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びわこ一周旅行③



台風来てますね。
みなさんご無事でしょうか。


本日の旅程ですが、台風が来るなら逃げてやろうということで、本来なら彦根や長浜をまわったあとに行く予定だった越前まで行ってきました。


昨晩、雨の強くならないうちに福井までドライブしまして、予想通りなんとか天気がもってくれました。

本日のメインは一乗谷朝倉氏遺跡博物館です!


きれい!


まずは常設展から。朝倉氏と遺跡を通して中世の生活を勉強していきます。きょうはここで一日過ごす予定なのでじっくり見ていくぞ〜!

ウェルカムルーム

昨年10月にオープンしたばかりとか。館やコレクションのなりたちを丁寧に説明してくれるミュージアムは親切だなあと思います。わくわくしてくる。


中世の屏風からみつけよう


博物館の紹介の次に出てくるのは「洛中洛外図屏風(歴博甲本)」です。まず、中世人の生活を知ろうと思ったら風俗画ですね。「洛中洛外図屏風」は当時の人々の生活がぐっとつまった風俗画です。

現在の生活の基本様式は中世に確立されたといわれます。「洛中洛外図屏風」は他にもたくさんありますがほとんど近世のもので中世のものはほとんど見つかっていません。

現存はしていませんが、史料上確認できる「洛中洛外図屏風」は朝倉家3代貞景によって御用絵師に注文されたそうです。きのう少し触れました小谷量子先生は「洛中洛外図屏風(歴博甲本)」を追善画と考察した本を書かれています。わたしが歌絵にはまったきっかけの本なのですが、一向一揆など何か追善の意図があるのでしょうか。幻の作品、気になりますね。どこかの民家から出て来い……

一乗谷は織田信長か火を放ったといますので、もしかしたら燃えているかもしれません。



わたしは中近世の風俗画は扇屋を探すという名目の元よく漁っていたのですが、いつの間にか風俗画がとても好きになっていました。「洛中洛外図屏風」の世界がこの遺跡にあると言うのですか〜。楽しみです〜。


博物館の地下にある石敷の遺構


ウェルカムルームの向こうには石敷の遺構がありました。まわりをぐるっと見て回ることができます。この遺構は道だったのか、船の荷降ろし場だったのか議論中とのこと。道の先には貞景が建てた、一向一揆の死者を弔うための経堂があったことが確認されていて、参道だったのでは?とも言われています。


経堂があった辺り(現在はなにもない)
大胆な落し物(だいたい2~3万らしい)

石敷からはお金の落し物も見つかっているそうですよ。さて、2階の常設展へ。



利家とまつ見たくなります

館内は朝倉義景450年忌仕様。こうして見ると展覧会は追善行為そのものですね。


初代孝景像と5代義景像


義景像は特別展で本物を観ることができます。

常設展は劣化しやすい紙製品等を複製品(と言っても見分けはつかない)に代替して展示してあります。よって他館の所存品を含め、朝倉家を知るために重要な史料はいつでも観ることができます。レプリカってすごい。


朝倉孝景英林壁書


初代孝景が子孫のために残した家訓の写本です。「世襲ではなく能力を見極めて登用しろ」なんかは力のある孝景が合理的な考えの持ち主だったことが推察されます。「領内の情報収集をよくしろ。自分で変装して出ていってもよい」「刀をみだりに集めてはいけない」なんてものまで。わたしのヒットは「前の主人に追われたやつを右筆(代筆などする文官)にしてはならない」でした。なにか苦い経験でもあるのでしょうか。もしかしたら経験からしっかり内省できる人だったのかも。


おかね

何故こんなにたくさんのお金を持って逃げなかったのでしょう……近くに井戸に投げ込まれた壺が展示してあり、「後で取りに来るつもりだった」ことが推察されるようです。この備蓄銭も後で取りに来る予定だったのかもしれません。

中世の先駆けとなった遺跡に広島県の草戸千軒町遺跡があります。草戸千軒町遺跡でも同様の備蓄銭が発掘されています。草戸千軒町遺跡の滅亡は「社会的理由」とされており、朝倉氏遺跡と類似するものを感じます。


草戸千軒町遺跡の調査・公開は広島県立歴史博物館(草戸千軒ミュージアム)が行っており、わたしの大好きな博物館のひとつです。「どうする家康」を初めとする大河ドラマではよくクレジットに名前が出ていますよ。



笏谷石の井戸

笏谷石とは越前で採取される青みがかった石のことで、一乗谷で墓石や井戸などあらゆる場面で利用されていました。また朝倉氏と婚姻関係にあった土岐氏や朝倉氏が手厚く保護した寺院からも確認され、朝倉氏とのつながりや友好を示すものです。

