教科書は書き換わる

ノーベル賞の医学生理学賞を受賞した本庶佑京大名誉教授はこう言った。

「教科書を信じない」と。

教科書を盲信せず、「本当にそうなのか」と疑う心が科学研究には欠かせないと言う。

実際、検定教科書も、研究の動向を踏まえて書きかえられていく。「一一九二作ろう、鎌倉幕府」は「一一八五作ろう、鎌倉幕府」になったらしい。

鎌倉幕府成立をいつとするかは歴史認識・解釈の問題であろうが、ひどいのは旧石器時代の書きかえである。前期・中期旧石器時代の石器や遺跡は、自称考古学者の捏造だったそうで、私がせっせと覚えた知識は無駄になった。

地理の教科書も書きかえられたそうだ。

昔はアメリカ合衆国を「人種のるつぼ」と評したものだが、今は「人種のサラダボウル」と習う。

「るつぼ」だと、様々な文化がまじり合って同化し、最終的には一つの共通文化を成すイメージであるが、多文化がそれぞれ尊重されて並存する「サラダボウル」の方が適切だ、というわけである。

移民が建国し、その後も移民を受け入れ続けることで、世界第一位の地位を築いてきたアメリカらしい、認識の進化である。

間もなく日本も、「人種のサラダボウル」になるだろう、というか、現になりつつある。新大久保駅には24ヶ国語のアナウンスが流れるという。

日本の場合、単一民族の国という従来の感覚は、アイヌ民族をはじめ、現に存在する異民族を無視することで成り立っていたのではないか。

どうか、白人男性優勢の国に戻らんとしている彼の国には追随せず、現に生きる一人ひとりの人間を尊重するサラダボウルの日本であって欲しい。

市川NHK学園 徒然エッセイ教室
(この文章は、市川NHK学園「徒然エッセイ教室」の課題「鍋」に関し、講師のサンプルとして書き下ろしたものです)

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