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ひと夏のストーリア

僕にとって、ここ最近の音楽の流行として考えられるのが「ラップ」なのだが、この曲は完全にその波に乗っている曲だ。

曲がりなりにも初音ミクを8年ほど見てきた自分からすると、真っ先に出てくる感想が「初音ミクもこんな曲が歌えるようになったんだなあ」だったり、「初音ミクもラップできるようになったんだなあ」だったりする。

そんな「YY」だが、歌詞の一節にこんなものがある。

ひと夏のストーリア
波に乗ればまた踊り出す

回想する。

僕が初めて訪れた、いや、参戦したVOCALOIDのライブは、2013年の「マジカルミライ」だ。

そして何を隠そう「YY」は、去年のマジカルミライで披露された一曲である。

それはさておき、マジカルミライというのはその前年まで行われていた「ミクの日感謝祭」がさらにパワーアップしてリニューアルした感じのライブイベントで、今なお日本国内におけるVOCALOIDシーンでは最大のそれだろう。

自らのVOCALOID遍歴を紐解くと、間違いなく2013年の夏、横浜で体験したライブ空間であったり、目に焼き付けたものの「ストーリア」が大きな転換点だったと言っていい。

僕がVOCALOIDの魅力に気づいたのが2013年の1/31のこと(これもいずれ話す機会があるかもしれない)なのだが、あれはそこから半年弱のことだった。

まだ中学2年のクソガキだった僕は、「マジカルミライ」と言うライブイベントの存在を知った瞬間、強い憧れを抱いた。

まだ「ライブ」と呼ばれるものを人生で経験したことがなかった僕は、そもそもVOCALOIDと言う得体の知れないものに対して強烈な心地よさを覚えていたし、何より、新しい音楽の扉が開かれていた。

だからこそ、パソコンを開いて始まった僕の中の「ストーリア」は、「体感」を渇望していたように思う。

機械が歌う、機械が踊る。

そんな非現実的な現実を、多感だった頃の僕は欲していた。


ライブには、「U18席」で参戦した。

本来なら8000円くらいはする通称S席を、18才以下は3900円(分かると思うが「ミク」にかけている、多分今もこのシステムは存在しているのではないだろうか)と言う破格の値段で手に入れることができるのだ。

当時金欠だった僕は、その安さにも魅力を感じていた。

敷居の低さ、とでも言おうか。

今は分からないが、僕が毎年マジカルミライに参戦していた頃(2013~2016)に現地にいた初音ミクのファンというのは、基本的に年齢層が高めだった。

つまり、僕のような中学生などはほとんどいなかった。

だからこそU18席というのは、応募すればほぼ確実に手に入れることの出来る席だった。

今思えば、あの時もし落選していたら、それ以上ハマっていなかったかもしれない。


そんなこんなで横浜に馳せ参じたわけだが、9年前のマジカルミライ当日の天気は快晴で、僕は早朝から物販を求め、横浜アリーナ外周の物販待機列に並んでいた。

無論、夏の早朝だから、暑い。

日陰ならまだしも、運悪く日向で停止してしまったら、朝から灼熱の太陽の下に晒されることになる。

先ほど述べた通り、ライブに参戦したことがなかった僕は、物販のための待機時間についても注意点についても、何の事前知識も持っていなかった、

当然、飲み物などはほとんど持ってなく、熱中症になるのではないかなどと汗を流しながら肝を冷やしていた。


物販を無事終えて、会場入り。

僕は今もなお、チケットが発券されたとて事前に席がどのあたりか把握しておかない主義なのだが、初めて参戦したライブの席位置は、正に神がかっていた。

普通、大体のアーティストなら、アリーナクラスになるとバンドメンバーがいるステージの他にセンターステージ(イメージして欲しいが大体円形のアレである)が設置されているが、VOCALOIDはスクリーンに姿を投影するスタイルというか仕組みなので、そもそもセンターステージが存在しない。

何が言いたいかというと、僕が座った席は本来センターステージがあるはずの場所なのである。

あそこからの眺めはスクリーンから近すぎず遠すぎず、本当に最高のロケーションだった。

こんなに良い席で最初から初音ミクを観ることが出来るのか、と期待していたことを今でも覚えている。


で、ライブが始まった後のことは、正直覚えていない。

とにかく目の前の情報を処理することに必死だった。


今と昔のVOCALOIDライブの違いは色々あるが、2013年当時のVOCALOIDライブというのは、いわゆる「MCタイム」がほとんど存在しなかった。

今でこそVOCALOIDに流暢に「喋らせる」ことが比較的簡単にはなったが、あの頃はそんな技術レベルには流石に達していなかった(VOCALOIDは「歌う」ことが本業である!)ので、MCらしいMCというのは「最初の挨拶、バンドメンバー紹介、最後の挨拶」くらいだった。

裏を返せばそれは、曲間が非常に短いということでもある。

つまり、休んでいる暇がほとんどない。

だからこそ、僕は眼前の情報処理に追われていたのである。

しかしそれは、僕を新しい世界へ誘う幻想的な体験であり、僕のその後の音楽的嗜好、もっと言えば生き方にも影響を与える原初的な体験だった。


あと、これは今もそうだと思うが、VOCALOIDライブというのは、観客の規範が非常に高いレベルで守られている。

ライブ中に輪を乱す行為をする人間を、少なくとも僕は見たことがない。

その理由は、おそらく先ほど述べた「年齢層の高さ」に起因していると思う。

それもまた、僕をVOCALOIDに対して、より一層ハマらせる大きな要因になったのは間違いない。


ところで今では、VOCALOID発のクリエイターが日本のサブカルチャーのみならず、音楽シーンを席巻していることはご存知だと思う。

米津玄師(ハチ)に始まり、ヨルシカ(n-buna)、YOASOBI(Ayase)、須田景凪(バルーン)、etc...

かつての僕は、当然だが、現在のような状況になることを全く予測できていなかった。

youtubeという動画投稿サイトが世界の音楽シーンの中心にある今、昔のような「出世コース」などは存在しないと言っていい。

匿名の誰もが一台のパソコンから、日本や世界を背負うクリエイターになれる可能性を秘めている。

それは、今のデジタル時代においては自然の理なのだろう。


そんなこんなで、あの「ひと夏のストーリア」から人生を変えられた話をした。

もっと深い話も出来る気がするが、深夜ゆえ、脳が働いていないのをご了承いただきたい。

もう一度。

ひと夏のストーリア
波に乗ればまた踊り出す

誰かのストーリアもまた、踊り出す日は近いのかもしれない。


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