きのうの安土考古博物館の展示では小谷城は笏谷石が使ってあり、共に対信長勢力であった浅井氏と朝倉氏の友好関係について触れられていました。


王の上に「酔象」がある

これはちょっと面白かったもの。将棋の駒です。ちょっと不揃いなのがかわいいですが、全部揃ってるのが凄いですね。王の上に「酔象」という駒がありますが、成駒になると「太子」になって王の代わりになるそうです。酔象が太子になるのも気になりますが、王がいなくなってもなんとかやっていかなければならない世の中を反映しているのでしょうか……詳しい人がいたらご教授ください。


つい草戸千軒と比較しながら見てしまうのですが、港町であった草戸千軒と朝倉氏が家臣をごっそり住まわせた一乗谷とでは基本的な生活様式に大きな相違はないものの、一乗谷では鉄砲の玉の製造などが行われているなど戦国時代大名の治める町なのだなあと思いました。草戸千軒よりも時代はやや下るので、繊細なデザインの目抜きの鋳造など、技術も向上するのかなと思いながら見ました。

時代が下るからなのか地域性の問題なのか
わからないけど中世っぽくない舶来品


書くことを想定して写真を撮ってないので、参考になる写真がなくてすみません……目抜きの型は面白かったので撮っておけばよかった……


ジオラマもあります。
本物と全体像が体感できるのは草戸千軒と同じ。遺跡の公開にとって大切なことなのかも(草戸は実物大ジオラマ)。

街並みのジオラマ

これらは洛中洛外図屏風の代表的なものや寺社の縁起絵巻、月次風俗図を参考につくられています。街の中の職にもいて職人歌合を参考にしてあるそうです。


これは職人ではない


個人蔵の「職人尽絵屛風」が参考に大きく展示されていて個人的にとてもとてもよかったです!!


系統が同じなので並べないと
正直ちがいがよくわからない


そして近世の屏風もありました!嬉しい!

犬追物図屏風(福井本)

いぬおうもの、と読みます。犬追物は、鎌倉時代頃に始まった流鏑馬・笠懸とともに「馬上の三つ物」と呼ばれる競技訓練で、先の丸い矢を使って馬上から犬を射た数を競います。近世では風俗画の人気の主題として描かれてきました。

多くの「犬追物図屏風」が狩野山楽の作品を祖本とする系統の中にありますが、これは土佐派の作品と見られ、山楽の祖本とは別系統の土佐派の「犬追物図屏風」があることを示す可能性のあるものです。桜が描かれた春の情景に対し、秋の犬追物を描いた尼崎本が近年発見されました(6月に出ていたみたいです)。

義景は一万人(!)を招いて犬追物を行ったそうです。とても大規模ですから大変なうわさになったことでしょう。本作品は義景と関係があるかは分かりませんが当時の風俗を物語るものであり、貞景と土佐派の関わりを考えると義景とそう遠くはないとのかもしれませんね。

義景は「文人風趣味」を強調され、一族滅亡と繋げられることがありますが、義景が犬追物を行った永禄4年は、上杉謙信が関東に、加賀・越中には武田信玄と一向一揆が迫っていました。列島情勢に敏感だった義景は、いつでも対抗できる意志を軍事訓練を行うことで強調していたのではないでしょうか。

では、次は復元・朝倉館へ〜!


復元・朝倉館(奥は客間)


粋な休憩スペースだな
もちろん座ってみる



客間(名前忘れました)

ここは会合などを行う客間として使われていたそうです。障壁画は朝倉氏と繋がりの深かった曽我直庵や曾我二直庵ら曽我派による大徳寺真珠庵の花鳥図の模写です。


「……!」


も、牧谿ではないですか……!(たぶん両端のみ)おわかりと思いますが常設展の紙製品はほぼ複製品です。牧谿は宗達が水墨画の参考にした南宋時代の画僧で中世の日本で大人気でした。左の芦雁図は宗達の作品と図様が一致しますね。

庇護を求めて一乗谷にやってきた足利義昭(秋)はここで元服しました。そのときの史料をもとに相応しい作品を選定をしたそうです。元将軍の父と将軍の兄、近衛家の母を持つ人物の元服ですから、当時の一級品なのでしょうね。



