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それでも共存するために

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争いのない世界について不定期に妄想します。
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#自由

偏向と均衡

↑前回のつづき 誰も悪くない。人はただ自由に生きているだけだ。結果としてそれが世界に流れを作り出し、空気を醸成して、たまに火柱が上がったりする。 その中で流されず、空気を読まず、炎上も無視できる人はそう多くないと思われる。和を重んじる国民性が影響しているのだろう。多くの日本人は自分より世界を優先することがままある(ように見える)。 それもまた自由な選択ではあるが、本当にやりたかったことは胸の内に隠されたまま、世界は正しかったという既成事実だけが積み上がる。結果として世界

優しくなければ生きている資格がない

↑前回の続き 人がそれぞれのやりたいようにできる世界が望ましいと思っている。完全な自由はそれこそ混沌の世界になるので節度は必要だが、制約はなるべく少ないほうがいい。 甘やかし甘やかされるだけのモラトリアムに浸りたいのも自由だし、他人に優しくしないのも自由。親切を押し売りしたい人はすれば良いし、相手にも当然それを拒否する自由がある。 が、実際には一部の自由が阻害されている。 前回まで弱くて優しい世界をやや否定的に書いてきたが、それ自体が問題なのではない。その世界が人々の

不必要から生まれるもの

↑前回のつづき 高さや大きさを競うから優劣が生まれる。優れたモノが生き残って、そうでないモノが居場所を失う。それはそれで自然の摂理なのだろうから競いたい人は競えばいい。が、僕は参加しない。 優劣で淘汰されるのが自然の摂理なら、開拓者が生き残るのもまた自然の摂理である。必要に応じるのではない。誰かが求めるものを捧げるより、まだ誰も知らない価値を生み出すほうが全体の幸福度は上がる。 言うほど簡単でないことはわかっている。苦労して開拓した土地にまったく買い手がつかない可能性も