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ジャック・アマノのアメリカNOW

アメリカのモーターレーシングを牽引する
チーム・ペンスキーの栄光

Tytle Photo : Motorsports Hall of Fame of America, NASCAR Archives & Research Center

アメリカには世界で最も歴史を誇る自動車レース、インディー500がある。1911年から2回の世界大戦中を除き、ずっと同じコースで行われてきているレースは、決勝レースに30万人以上が集まる世界最大のスポーツイベントでもあり、今年が106回目の開催だった。そのレースでロジャー・ペンスキー率いるチーム・ペンスキーは、18回も優勝している。当然のことだが、これは他を大きく引き離しての歴代最多勝利だ。彼らはインディーカーシリーズでも14回チャンピオンに輝いており、スポーツカーやストックカーでも数々の勝利やシリーズタイトルを獲得してきている。

今年の第106回インディー500のレース前セレモニーに登壇するロジャー・ペンスキー。ペンスキー・レーシングの総帥であり、様々な事業を展開するペンスキー・オートモーティブ・グループの創業者。今やインディアナポリス・モーター・スピードウェイとインディーカー・シリーズ自体もペンスキー・オートモーティブ・グループ傘下のペンスキー・エンターテインメントが買収しており、ペンスキーはインディーカーのトップチームとして君臨すると同時に、シリーズそのものも手中に収めている Photo:Penske Entertainment

 ”キャプテン”の異名をとるロジャー・ペンスキーはレースの世界だけでなく、ビジネスの世界でも大成功を納め、85歳となった現在もいくつもの企業を経営しながら、週末にはサーキットに現れ、レーシングチーム、レーシングシリーズ、そしてインディアナポリスモータースピードウェイの経営でも陣頭指揮を執っている。

若くしてドライバーからチームオーナーへと転身
総帥、ロジャー・ペンスキーの慧眼

1937年にオハイオ州クリーブランド近郊で生まれたロジャー・ペンスキーは、車好きと恵まれた商才を活かし、高校時代から古い車を修理して販売するビジネスを始めていた。その後レースに出場し始め、プロのドライバーとして成功しつつあったロジャー・ペンスキーだったが、20歳代の終わりにシボレーのディーラーを始めるチャンスを掴み、シボレーからドライバーの道は諦めてビジネスに専念するよう進言された。すると彼はドライバーとしてキャリアはスパッと断ち切り、チームのオーナーとしてトップを目指すこととなった。レースに対する情熱は捨てることができなかったのだ。

ロジャー・ペンスキーはシボレーのディーラーとしての宣伝効果も狙い、シボレーの旗艦モデルであるL88コルベットをレース仕様に仕立て、1966年のデイトナ24時間レースにエントリー。初めてのレースを総合12位でフィニッシュし、GTクラスのウィナーとなった。総合優勝はケン・マイルズ/ロイド・ルビーの乗ったキャロル・シェルビー・チームのフォードGTだった。フロリダ州デイトナビーチのサーキット=デイトナインターナショナルレースウェイにとっては、この年が初めての24時間レース開催。今ではデイトナ24時間、フランスのル・マン24時間、デイトナと同じフロリダ州で行われるセブリング12時間がスポーツカーの世界で最も権威のある耐久レースとなっている。

ペンスキー・レーシング栄光の歴史の扉を開けた
初のレーシングカー、L88コルヴェット 

Photo : Motorsports Hall of Fame of America, NASCAR Archives & Research Center

 ロジャー・ペンスキーはドライバーとしてのキャリアを終えた翌年に早くもチームオーナーとしての初レースに出場し、たちまち勝利を掴んでみせた。427キュービック・インチ=7リッターという大排気量のV8エンジンを搭載するL88コルヴェットは、名デザイナーのゾーラ・ダントフが手がけたもので、コルベットにとっては初めての本格的レース挑戦だった。彼らがレース仕様に仕立て上げたマシンはミズーリ州セントルイスの組み立てラインから送り出された1967年の市販モデルとしての最初の1台で、レース用アルミ製シリンダーヘッド、メーカー純正のコンペティションパッケージであるブレーキ、サスペンション、排気管、トランスミッション、136リッターという大容量燃料タンクなども装備されていた。

Photo : Motorsports Hall of Fame of America, NASCAR Archives & Research Center

 ペンスキー・レーシングは初レースから高い能力を見せつけた。マシンの用意は上記のように周到で、チームの士気も高く、勝利にフォーカスしていた。アクシデントでフロントを大きく破損し、ヘッドライトから補助ライトまですべてを失って主催者から走行を止められ時には”フラッシュライト=懐中電灯”をフェンダーにテープで固定してレースの安全基準を満たし、レース復帰を許された。このような機転も効かせて勝利まで走り切った彼らのコルベットには”フラッシュライト”というニックネームが授けられた。

ポルシェとともにル・マン24時間に臨むペンスキー
新たなチャレンジを前に、原点であるコルヴェット復元

ペンスキー・レーシングは2023年からポルシェとタッグを組み、世界最高峰のスポーツカーレースチャンピオンシップに打って出る。数々の勝利を重ねてきたロジャー・ペンスキーのチームが未だ達成していないル・マン24時間レースでの総合優勝が期待されているプロジェクトだ。そんな彼らの新しい門出を祝うかのように、名門と呼ばれるまでになったチームの最初の優勝マシンが人々の前にその勇姿を再び表した。1966年のセブリング12時間でもGTクラス優勝を記録したペンスキー・レーシングのL88コルベットは、その後50年以上も人の目に触れることがなかったが、長い年月をかけて施されていたレストア作業が、この夏に完了したのだ。

Photo : Motorsports Hall of Fame of America, NASCAR Archives & Research Center

このペンスキー・レーシングのデイトナ優勝コルベットは、フロリダ州デイトナビーチのデイトナインターナショナルスピードウェイの敷地内にあるモータースポーツホールオブフェイムオブアメリカに現在展示されている(2023年の3月上旬までの予定)。なお、このマシンはデビュー戦だったデイトナ24時間レース時のものではなく、同マシンに後に施されたカラーリングでレストアがなされている。

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