はらがへってはいくさはできぬ


カフェがあり、朝倉氏にちなんだランチもスイーツも食べれます!展示を観ていると朝倉宗滴がかっこよすぎたので宗滴のハンバーグにしようと思ったのですが、伝統料理の言葉に引かれ御膳に。梅干しとこんぶで炊いた黒豆ごはんがとても気に入りました。越前は梅が美味しいのですね。



では、前菜(常設)でおなか(あたま)いっぱいですが、メインディッシュに参ります。


最後のあれです


写真は撮れなかったのですが、朝倉義景像は実物を観ることができます。


朝倉氏、朝倉義景というと大河ドラマでは信長側から描かれるのであんまり良いイメージがないような、というわたしの安易な所感は、展示を観ていると世間一般のもののようです(わたしはそもそも朝倉氏についてきょうまで信長包囲網ぐらいの知識しかなかったわけですが)。


朝倉義景はご存知の通り、朝倉氏滅亡のイメージが付き纏う武将です。滅亡って、ご時世とか先代の積もりに積もった負債とか様々な要素が絡み合った結果というのが分かっていながらも、あまり良いイメージは持たれない。徳川慶喜や足利義昭しかり。

でも最近の研究って軍記物が定説だったことを交渉し直したり、多面的に考察して功績を評価したりとても建設的なものが多い。麒麟では明智光秀が、今回のどうするではおじゃるイメージの(わたしだけか?)今川家のイメージが一新されましたね。悪い人を善人に描くべきではないと個人的には思いますが、人なのだから善悪良否あることはごく自然なことだと思います。

最期は従兄弟の景鏡に裏切られたように、義景は家中の統率力は乏しかったのかもしれません。しかし朝倉義景の一生を丁寧に追うことによって外交や交易に力を入れ、情勢に常気を配っていたことは紛れもない事実だとわかります。これらのことは、少なくとも朝倉氏滅亡時の当主だったことと同じように認知されてほしいと思います。そういう研究がこれからも増えてほしいと思います。



展示品の中で印象的だったものがあります。守袋に入ったほんの小さな榧仏と籾仏です。

最強の武将と名高い毛利元就の展示で、元就が携帯していた小さな仏を見たことがありました。実を彫っているわけですから、すぐ潰れてしまいそうなので義景は元就のように携帯していたわけではないと思います。しかし元亀争乱を思うと、なんらか救いを求めていた部分があったのかもしれません。


この展示を担当した人、大河ドラマととうらぶのファンでは?好感持てる。



「朝倉氏滅亡を招いたのは誰だ」
だと思ってたら人気投票だった


わたしは浅井長政に投票しました!なぜなら孫が宗達のパトロンかもしれないからで〜す〜♪

(浅井長政→崇源院→東福門院)


そして隣の分館へ。


道路を挟んでむこうがわ


ちょっとだけ展示してあるのと全国の遺跡の調査資料や周辺ミュージアムの図録がありました。「犬追物図屏風」や曽我派について気になってたことを調べることができました!今年の調査報告書もあったので石敷の調査過程も読めて楽しかったです!


さて、メインを食べたら残りはデザートです。むしろこっちがメインかもしれません。


一乗谷朝倉氏遺跡へ!


ゆけどもゆけども遺跡


ミュージアムと違って閉館時間がないのがいいですねふふふ。


たくさん歩きました!博物館から北へ1キロほど進むと遺跡群が見えてきます!雨がぽつぽつ、風も吹いてましたが、傘はなんとかさせました。



朝倉館〜!


堀には鯉がいて、餌が売ってたのであげました。鯉の餌やりが実はとても好きです。

餌やってたら外国人カップルとガイドがやって来てわたしのえさやりの様子を解説していたのでちょっとサービスして大胆に撒いたりしました。


群雄割拠(ちがう)



館の敷地内に入ると館の高さを体験できる場所がありました。

装備は抜かりなし(誤写)


ここに上って気が付きます。


お庭の花壇


はっ



お庭横の泉殿(水遊びするとこ)

ぇぇぇ

ア゙ア゙ア゙ア゙すごい……朝倉館の再現が遺跡からよくわかる……いくつか写真撮っていたので見比べることができて興奮しました。敷地内には義景公墓所もあります。


義景公墓所
笏谷石を確認


東近江から北上し、小谷城、刀根、賤ヶ岳と寄りたくなる地名を通り過ぎながらたどり着いたのですが、こんなにカーブの多い高速道路は初めてだ、と思いました(普段使うのが山陽道なので……)。一乗谷は本当に谷で、優れた戦国の都市だったのだなあと感じました。

雨が降りそう


台風が北上しているので温泉入ってまた滋賀に帰ります。天候が厳しくなったところで一晩越そうと思います。

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