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最終回みたいなタイトルだが、そうではない。これほどありふれた言葉なのに久しく使っていないことに気づいたのだ。小学校の帰りの会でテンプレート的に「先生さようなら」と言っていたのが最後だった気がする。 語源を調べると「左様ならば」が変化したものらしい。それまでの会話を切り上げて、あとに続く「ごきげんよう」や「また明日」などの挨拶につなげる接続詞として使われていたようだ。 つまり、この言葉自体に意味はない。単純に接続しているだけ。重要なのはあとに続く言葉のほうなのだが、なぜかそ