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読書記録②建礼門院と安徳天皇


こんにちは。
遠征で入手した本を消化中です。


読む度に気になる本が増えてきてですね、そろそろちゃんと選別して古本屋に行かないと新しい本棚を買ってしまいそうです。


『建礼門院と安徳天皇』佐伯真一


本日はこれ。
赤間神宮で買いました。

シンポジウムの書き起こしで、仏教文学畑の人のようです。

『平家物語』って様々な本があって、それぞれの本に親子が関係だったり兄弟関係だったりの説があります。

ご存知の通り『平家物語』は盲目の琵琶法師の語りによって残ったというのは有名な話ですが、琵琶法師の台本となったとされる「語り本系」と読み物としてつくられた「読み本系」に分けられます。

読み本系は『源平盛衰記』などが代表的ですが、歴史家や解説者は要はフィクションとして扱うことがある。しかし場合によっては後に編纂された『吾妻鏡』なんかよりも場合によっては真実味があることもある。今回は建礼門院の没年の場合。一番真実味があるのは読み本系だという説。これは目から鱗でした。


最近、仏教文学の研究発表を聞いたのですが、美術史の研究発表を聞くより難しかったです……慣れてないせいか、視覚的要素がないからか。

これは専門が違うので当たり前なのですが、美術史で扱われている文学の内容ってほんの上澄み(例外ももちろんありますが)の部分なんだな……と思いました。いや文学が深すぎるんでしょうね。



本題です。

『平家物語』は、貞政筆の仏教説話集『閑居友(かんきょのとも)』を元に『平家物語』が書かれた親子関係、あるいは親本Xを元に『閑居友』と『平家物語』が書かれた兄弟関係説があります。『閑居友』は語り本系の「覚一本(現代で読める平家物語の多くはこれによる)」との繋がりが強いようです。



『閑居友』と『平家物語』の大きな違いとして、後白河院が出家した建礼門院を大原に尋ねてくる「大原御幸」の六道語りの部分が挙げられます。


『平家物語』の「延慶本」等は建礼門院が自身の半生を地獄道、餓鬼道、阿修羅道、人間道に例えながら後白河院に語ります。そして最後に躊躇いながら畜生道について「壇ノ浦で共に船に乗った知盛や宗盛ら兄弟との近親相姦の噂を立てられたこと」について話し、歴史や仏教の中での厳しい女性差別を語るのです。

一方『閑居友』では六道に例えることなく都落ちを語ります。この話の中では建礼門院は壇ノ浦では、母である二位尼に「一門と安徳天皇を弔うように」と言われ入水しませんでした。『平家物語』においても建礼門院の入水においては文章に齟齬のある部分があるようです(知らなかった)。

そして特に息子、安徳天皇のことを強く語ります。俗世に二度と帰りたくない、息子を亡くしたこの悲しい経験が私の善知識である、と。



歴史的な検証をしていくと最上流の平家の兄弟が同じ船に乗ることはごく普通で、状況的に周囲も平家の人間なので、『平家物語』における建礼門院の噂については意図的に書かれたものであろうと言うのがこの研究者の意見なのですが、ではなぜこのような建礼門院を貶めるような書き方をしたのか。


『平家物語』は平家の怨念を恐れた人々による平家の鎮魂のためにあるというのが前提です。六道を巡って苦しんだ特別な人が平家一門の弔いをしているから大丈夫、という鎮魂の意図があるのですね。つまり、平家の怨霊を恐れた人々には、建礼門院を神格化するために(菅原道真然り)悲劇のヒロインになってもらう必要がありました。

結局のところ六道語りはフィクショナルな要素が強く、ここからは建礼門院の本当の姿というのは見えてこないのでしょう。しかし『閑居友』は「後白河院のことでちょっとこれはさすがに記録しとかんといけん話を聞いたので書きますわ(大意)」と書かれているものです。安易に文学だからフィクショナルで、歴史書の方が優位だと思いこんでしまうのではなく、総合的に見ていくことで成立までの背景をできるだけ適切に扱うことができるのだと思いました。

そして『平家物語』は、『閑居友』と併せて読むことによって母として、国母としての苦しみを持つ建礼門院を歴史の中に定着させたという指摘は重用だと思いました。





赤間神宮宝物図録


併せて買った赤間神宮宝物図録も。

以前、海の見える杜美術館で開催された「平家物語絵 修羅と鎮魂の絵画」で出された「安徳天皇縁起絵伝」の説明に引用されていた佐野みどり先生の調査論文をやっと入手しました。


宗達も出たしすごい展示だったな


ちなみに「安徳天皇縁起絵伝」は全8幅(2幅は消失して六曲一双だった可能性)なのですが、2冊並べると隣合う2幅が最高です。しかも赤と白で源平合戦してる……

たまらん


作者不明、桃山〜近世初期の作と推定。後白河院の動きに注目してあることや技法から中央の絵師であることが考えられています。佐野先生は最近、源氏絵で町絵師に言及されていたので名の通った絵師以外にも明らかになることがあるといいなあ。近代も埋もれた画家の掘り起こしが良くされているけど、資料の少ない中近世だと難しそう。でも、展覧会を観ていると名も無き絵師Aだろうなという絵を別の展覧会で観かけることもあります。そういう絵師の存在が明らかになると面白いな。


うーん、まだまだ積読がある。
というかまた買ってしまった。


なるべく説明減らして簡潔に感想を書きたいのだけど、説明をつらつら書いてしまう。しかも端折っているので説明としてはかなり中途半端です。


また読んだら書きます。

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