日々是レファレンス 光村図書「教科書クロニクル」
仕事に倦んでYahoo!ニュースを見たとき、「光村図書出版株式会社は、Webコンテンツ「教科書クロニクル」に新機能を追加して、2024年6月17日にリニューアルオープンした」という記事を読んだ。
この記事で「教科書クロニクル」を初めて知ったのだが、自分の生年月日を入力すれば、小学校1年生から中学校3年生までの国語の教科書を検索できる(当たり前だが光村図書のものに限る)というWebコンテンツで、そこに今回、ものによってはあらすじや挿絵が挿入されるというのが新機能として追加されたとのことだ。また、その教科書が発刊されていた頃の流行や出来事なども表示されるようになっているらしい。
クソ仕事に倦みつかれた僕は早速「教科書クロニクル」を検索し、生年月日を入力した。検索されたいろんな作品に、ああそうだったそうだったと、懐かしさからクソ仕事中にもかかわらず涙がこぼれそうになった。
僕の教科書クロニクル(抜粋)
<小1のとき>
「たぬきの糸車」岸なみ
「キーカラカラ キークルクル」という擬音語が印象的な、おかみさんとたぬきの交流譚。小学校低学年はこの手の話が多いような気がする。
「チックとタック」千葉省三
古い壁掛け時計に住む妖精のちょっとコミカルなお話。小学生にもわさびは辛いもんね。
「花いっぱいになあれ」松谷みよ子
何かに愛情を注ぐことの美しさをこの話ではじめて知ったような気がする。あとひまわりの種が食べられるということも。
<小2のとき>
「スイミー」レオ=レオニ 谷川俊太郎訳
有名な話やけどね。僕はそんなに好きではないんですよ。
「お手紙」アーノルド・ノーベル 三木卓訳
みんな大好き、とても仲良しのがまくんとかえるくんのお話。当時もいい話だなと思ったけど、歳を取るごとにその尊さが骨身にしみる。三木卓の翻訳が天才なのかもしれない。
「スーホの白い馬」大塚勇三
モンゴルの馬頭琴発祥の伝説。
<小3のとき>
「手ぶくろを買いに」新見南吉
動物交流譚その2。ちなみに僕は「ごんぎつね」が好きではありません。
<小4のとき>
とくにない
※「ごんぎつね」はこの年ですが、好きではないので書きません。
<小5のとき>
「海雀」北原白秋
短い詩だが、文章にとってリズムがいかに大切かということを教えてくれる。言葉遣いが美しく、視覚的でもある。
「わらぐつの中の神様」杉みき子
今思えば赤面モノのラブロマンスだが、ちゃんとこういうのを選んでるのもいいよね。
ちなみにこの年、星新一と小松左京が掲載されているのに筒井康隆が載っていない。どういうことだ。僕はこの頃まだ筒井康隆を知らなかったので、教科書に採用されていたならもっと早くツツイストになっていたかもしれないのに。あーでも筒井康隆、角川書店の教科書に「無人警察」が掲載されて日本てんかん協会から文句言われて教科書から削除されて「あたしゃ、キれました。プッツンします」と断筆しちゃったので、そもそも教科書とは縁がないのかもしれない。僕はその後、中1のときに『文学部唯野教授』で筒井康隆と邂逅する。
<小6のとき>
「やまなし」宮沢賢治
みんなご存じクラムボン!
「最後の授業」アルフォンス=ドーデ 神宮輝夫訳
今まで使っていた言葉を明日から使えなくなるとはどういうことか。民族固有の言語や文化について、平易な文章で書かれている。僕はこの話で、アルザス=ロレーヌ地方というところを知った。ちなみにこのアルザス=ロレーヌを取り巻く言語的状況はなかなかに複雑であるらしく、この作品で描かれているのも一面的な理解であるようだ。そういったところから「最後の授業」は1985年以降は教科書に採用されていない(ということを今回初めて知って驚いた)。
<中1のとき>
「朝のリレー」谷川俊太郎
カムチャツカ半島をこの詩で知った人は多いのではないか。
「大人になれなかった弟たちに……」米倉斉加年
戦争にまつわる悲しい話だが、大きくなってから読んだ『ドグラ・マグラ』(夢野久作)の表紙の絵にドン引き。
「少年の日の思い出」ヘルマン・ヘッセ
『車輪の下』で知られるヘッセのアナザーダウナー作品。まぁ暗い。暗いのになんでこんなにひきつけるんだろうね。
<中2のとき>
「言葉の力」大岡信
染色家志村ふくみさんの桜の話。さすがは大岡信といった文章。
「盆土産」三浦哲郎
今すぐにエビフライが食べたくなるが、そばも食べたくなる。出稼ぎのことや当時の社会状況などがちょっぴりのペーソスで垣間見える。
「字のないはがき」向田邦子
僕の中のベストオブ国語の教科書。向田邦子のアレなんだったっけ?と思う人は僕だけではなかったらしいということがこの漫画を読めばよくわかる。
「走れメロス」太宰治
超有名ですけどね。僕はこの話あんまり好きでねえんですよ。
<中3のとき>
「民族と文化」本多勝一
エスキモー(イヌイットと呼ぶべきなのだろうが、古いエッセイでもあるし、使われている言葉をそのままに)の言葉には「雪」を示す言葉がたくさんあるといった、アンミカを先取りしたような話。日本語の「こもれび」を指す言葉が、他の言語にはないみたいなニュアンスの話っすかね。
「わたしを束ねないで」新川和江
『カイワレ族の偏差値日記』(村崎芙蓉子)という高校受験を題材にした自伝的小説にも取り上げられた詩。この小説はNHKでドラマ化もされ、僕の母親がえらい感化されて鬱陶しかったのを覚えている。でも、この詩自体はみずみずしくていいと思うんですよ。
とまぁ、教科書というのは、良質なレファレンスなのだなぁとあらためて思うわけですよ。たぶん中学校以上だと思うが、教科書の巻末に掲載されている読書案内があって、僕はそこでル=グウィンの「ゲド戦記」シリーズを知った。こんなのがさ、タダ同然で読める義務教育ってのは有難いもんだねぇ。
ところでこの「教科書クロニクル」、同様のものが各教科書の出版社のウェブサイトにあるが、光村図書のものが一番充実している。いやぁありがたい。
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