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街は言葉に溢れている

皆さま、いかがお過ごしでしょうか。らいとそーだ、と申します。
今回はちょっと思うところがあったので、私の思うままに文章を書いてみます。
 
街は言葉に溢れている。人混みの中を通過する度、言葉が脳内を埋め尽くす。例えるならば、ニコニコ動画のコメント欄のように、凄いスピードで表示される。印象に残るコメントもあれば、霧のように消えてなくなってしまうものもある。そういうのを見ていると、私は自分自身の世界を作り上げたように思えてくるのだ。
 街から自分の脳内へと言葉が流れ込んでくる。それが非常に心地よいと感じて、耳コピした音楽をBGMに継続している。道行く人々の容姿やファッションや、会話の内容などが全て文字化されて頭にスライドされる。もちろん、直ぐに忘れてしまうので、あまり意味のないことだ。
 そんなある日、異変が起こった。女子高生の後ろを歩いていた時に、言葉が分からなくなってしまった。何を話しているのか、まったく理解することができない。異国の言葉を話しているように聞こえるのだ。その時、老夫婦が私の後ろを歩いていることが分かり、思わず後方に意識を全集中させた。次に向かう商業施設の話をしているらしく、とても分かりやすい話の内容であった。
「とうとう、私は頭がおかしくなったのかな」
 そう思いかけていた思考回路はピタリと止まった。脳内BGMが、やけにうるさく感じた。何故、若者の話が理解できなくて、年を取った人の話が聞き取れるのか。おかしな話である。通常であれば、年の比較的近い女子高生の話が心地よく感じるのに。
 電車に乗り込んで席で眠ろうとした時、やかましい声が聞こえてきた。まさか、と思いそっと眼を開けると、案の定スカート丈の短い女子高生たちであった。やはり、こちらも何を言っているのか聞き取れなかった。幸い、彼女たちはしばらくして下車したので、ゆっくりと眠って乗り換えをすることができた。
 
 一体、私はどうして女子高生の言葉が理解できないのか。そのようなことを空き時間に考えていた。こんなことをしていると、周囲から「暇だからそんなことを考えるんだよ」と言われることであろう。ただ、私にとってはかなり重要な問題であった。
 女子高生……それは、すなわち若者だ。ということは、若者言葉に対して知識が不足しているのか? ただ、私も若者の部類に入る年代に生まれている。ひょっとして私は、若者言葉を無意識のうちに忌避しているのか? うーむ、イマイチ原因が分からない。とりあえず、今はこういうことにしておこう。私も数年前までは女子高に通う、ごく普通の女子高生だったのだ。あまり、自分より下の世代を悪く言うのも、過去の自分をけなしているようで気分が悪くなる。
 



 
 街に言葉は溢れ、私の頭にも流れ込んでくる。たまに、人の陰口(大っぴらに言っているので悪口か?)が聞こえることもある。そういう時には、脳内BGMを変更して一青窈さんの「ハナミズキ」を流す。何故かって?
 
「お先に~行きなさい(逝きなさい)♪」
 
 人が傷つくような言葉が消えるのが望ましいが、そんなことを言っていたら、お笑い芸人のツッコミ役が仕事を失うこととなる。というわけで、そういう言葉を自分が軽く受け流し、あわよくば脳内シュレッターで細かく粉砕できればと思う。
 小学生でもわかる論理だ。人が傷つくようなことを言ってはいけない。もし言ってしまったら、その分「優しい言葉or思いやりの行動」を心掛けるようにすると良いのではないだろうか。広告の裏にでも書き出し、脳内で自分なりに言い換えた後、ハサミで切って捨てるのもいいだろう。
 
 言葉は使い方によって、良くも悪くも人を変えてしまう。褒められればたいていの人は嬉しくなり、怒られれば落ち込む。だからこそ、私は「明るく爽やかな言葉」を普段から心がけている。そこに笑顔が加われば、もう文句無しではなかろうか。
 
 
 
明るく爽やかな人でありたい。
らいとそーだ

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