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新しいテクノロジーにどう向き合うか? 泉屋博古館東京 特別展「木島櫻谷─山水夢中」

オフィスの近くにあって気になりながらも足を運べずにいた「泉屋博古館東京」に行ってきた。

特別展「木島櫻谷─山水夢中」は、動物画で名を馳せた日本画家、木島櫻谷(このしま・おうこく)の写生帖と山水画に注目した展示だ。

明治後半から昭和初期にかけて活躍した櫻谷が、新しいテクノロジーとしての西洋画を受けとめ、写生を「物を生きたる如くに写すにあらずして物を生かして写す」と位置付けていた点が興味深かった。


泉屋博古館は、住友家の美術コレクションに端を発する。「泉屋(せんおく)」は、住友家の江戸時代の屋号だという。
美術館や博物館ではなく「博古館(はくこかん)」なのは、中国・宋時代の青銅器図録「博古図録」にちなんだもの。15代当主である住友吉左衞門による、中国古代青銅器の収集が著名だったからのようだ。
本館は京都にあり、東京・六本木にある「泉屋博古館東京」は、その分館にあたる。

泉屋博古館東京のエントランス


木島櫻谷(1877-1938)について、今回の展示で初めて知った。

世代としては、近代日本画壇の巨匠である横山大観(1868-1958)や日本近代洋画の父と呼ばれる黒田清輝(1866-1924)などより10歳くらい若年にあたる。歴史画で有名な安田靫彦(1884-1978)よりは上の世代だ。
文学でいえば、与謝野晶子(1878-1942)、有島武郎(1878-1923)、永井荷風(1879-1959)が同世代にあたる。

櫻谷は、円山・四条派の日本画家として、西洋絵画を意識した写実性の導入に挑戦し、文展をはじめとする展覧会で受賞を重ねた。

櫻谷は明治後半から昭和前期まで、文展帝展で活躍した京都日本画壇の代表的存在。京都画壇の重鎮・今尾景年(1845~1924)に写生を学び、徹底した写生を基礎に、卓越した技術と独自の感性によって叙情的で気品ある画風の作品を数多く生み出した。京都の伝統を継承しながら、西洋画の要素をも取り入れたスタイルが大きな特徴だ。

橋爪勇介「木島櫻谷、その山水画の世界へ。泉屋博古館東京で特別展」美術手帖
https://bijutsutecho.com/magazine/news/report/27289


「今日のように一般に科学的思想の進んで居る時は、遠近の弁じがたい山水や、形式的にノッペリした土佐絵の人物や、自然かで見るべからざる怪物のような画を描いて居る時でないと思う」と櫻谷は述べる。

西洋画における空間表現という当時の先端テクノロジーに対して、日本画家として、写実性や遠近感に関して課題意識を持っていたことがうかがえる。


そして、新しいテクノロジーを単に導入するのではなく、既存の枠組みと折り合いをつけながら、新しい表現を見出そうとした。

「物を生きたる如くに写すにあらずして物を生かして写す」という言葉から示唆される通り、櫻谷は、現実の景色を忠実に再現するというよりも、現実の景色を再構成して描くという方向を打ち出す。


展示では触れられていないが、当時普及しつつあった新しいテクノロジーとしての写真も、おそらく櫻谷の課題意識や表現に影響を与えたのではないだろうか。
幕末から明治期の日本において、⻄洋画は、写実的で正確な再現を⾏うための実⽤的技術として、写真と等しく扱われていたと聞いたことがある。

日本で「写真条例」が制定されたのは1876年(明治9年)で、櫻谷の生まれる前年にあたる。

泉屋博古館東京前に咲くアガパンサス


先日、著作権法学会 2023年度研究大会で、酒井麻千子先生が「19〜20世紀日独著作権法における『視覚メディア』の展開」について報告されていた。

「絵画、版画、写真等の制作に関わる技術と、それら技術が⽣み出す視覚化された表現を指すもの」を「視覚メディア」と定義し、古くからある⽊版画・銅版画、18世紀末に登場したリトグラフ(⽯版画)や⽊⼝⽊版、19世初頭から浸透した鋼版画、19 世紀前半に登場し中盤以降普及した写真など、「それぞれが絵画等の複製⼿段でありかつ多様な創作⼿段として活⽤された」点を酒井報告は指摘する。
そして、国・地域・時代によって、それぞれの視覚メディアの位置づけや使われ⽅は異なっていたことを例示しながら説明し、その状況が、⽴法や法解釈に一定の影響を与えていた可能性を示していた。

例えば、1830 年代のドイツでは、複製版画に関しては版画師の⽬と⼿を通した原画の「解釈」「翻訳」が芸術性として評価されていたが(芸術的⼯程)、複製写真に関しては、オリジナルの正確で客観的な再現への期待があった(機械的工程)という。
こうした状況を反映して、「1837年プロイセン著作権法」では、オリジナルから写しを作ることと、機械的な量産を区別して、後者を禁⽌する(絵画による複製など、⼀枚だけの複製は対象外)という構成がとられていた。

量産であるか否かによって区別するのは、現代の著作権法のアプローチからすると奇異に感じられる。
「メディアの種類や複製⼿段にかかわらず、有形的再製があれば複製に該当し、また複製物についても、 新たな創作性が付与されていなければ保護対象にならない、という現在ではある種⾃明となっている考え⽅は、歴史的に⾒るとそれほど⾃明ではなく、作られてきたものだと考えられる」と酒井報告は結論付けていた。


研究大会当日の質疑では、酒井報告に対して現代的示唆について尋ねる質問がなされていた。酒井先生は、その学術的誠実さをもって非常に謙抑的な回答をされていたと記憶している。

私は野蛮なので、「新しいテクノロジーの登場と普及に伴い、機械によって量産される作品群が政策課題になる」という状況は、写真と生成AIとで類似していると感じるし、保護要件としての創作性という考え⽅が歴史的にはそれほど⾃明ではないとすると、さまざまな打ち手が検討に値するのではないか、などと言ってしまいたくなる。


話を展示に戻すと、櫻谷は動物画も素晴らしい。
「波上群禽図」の激怒する鳥たちがうるさそうで最高だったし、「細雨・落葉」の小鹿とは目が合う。


泉屋博古館東京に併設された「HARIO CAFE」は、コーヒーが美味しいし、庭をゆっくり眺められて落ち着く。限定アクセサリー「アガパンサス」もかわいい。

土曜日の午前であればアーク・カラヤン広場で行われている「ヒルズマルシェ」も見るのもおすすめ。

HARIO CAFE