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歴史を創作するということ②

たくさんの方に目を通していただき、ありがとうございます。素敵な創作をされる方々や有識者の方々が同じ思いで(というのは些か不躾かもしれませんが)いらっしゃること嬉しく思うと同時に、独学で足掻いているわたし自身、歴史に対して身の引き締まる思いです。また、個々にメッセージを下さった方々も、わたしの気持ちを深く汲んで味方になってくださった方、本当にありがとうございました。そしてその方々は、至極当たり前のことではありますが、個人的な考えを述べることはあっても、Aさんに薄々気付きながら、無闇に叩いたりする方がいらっしゃらないあたり本当に素敵な方たちばかりだと思いました。本当にありがとうございました。

「歴史創作」に関わる方々は、今回の事柄に関して色んな思いを抱いていらっしゃることでしょう。もし不快な思いをした方がいらっしゃったら申し訳ありませんでした。隅々まで読んでくださった方の意見は真摯に受け止めようと思います。

残念ながらnoteを読んでわたしの意図と違うことを読み取り、勘違いしている方もいらっしゃるようでした。ですのでnoteに書いたことを少し噛み砕きながら、今回の件でいろいろな方々に意見を伺って思ったことも加えて最後にお話したいと思います。わたしはAさんに送ったメッセージ、noteに書いたこと、ここにこれから書くことはすべて始めから一貫して思っていることで、評価を受けて都合よく変えたりすることは絶対にありません。


今回のことで歴史創作の「正解」というテーマに触れられた方が多いように思いました。そしてそれはわたし含め、多くの歴史創作者が追い続けているテーマでもあると日々感じています。

しかしながらこのことについて、今回の件でわたしが見た限り、読者が自由に意見を言うことは許さないけど、自分の創作の自由は認めてほしい人がそれなりにいらっしゃることを知りました。

その人たちが「自分の創作の自由はだれかの自由の上になりたってもいい」というならそれもひとつの考えですが、「自由に創作してもいい」というのは創作がネット上にフリーな形で掲載する以上「自由に意見を言ってもいい」と同位であると思います。

史実と違っていたら違和感を感じる方は、歴史を好きな人の中には多いと思います。だって歴史が好きなんですから。推しの功績が無いことにされていたり、思想と違う言動をされたりしたらわたしはさすがに嬉しい気持ちにはなりません。でももしかしたらこうだったのかも、この行動には別の意図があったのかもというのも創作の醍醐味だと思います。

でも後者の表現をしたいなら、やはりその人の尊厳を守るためにその人の歴史を踏襲する必要があると思います。歴史人物だけでなく今生きてるわたしを知らない人や知る努力をしない人にあれこれ言われたり、知ったかぶりで語られる嫌ですから。本当にそれだけのことです。それに、「わたしが史実と違う振る舞いをさせているのはこういう考えあってのこと!」と創作に筋を通すこともできるかと思います。

だから「知識をつけ続けること」が歴史創作の最低限のルールと暗黙に理解されてきたのは、歴史人物への敬意と礼儀であるだけでなく、わたしたちの創作が自由になるためだったのだと思います。また、説明責任を果たすことも創作の自由度をあげることになるのではないかと思います。

わたしは創作をネットに公開している以上、批判はあって当たり前(まあ、落ち込むとは思いますが肖像のある人のビジュアルを美化していることは全く歴史に基づかないので受け付けます)だと思っています。

でもそれ以外は知る努力で基本的に何とかなることだし、どんなに少なくても歴史創作である以上知識は必要不可欠です。(知識がなければオリジナルですね、それなら自由にやっていいと思います)なによりわたしの場合は「知りたい」そこから始まったのでそもそも「知ろうとすること」当たり前の楽しみなのですが。

さて、前置きが長くなりましたが、誤解している方が多いので先に話させていただきました。わたしは始めから「歴史創作」がすべて史実通りであれと主張している訳では無いこと、間違いではなく努力を怠ることを批判していることを明記しています。

そして史実にないことを創作する上で、史実を調べることは「歴史創作」をする上で何より大切であると考えています。ご理解いただけましたでしょうか。

ですが、Aさんがわたしをどうしても悪者にしたかったとしか思えないのですが、「歴史を元にしたフィクションなのにそれを史実通りじゃないからと否定された」とわたしのメッセージにない「嘘」を言っていました(ツイートは消したようなのですがスクショは手元にあります)。

もう一度整理しますが、わたしがAさんについて問題視しているのは以下の3点です。

①芸術家の解説と創作の中に生年月日や来歴、属する流派、活動に誤謬、誤解を生む表現が多数見受けられたこと。そしてそれが彼女にとって説明できるものでなかったこと。
②Wikipediaを参照したにも関わらず〈参考文献〉に読んでいない文献を載せたこと。
③ネットの根拠の不確実性を知りながら、ネットを根拠にしたことを敢えて隠し、権威ある学術書を参考にしたとフォロワーに意図的に誤解を与えたこと。

歴史創作の史実と創作の配分具合については、それぞれ思いがあるでしょうが、この3点が許されていいとはわたしはどう考え直しても全くもって思いません。この3点の彼女の行動を持って、この件について意見して欲しいものです。「自分は」一体どちらであるか。

初心者が始めづらくなるという意見を目にしましたが、初心者に守れないことでしょうか。

「そんな堅いこと創作には必要ない、みんなで緩いルールの中で楽しくやろうよ」と言う方ももちろんいらっしゃると思いますが、これは「創作」でなく(オリジナルは自由にやってください)「歴史創作」の話であって、実際に生きた人の人生をお借りする以上は努力もなしにそんな失礼なことわたしはできませんし、だれかの自由を踏み台にして自分の自由を主張してまで、歴史創作をやりたいとも思いません。

わたしは本文中にも書いているように、熱が入ってしまったことに反省があります。これは初出となりますが、最初にフォロワーさんを通して、Aさんに情報の修正と誤解のない表現をお願いし了承されたものの、その後も誤解を与えるツイートが続いたためでした。しかし、わたしが強い口調を抑えられなかったことは事実ですから、Aさんが求めるなら公の場で謝罪すること、わたしは全く構いません。わたしは、彼女に謝って欲しいとも思いませんがわたしの悲しみには正当性があると思っています。

わたしはきちんとわたしの敬愛する芸術家たちを参考文献を傘増ししてまで、自分を虚飾する道具にしたこと、それに胸を張って言えることがあるなら説明してほしい。ただそれだけです。わたしの人格否定をしたいならそれでもいいです。理由があるなら記事を消したっていい。あなたの創作でこんな悲しい思いをしないといけない理由があるなら教えてください。

そして再度、私信となりますが、高慢な言動になることをお許しください。あなたが望む道を行くためには勉強するしかないと思います。あなたはたくさん知って詳しくなりたいのだと思います。そういう風に評価されたいのだと思います。そう思うことは素敵なことだと思います。しかし、あなたが半可通し続ける限り、芸術家はこっちを向いてくれません。だれかの受け売りでなく、自分の考えで正しい道に向かってください。そして自分が誤ったと思うことがあるなら、それを認める勇気を持ってください。そしてあなたのためにも同じ過ちを二度としないでください。

わたしのアクションにどのような評価をいただいたとしても、本文中の行いについて一切弁明はありません。わたしの考えは始めから一貫して変わることはありません。

ここまでお付き合いくださったすべてのみなさま。本当にありがとうございます。そしてわたしの未熟さゆえの行いをどうぞご容赦ください。推しに恥じない歴史創作に今後も邁進したいと思います。このことについて触れることは今後ありませんが、私信でしたら受け付けておりますので、リプライでもDMでも対応致します。

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