土井浩史

リハビリの仕事に携わっています。自律神経失調症を経験し自分自身のこころの持ちようは仕事…

土井浩史

リハビリの仕事に携わっています。自律神経失調症を経験し自分自身のこころの持ちようは仕事においてとても大切だと気づきました。”時に熱くこころは常に冷静”で働いています。

最近の記事

ブラック好きでも指導においてはカフェラテでいこう

指導する側は伝えたい、教えたい気持ちが強い。 しかしいつしか自分で気づかないうちに口調まで強くなりがち。 そんなときこそ、芝生(しばふ)。 し・・・じっくり話を聞き ば・・・場面、場面冷静に ふ・・・俯瞰(ふかん)する姿勢を ここでいう俯瞰は自分のこと。 「周りから自分はどう見えているのかな。どう映っているんだろう。」 そもそも指導は交互関係で理解力や経験に差があるからできるだけ差を縮めるためにできた言葉だとする。 そう考えると一方通行(指導側から受ける側)でなく双

    • 指導について新たな疑問

      "教える側の尺度ではなく教えられた側の成果" ここに注目することで指導に厚みが出ると私は思っています。 さて前回の記事はこちらです。 指導についてさらに考えてみると新たな疑問が出てきました。 それは「指導で完結を目指すことは必要なのか」です。 例えば緊急時でないときに上司が経験の浅い職員に伝える場面を想像します。 「これはこのように進めて相手を見ながら関わりを考えよう。常に相手の反応が大切。」と言ったとしましょう。 親切に丁寧に関わっている姿が浮かびます。 こ

      • 学生さんや新人さんへの指導について考える

        指導は教える、伝える、インプットを増やす。 いかにも教える側に立った内容だと声に出してみると思う。 イメージとしては起伏のある地をある程度平す。 ここでいう起伏は得意、不得意であり誰にでも認めるという認識(前提)が必要だと私は考える。 ぱっと思いつくのは社会人マナー、専門分野(知識・技術)、自己表現(在り方)といったところ。 そして指導において大切なことは何か考えてみた。 大切なことは、教える側の尺度ではなく教えられた側の成果。 これだと思う。 自分で書いて思う

        • 自己紹介をあらためて読みなおして

          ”時に熱くこころは常に冷静”という言葉を内ポケットに備えている私ですが、時に逸脱してるなあと思うことがあります。 最近気づいたことなんですが、「怒りや否定」を手にするとどうも体調が優れないんです。具体的にはふらつきや動悸です。一時的なので休憩すれば回復します。 今までだったら、というかこれまでだったら「頭見てもらおかな。心臓みてもらいに先生のとこ行った方がええかな。」なんて思っては行かない選択をして再度症状があればまた起きたなあ、なんでやろと自分を眺めていました。 そん

        ブラック好きでも指導においてはカフェラテでいこう

          自己紹介パート2

          前回リハビリの仕事に復帰したとお伝えしましたが、 私は理学療法士と勤務しています。 ケガの手当てを主とするところ、家で暮らしながら運動をするところを経験し、 どうやったらより良いサービス提供になるか考える役割を担ってきました。 丸13年が経ち、現在は高齢者の方々の生活をサポートしたり、 運動に励む方の支援に携わっています。 また、一緒に働く仲間がより働きやすくなるにはを考えあれこれしています。 前回の記事 https://note.com/inisan_2028/n/n

          自己紹介パート2

          自己紹介

          2020年5月、体調不良から心療内科に足を運びました。 優しい雰囲気で応じてくれる受付や先生は今でも鮮明に覚えています。 学生時代は皆勤賞並みでした。 それまでの私は熱が出たら解熱剤を服用するくらいであまり薬に頼ることはありませんでした。 周りには真面目で几帳面と言われ自分でも「そう見えるよなぁ」とどこか納得していました。 新型の感染症が流行している最中突然私はこれまでにない体調不良を起こしました。 急に泣いたり不安になったり、落ち着いたと思ったら動悸がしたりふらついた