沢山あって、今では主流の知恵番組は「伊東家の食卓」くらいだった記憶です。
バラエティ番組では多少のセクハラ当たり前で、胸のサイズは~とか、男性が迫って女性が逃げるとか、お触りにどこまで耐えられるかとかが、ある種女性タレントの根性試しになっていました。
子供の私はそれを見てケラケラ笑っていたし、画面の中の演者と一緒に「この子はこんなことまでやれるんだから売れる!」なんて評価したりしていました。

今の私

それが今や、その時代のセクハラ芸に比べたらはるかにライトな貴さんからみちょぱへのセクハラ芸を観て、笑うどころか不快に感じたのです。
最初は、「私もコンプライアンス意識が高まったのかな、価値観がアップデートされたのかな」なんて思いました。でも考えれば考えるほど、それが原因ではないようなのです。
普段、漫画やドラマでセクハラ表現があったとしても、「この物語の中ではそういうものだ」として気にしちゃいない。本当にその辺の意識が高ければ、これらにも引っかかるのではないかと思うのです。

私に起こった変化

では何が違うのかというと、たぶん、あの頃の私にとってセクハラはファンタジーだった。
特に怖い思いをしたことのなかった子供の頃の私にとってセクハラはテレビや漫画の中のものであり、ただのシチュエーションのひとつとして捉えていました。
それから少しずつ大人になる過程のなかで、痴漢に遭ったり、怖い思いをしたり、セクハラを受けたり目にしたりして、私にとってセクハラは現実のものとなりました。貴さんにギリギリの下ネタを言われて苦笑いするみちょぱを見ながら、自分の経験と結び付けられるようになってしまった。これが、根本の原因かなぁと思います。

なぜバラエティだと不快なのか

ただ、前述したように、私は今でも漫画やドラマでセクハラ表現があっても「その世界のこと」として流しているのに、なぜテレビや今回のネット番組だと自分ごととして不快に思ってしまったのでしょうか。
思うに、そういったバラエティは台本があっても基本的には「その場で起きていること」としてお届けされる。フィクションとリアルの境界が意図的に曖昧にされているのです。だから、リアルのように錯覚してしまったのだと思います。

ネット番組を観て、テレビの可能性を感じる

そんな私のように、セクハラ芸を観て不快になる視聴者に対してテレビがとりうる行動は、
 ①無視する
 ②フィクションですよと強調する
 ③セクハラ芸をやめる
の3つかと思うのですが、③を選択したのが今の状況なのでしょう。
それは、テレビがあらゆる人に愛されることを目指しているからなのだと想像します。
私が大人になりかけのとき、ちょうどテレビのバラエティの在り方が問題になっていて、過激な表現やハラスメント芸はバッシングを受けるようになっていました。そしてテレビ番組は様変わりし、当たり障りのない知恵番組やクイズ番組、グルメ紹介番組だらけになり、私はテレビを観なくなりました。
この時の私は、「昔のテレビは楽しかったのに、牙を抜かれてつまらなくなった」と思っていました。過激な表現やハラスメント芸なしでテレビが面白くなるわけがないと思っていました。

それから10年以上経ち、YouTubeからEXITを知って彼ら目当てでまたテレビを観るようになった私は、驚きました。過激な表現やハラスメント芸がなくても、面白い番組が沢山あるのです。ぽっかり空いた10年ほどにどんな試行錯誤があったのかは知りませんが、等身大の自分がなんとなく合わせたチャンネルで笑えることに、妙に感激しました。

今回、いろいろと考えるきっかけになったのは11/1のネット生配信番組のななにーで、セクハラ芸を除けばとても楽しい番組でした。ただ不思議と、それを観ながら「今のテレビは、今の私が楽しめるものになっている」と再確認できたのでした。

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