頑固おんなのスピリチュアル道 #2_無自覚ゆえの遠回り
昨年末、世間が華やぐクリスマスに突如はじまった
「頑固おんなのスピリチュアル道」。
このシリーズは、わたくしineのリアルな体験などを記録していく超個人的スピリチュアル日記です(思い切って公開しちゃいますよーっと!)。
★★★
スピリチュアルに興味を抱きはじめたのは、かれこれ20年以上も前のこと。なのに、まだどこかでブロックが………⁉(よっ、頑固あたま!)。そのたびに宇宙から再三再四のお知らせめいたものが届くのは、なんなのだろう。うすぼんやりとした霧のなかに、宝ものがあるような。
というわけで、頑固おんなの記録をあますところなくお伝えしていこうと思います。何かしらのヒントになれば幸いです。
あなたは、スピリチュアルに目覚めていますか?
《ふり返り》
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《本日の日記》
2022年1月7日 快晴ときどき、気分上々
#2 無自覚ゆえの遠回り
「頑固だね」
忘れもしません。あるとき同時期に、AさんとBくんの二人から、衝撃的な言葉を言われました。
ど直球のど真ん中コース。
ふわっと軽やかに放たれたかに見せかけて、球はそこから一気にスピードアップ。いきなり、わたしの胸の中央にズドン、ドーンドーンドーン…。
「はいーーーーー???」
「頑固って、誰が?」
当時、まったく頑固の自覚がなかったわたしは、お口ぽかん。理解に苦しみました。身体のなかを突き抜けた衝撃は、気にしないようにすればするほど、大きな傷口のように残ったままでした。
あれからずいぶん時が経ち、すっかり大人になったわたしは、ようやくあの時の二人の言葉がなるほどなあと理解できるように。頑固なところ、そういえばある。認めたくないけど、たしかにそうなのです。
・意思が固い(こうと決めたら、最後まで貫きたい)
・頭が固い(思考が強い)
・こだわりが強い
・負けず嫌い
etc.
うぐぐ。たしかに頑固かもしれない。
スピリチュアルの世界の扉
スピリチュアルって言葉は、いまでは普通に使われていますけど、じゃあそれって一体、何よ。頑固おんなは、思うわけです。
皆さんは、スピリチュアルをどんな風に定義づけしていますか?
目に見えない世界全般、霊的なもの、魂的なもの、精神世界、神秘世界etc。
とらえ方は、いろいろあると思います。
わたしは最近、スピリチュアルって生き方なんだと思っています。だとすれば、スピリチュアルに目覚めると、生き方そのものが大きく変わっていく。
「これがわたし」と思っている自分さえも、不確かなもので。小さい頃から染みついた価値観に縛られる必要もないのでしょう。一人ひとりが小さな存在では決してない。
頑固さゆえに、受け入れられなかったものが、頑固な自分を認められた瞬間から、世界との境界線がなくなったように、わたしそのものが拡大された感覚がしています。すると、スピリチュアルのとらえ方も当然ながら変わってきました。
「あやしいもの」から、「大切なもの」へ。
余計なものがまとわりついて、スピリチュアルそのものが歪んでみえていたときには気づけなかったこと。
生きることはどういうことか。わたしとはどんな存在か。
そこに目覚めていくためには、スピリチュアルは避けて通れないのではないか。
ずいぶん遠回りしましたが…
結果、頑固あたまが少しずつゆるみはじめたとき、開かずの扉が開かれたように思います。
頭はかたいよりも、やわらかいほうがいい!
つづく…
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