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「仕事をすること」と「苦しむこと」を必ず分けて考える

 コロナ禍での在宅勤務に関連して、「上司からたびたびちゃんと仕事しているかどうかの連絡が来る」「マウスの動きで仕事をしているかどうか監視される」「サボれるからいいね、とオフィスに出勤するスタッフから嫌味を言われる」といった仕事上の弊害の話題がいくつかニュースになっていましたが、これを見て感じるのは「仕事」=「苦行」と考えている人の未だになんと多いことか!ということです。

 例えば、マクドナルドでハンバーガーを注文すると、注文を受けた側(仕事をする側)は、値段を告げて金銭を受け取り、調理場にオーダーを通します。調理場では注文された通りのハンバーガーを作り、受渡し場で紙袋等に入れて渡してくれます。これが仕事です。苦行とはなんの関係もありませんね。クレーム対応中に、並んでいるお客様から「いつまで待たせるんだ、早くしろよ!」と重ねて苦情を受けるのは苦行かもしれませんし、「それも仕事」ですが、クレームを受けることが仕事なのではなく、クレームを解決することが仕事なのですから、本質的には苦行とは実はなんの関係もありません。

 仕事は、多くの場合、確かに大変なのですが、それは結果として大変なだけであって、大変なのが仕事ではないのです。高難度の大学に入るために壮絶な受験戦争を勝ち抜くべく、娯楽をすべて絶って一日何時間も勉強するなど大変つらい思いをする、というのは成り立ちますが、同じ大学に、ロクに勉強せず遊び倒したのに、もともとの頭の良さからラクラク合格した人を責めるのはお門違いです。

 仕事=苦行と考える人とそうでない人には、目標達成という意識に大きな違いがあると思います。仕事とは基本的にすべて目的達成の連続です。「今日中にこの書類を仕上げて」という仕事は、文字通り今日中に指定された書類を仕上げることであり、一日かけて書類作成に取り組むことではありません。1時間で仕上げたとしても目的達成なわけです。この場合、もしその仕事に一日をかけるだけの価値が本当にあるのであれば、極端な話、1時間で仕事はおしまい。あとは早退して寝ていても文句を言われる筋合いはありません。

 営業さんだとわかりやすいのですが、お昼ごはん抜きで一日かけて10件の顧客のアポ訪問に走り回り、すべて断られて疲弊して帰ってくるのと、当日1件しかない顧客のアポで売上の大きな契約を取り、1時間たっぷり昼休憩を取り、帰りの電車でウトウト船を漕ぎ、事務所にニヤニヤしながら入っていくのであれば、後者のほうが価値が高いですよね。

 バックオフィスの業務の方であれば、数人がかりで大量の伝票をひとつひとつノートに手書きしていく苦行をわざわざするよりも、1人のスタッフが大量の伝票を淡々とスキャンし、それがOCRソフトでデータ化され、経理ソフトなどで勝手に記帳処理され、あとはデータをまとめて報告するだけ、というほうが、ラクで価値が高いです。

 仕事することが苦しむこととイコールでもあまり問題ないケースというのは、それが苦しいとわかっていても飛び込んでいけるような魅力のある仕事である場合だけではないでしょうか。ゲームはクリアするほどレベルが上がっていくから面白いのです。ずっとレベル1の同じゲームをクリアし続けるのは面白くないですね(これこそ苦行かもしれません)。同じように、ずっとラクな仕事というのもつまらないものです。「もっと難易度が高くて大きな成果を上げられる仕事がしたい」と思う人は少なくないはずです。もっともこの場合でも、成果を求めることに変わりはありませんね。

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