パンクス達よ、うまくやれ!5

危険なロックン・ローラー─村八分

僕が奴ら“村八分”のメンバーの姿を初めて目にしたのは確か京都のロック喫茶“ダムハウス”でだったと思う。当時高校3年か浪人をしていたはずの僕は、京都に行くと必ず“ダムハウス”に行っていた。その店は昔、僕の大阪にあった実家の向かい側に住んでいた僕よりひとつ歳上のヒロ子から教えてもらったのだ。彼女とはお互いにロック好きということで、よく家に遊びに行ってはレコードの貸し借りをしていた。彼女はジェファーソン・エアプレインとマザーズ・オブ・インヴェンションやアル・クーバーなどのアメリカのニュー・ロックが好きで、僕はストーンズやジョン・メイオール、ブラインド・フェイスなどにイカれていた。ヒロ子はちょっとグレース・スリックに似た美人だった。彼女は浪人をしている僕より一足先に同志社大学に現役で入ってしまった。大学に入ってから彼女はより深くロックにのめり込んでいくようになり、京都の女子寮に下宿しながら夜は“ダムハウス”に入りびたり、大学の男友だちとジェファーン・エアプレインもどきのバンドを結成して、リード・ヴォーカルをやるようになっていた。自分より一足先に“自由の身”となった彼女が羨ましくもあり、また密かに彼女に惚れていた僕は、ヒマを見つけては京都に行き、“ダムハウス”で彼女を待っていた。1971年頃のことだ。
その夜その店に、ドカドカドカと人相の良くない長髪の男たちが入ってきた。デーンとテーブルに足を投げ出し何やらマスターとブツブツと喋っていた。“あれが村八分のチャー坊と冨士夫よ”ヒロ子がそっと耳元に囁いた。僕にはあの時初めて観た、彼らの姿が今も鮮明にまぶたの奥に焼きついている。本物のアンファン・テリブル、不良少年の臭いがした。当時の僕らみたいに学生やりながらロック、長髪でイキがってる奴等にはない、何か得体のしれない悪意と孤立感を漂わせていた。

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