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こだわらず、とらわれずでいこう!

期待される人間像というお題目が以前、かまびすしく喧伝された
ことがありましたが、いつの間にか言われなくなってしまいました。

期待される人間像、つまり理想的人格について、荘子は何と言って
いるのでしょうか?
老子では聖人ですが、荘子においては至人もしくは真人と称して
います。

至人の心の働きは鏡のようです。過ぎ去ったことはいつまでも思い
悩まないし、遠い先のことまで頭を痛めることはありません。
来るものはそのまま映すけれども、去ってしまえば何の痕跡もとどめ
ない状態。つまり、過去に拘泥せず、まだ起きていない未来のことを
気にもしないということ。ただ、現在のこの瞬間を味わうのみ。

真人は、逆境にも不満を抱かず、栄達を喜ぶでもなく、万事あるがまま
を受け入れる。失敗しても気にせず、成功しても有頂天になりません。
真人は生にさえも執着しません。
変転する外界の事象にも自在に応じていく自然体です。意識的に下風に
立つわけでもなく常に独自性を失いません。それでいてかたくなでは
ないという状態。

こういう心境にいるとどんなものにも対応でき、しかも傷つけられる
こともありません。
外面は相手によって自在に変化するが、内面はしっかりとした主体性を
もっています。

老荘による理想的人間像の属性の共通項は、
1 無心
2 無欲
3 自然体

いっぽう、ダメ人間のタイプの共通項は、
1 卑屈・・・主体性がなく、人の言いなりになる
2 凡庸・・・日常的な生活に埋没してつかの間の平安をむさぼっている
3 主体性欠如・・・伸び伸びとしたところがなく、コセコセとした生き方

広大無辺な別世界があることを認知せず、狭い世界で富貴栄達だけを求めて
あくせく生きている状態。
ほんとうに図星をつかれて心が痛む思いです。

これからの時代に必要な人材は、狭い枠にとらわれないでその枠から
飛び出して広い世界に心を遊ばせる余裕人間です。
逆境に立たされたとき、最も必要なのは心の余裕です。余裕さえ失わな
ければ冷静な判断と多面的な選択ができます。

大事なことは、選択と決断で、決断したら集中すること。

人生は、「人間万事塞翁が馬」「禍福はあざなえる縄のごとし」のことわざ
どおりで幸不幸の波が現れては消え、消えては現れるものです。
そのため逆境のときの心構えを常にすることによって人間の真価が
問われることになります。



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