三浦

三浦祐太朗に期待する「超絶女々しい失恋ソング」

●菩薩・百恵のカバーという恐るべき賭けに出た強心臓

寒さに凍り付く50才独身の心が寒い寒い寒すぎる冬の夜。最近私はこればかり聞いている。
三浦祐太朗の「I'm HOME」。
そう。三浦友和と山口百恵ご夫妻のご子息による百恵さんカバーアルバムである。
我ながらハマるとは思っていなかった。自分でもビックリだ!
そもそも「友和と百恵の息子、カバーしたってよ」と知った時は「オイオイやめとけやめとけッ」。反対派であった。
山口百恵といえば歌謡界では「菩薩」との異名を持つお方ではないか。下手ならケチョンケチョン、少々うまくても「百恵ちゃんとと比べるとまだまだ」。どう考えてもロード・オブ・ザ・炎上。私が彼の立場なら絶対しない。そんなハードルが高すぎる挑戦!
坊や、一体なにを考えているの。私だって私だって、呆れるわ……。

ところが、なんということでしょう。
某歌番組で彼の歌唱を聞き、気が付けば私はアルバムを購入していた。
理由はご母堂に声がそっくりだからではない。
彼の歌声で、私の青春暗黒時代に寄り添ってくれた「あの歌」を思い出し悶絶したからある。それはズバリ「ポプコン系失恋フォーク」である!

●「秋桜」のハーモニーに雅夢を思い出す

ポプコン、正式名「ヤマハポピュラーソングコンテスト」。ヤマハ音楽振興会の主催で1969年から1986年まで行われた音楽コンテストである。
ここから様々な名曲が飛び出したが、いやもうフォーク系の歌は特に私の心にロックオン。

嗚呼、「花ぬすびと」(明日香)「待つわ」(あみん)「サヨナラ模様」(伊藤敏博)etc。

一曲で消えた歌手も多いが、その「一曲」は消えない打ち上げ花火。その輝きは数十年経った今でもブリリアントである。

三浦祐太朗のセンチメンタルでオトコ男していない柔らかい声は、それを思い出させるのだ。「秋桜」は祐太郎本人がコーラスも担当し、儚く美しくハモっているのだが、それが限りなく「愛はかげろう」の雅夢や「白い冬」のふきのとうフレイバー。もう懐かしゅうて懐かしゅうて!

私の勝手な分析で説明させていただこう。
祐太朗の声はフラれて「さよなら」ではなく「今までありがとう」とお礼をいっておきながら、その後もガンガン長文メールを送る女の声である。
さらにいえば友人に「ねえアンタあの人に遊ばれてるんじゃない?」と心配されても「でもでも絶対あの人真面目で優しい人だし」と言い張る、面倒臭い思い込み女子の声である!

とまあ、このように余計なことまで妄想するほど、私の心はセンチメンタルカーニバル。いつの間にやら祐太朗に誘われ、冬の夜長の失恋フォーク祭りが始まってしまった。
叶わぬ恋に空回り泣いたあの日を思い出し、部屋の隅に三角座りしながらリッスン・トゥ・ザ・ミュージック……。くっ、歌声が沁みすぎて三半規管がライラライである!

●カバーアルバムの向こう側

もう今では百恵さんと比べ聴く気などサラッサラ無い。歌は同じでも想像できるヒロイン像が全然違う。自立した百恵さんのカッコよさとは違い、経験の浅いお嬢さんがままならぬ恋に浸っている感がすごい祐太郎ver!
「謝肉祭」は私のナンバー1プッシュだ。鼻にかかった声で「ひとりぼっち」なんてロンリーな歌詞を投げてくるその歌声は、もう「祐太朗」ではなく「祐子」と呼びたい!

2世アーティストはどうしても親の偉業というフィルターがかかるから、ご本人の個性にたどり着くまで時間がかかる。私も冒頭に書いた通り、構えまくっていた。三浦祐太朗の魅力は、きっと百恵を知らない世代の方がクリアに発見できる。

すまぬ、祐太朗。いらぬ色眼鏡であった。「百恵ちゃんのカバー? やめとけやめとけ」と耳をふさがず聴いてよかった。新譜が待ち遠しい。女々しい歌をたくさん歌って、涙腺を刺激してくれぃ!


読んでいただいてありがとうございます。サポートは取材費、資料代に使わせていただきます。よろしくお願いいたします!