プロ化にあたり、選手としても考えてほしいこと

プロ選手として、自分の喜びはなんなのか?

社会の中で、「プロ選手」としての役割はなんなのか?何を残せるのか?

ハンドボールだけすること=プロ じゃない。


私自身ハンガリーに渡ってから今年まで9年ほど「仕事」と呼ばれるものをせずに、ハンドボール「だけ」をやらせてもらう環境をいただいてきた。

ハンドボールだけのことを考え、ハンドボールに関わる人としか接しない毎日。
その経験を振り返って、今だからこそ大事で伝えたいと思うことがある。JHLプロ化にあたり、今後日本でプロ選手として活躍していく選手たちへ2つ。

①「その先も人生は続いていく」ことを意識する

ハンガリーに行き、ヨーロッパの選手といて感心していたことがある。
向こうでは、ほとんどの選手が高校を卒業した18歳からトップチームの選手として活動するので、日本のように「大学の部活に入ってハンドをすること」が、ステータスではない。
むしろ、プロとして(金額の差はとてもあるが)ハンドをしながら、空いた時間で学んでいるという子が多かった。
チームの練習は多くても1日にマックス4時間(2時間✕2)試合期は1時間半で終わることがザラにあるので、自分の時間がかなりある。
若い選手は試合への出場機会を求めてチームをかけもちしていたり(ハンガリーは女子で3部リーグくらいまである)ハンドへの時間を多く持っているようで、自分の実力や安定したパフォーマンスができてそれなりにハンドで稼げるようになってから、空いている時間を通信大学での学びや、興味がある分野の資格を取ることに注いでいる印象。
私よりひとつ年上の選手が、試合への移動バスの中で勉強しているのを初めて見たときは本当に驚いた。
日本ではそんな選手を見たことがなかったからだ。
ハンドボールは人生の一部であって全てではない。
目的意識が非常にはっきりしていて、プロ選手としてハンドボールを仕事にしながらも、その先に続いていく人生のビジョンを持ってライフデザインをしている。
そして、「ハンドボール以外」の人生を大事にすることで「ハンドボール」も充実したものになる。これは本当に大切なこと。
特に日本ではハンドボールの世界は、本当に小さいし、特殊。
ましてや、各々の部活のあれやこれやのルールって社会人としては非常識なこと、も多い。
でもそこにしかいない場合、それが常識で、どれだけ自分のいる世界がズレているのかということに気づけない。
決してルールなどが悪いと言っているわけではない。
自分がいる世界の常識が世間でも常識であるという固定観念に陥ってしまう恐れがあること、が問題なのだ。
ハンドボール人生が終わってからも自分の人生は続いていく。
その時に、自分がいた世界の特殊性に気づくのでは遅い。
プロとして生活しながら、次の人生設計のための行動をしっかりしておくこと。
チーム任せではない。自分の人生に自分で責任を持つこと。

②社会との繋がりが自分の選手としての喜びに変わる

オムロン時代は実業団選手として、午前中は仕事に行き、午後からハンドボールをさせてもらっていた。
ちなみに総務部。主にハンド部の仕事をさせてもらっていて、遠征の宿泊、移動手配とかスケジュール管理、オムロンカップの運営や中高生の合宿の受け入れを仕事としてやらせてもらっていた。
部の携帯なるものを所持する係だったので、自然と外部との繋がりが多かった。

福井でプレーしていたときは、実家で家族と一緒に住んでいたし、地元での友達もいたので私生活で寂しさを感じることはなかった。
地元国体の選手として、多くの応援と後押しがあった。

が、三重に移籍した当初の私は、ホーム戦の雰囲気は好きだし、鈴鹿も暮らしやすくて好きなんだけど、
自分の居場所だっていう実感はなかった。
三重(バイオレット)のために、だとか、鈴鹿のために、という気持ちは正直全然なかった。
インタビューとかで三重県の人に何か一言、って言われても、何を言えばいいかわからないって実は1年半くらい思ってた。
スポンサーさんやシューターズに支えてもらっていることは「知っている」けど、「感じていなかった」からだと思う。
それは、三重での私がハンドボールしかしてなかったから。
三重で、社会との繋がりが私にはなかったから。
コロナ禍という状況もあり、企業さんとの懇親会や、シューターズとの交流もほとんどなかったので、知り合う機会もなかった。
私のことを知ってもらうチャンスもなかった。
他の選手は、会社勤めをして、バイオレットの選手以外の他者との繋がりがある。そこが本当に羨ましく感じていた。(仕事と練習の両立は大変なのは重々承知だが)
練習までの時間は家で一人きりで、休みの日もほぼ家にいる。すごく孤独を感じる時間があった。

昨年、バイオレットに入って初めて山鹿で試合をした時に、山鹿についた瞬間「ただいま」って言える親しみと愛情があった。
私のこと、「おかえり」って待ってくれる、お父さんやお母さんみたいな人たち、お姉ちゃん、妹みたいな元のチームメイトたち、お世話になった先生たち。
あったかくて、大好きで、バイオレットの選手なのに、山鹿で故郷に帰ってきたような温かさを感じていた。幸せだなーって思った。
それと同時に、「あ、だめだ、私。三重でこんな関係築けてない。三重にただいまって帰る場所、まだないや」って気づいた。

選手としての喜びはファンがいてくれること。
そして、人としての喜びは、こここそが私の居場所だと思える場所があり、そこで輝けること。

そのためには、社会との繋がりの中で、自分の心から安心できる場所や人を見つけること。
人は他者との繋がりの中でこそ、自分を自覚できるからね。


ちなみに、私は、①を自覚して、選手のときからコーチングの勉強をして資格を取ったり、英語の勉強をしたりしている。講習会したり、Infinity ONE作ったり、DVD出したのもその一環。

②を自覚して、出前授業やスクールで子どもたちにハンドを教えたり、中高生に教えたり、リーグ運営の手伝いをしたり、Vスポしたり、イベントしたり。
それによって、今年のホーム戦での自分の感じ方がかなり変わりました!
仲良くなったスポンサー企業さんの方のお顔、Vスポ常連の皆さんのお顔、少しずつ知ってる先生方も増え、イベントにきてくださったシューターの方のお顔。360度見渡した客席に知った顔が増え、ちょっとずつ自分のホームだって思うことが出来ています!(まだちょっとだけかい笑)
いやでも、本当にそれで全然違う。
結果出したときの喜び。選手としての価値が。

JHLプロ化にあたり、
プロってハンドだけして、結果出せばいいんでしょ
あとはめっちゃ自由な時間やん、ラッキー
プロでハンドだけやりたい。他の時間は遊んでいたい。
は、プロ人生を無駄に過ごしています。

社会と繋がりを持ち続けることはプロになった時に、本当に大切。
勉強でも、働きながらでも、指導でも、運営でも、なんでもいい。
今は経営者になる人もいるよね。
何でもいいから、自分がプレーすること以外で、他者と関わる時間を持つこと。

プロでいれる間は人生の中で本当にわずか。
その先も人生続きます。
そして、その時間を人生の中で価値ある特別なものにできるか、ただハンドをやった時間、にするかは、自分次第。
幸せなハンドボール人生にしてほしい。
自分はプレーを終える時に、沢山の人に愛され、自分自身が幸せを感じて終わるためにも、
ハンドだけ頑張るという考えは捨てよう。

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