興亡の世界史18大日本・満州帝国の遺産\著)姜尚中、玄武岩

ー感想ー
20世紀の初め、日本の首相岸信介と、満州国の独裁者 朴正煕それぞれの国家の舵取りで共通点を分かりやくす説明されていた、
(1)岸の場合、戦争の時代、平和の時代、そのどちらにおいても、それぞれ独自の方法で、国家の安危に関心を注ぎ、国家によって指導された革新主義を実現しようとしたのである。
(2)独裁者となった朴正煕による「突撃的近代化」は、正しく国家によって指導された変革と上からの高度成長を意味していた。それは、最貧国に喘いでいた解放後の旧植民地を新興の産業国家に変貌させることになった。
さらに、このような考え方現代の日本にも、リーマンショックに見られる金融破綻と経済危機と共に、再び、国家によって指導された統制と変革が危機脱出の切り札として登場するようになったからである。岸が満州国で実験的に実施し、戦後の日本で自ら指導した計画的な統制と介入のシステムが、日本や韓国だけでなく、新自由主義経済の「総本山」ともいうべきアメリカにおいても、一部再び日の目を見ようとしているのである。
このような状況をよみとると、正しく歴史は繰り返されると、一種恐怖さえも覚えた。
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裏表紙
 王道楽土、五族協和を謳い建国十余年で消滅した帝国・満州。革新官僚としてその産業開発に辣腕を振るい、戦後はA級戦犯容疑者から首相の座に上り詰め高度成長を発進させた岸信介と、その満州で帝国軍人として戦時を生き、解放後に韓国の大統領となって近代化を達成した朴正煕(パク・チョンヒ)。戦後の日韓両国の枠組みをつくった2人の足跡から満州国の虚実を問う。

大日本帝国と満州国の興亡

 日清・日露での戦勝により、台湾や南樺太を領土に加えた日本は、1910年の韓国併合で、朝鮮半島も領有した。さらに朝鮮に接する満州を生命線とする軍部の暴走により、1931年には満州事変が勃発。翌年には清朝最後の皇帝・溥儀を執政とする傀儡(かいらい)国家・満州国が誕生する。太平洋戦争直前には仏領インドシナにも進駐したが、1945年の敗戦によりこれら全てを失った。

揺籃(ようらん)の地・満州と歴史の逆説

 岸の場合、戦争の時代、平和の時代、そのどちらにおいても、それぞれ独自の方法で、国家の安危に関心を注ぎ、国家によって指導された革新主義を実現しようとしたのである。満州国は、正しく戦前と戦後を繋ぐ岸のような革新官僚の揺籃(物事の発展の初期段階)の地隣、またそのような国家のテクノクラート(科学技術や経済運営、社会政策などの高度な技術的専門知識によって、政策立案に参画し、その実施に関与する官僚、管理者のこと)によって指導された変革の「実験場」になったのである。
 明らかに、そうした革新主義を担うパワーエリート(革新官僚)の登場は、天皇重臣を中心とする保守的な帝国の体制にとっては、ある意味でその体制そのものを内側から壊しかねない「異胎」あるいは「鬼胎」だったに違いない。
 さらに、他方で満州国は、岸のような「鬼胎」と同じようなDNAを受け継いだ軍人(朴正煕)の揺籃の地になったのである。解放後の分断国家・韓国とそれ以前の植民地の間のパワーエリートの人脈や諸制度の連続性、軍人や官僚の遺産、エリートと大衆という二つのレベルにおける意識やイデオロギーの入れ替えと変革など、韓国の場合にも、解放以前と以後との間にはダイナミックな連続性が横たわっている。
 独裁者となった朴正煕による「突撃的近代化」は、正しく国家によって指導された変革と上からの高度成長を意味していた。それは、最貧国に喘いでいた解放後の旧植民地を新興の産業国家に変貌させることになった。
 だが、上からの変革は、民主主義の理念を生贄にすることによって可能だったのである。韓国の現代史は、そうした理念を国民自らが定義し、勝ち取っていく血の滲むような歴史だった。そして独裁者は無残な最後を迎え韓国は民主化のゴールにたどり着き、独裁の時代は過去の時代になった。
 こうして解放後の韓国は、国家によって指導された統制の時代が終わり、自由化と民主主義、市場主義の三位一体のもと、グローバル経済にふさわしい飛躍を遂げようとしていた。
 他方、日本もまた、昭和初期にまで遡る「日本的経営システム」をかなぐり捨てて、新自由主義的な市場経済への脱皮をはかろうとしていた。朴正煕も岸信介も、もはや過去の人となり、彼等の揺籃の地となった満州国など、一部の人々を除いて忘れ去られようとしていた。
 だが、歴史は逆説に満ちている。リーマンショックに見られる金融破綻と経済危機と共に、再び、国家によって指導された統制と変革が危機脱出の切り札として登場するようになったからである。岸が満州国で実験的に実施し、戦後の日本で自ら指導した計画的な統制と介入のシステムが、日本や韓国だけでなく、新自由主義経済の「総本山」ともいうべきアメリカにおいても、一部再び日の目を見ようとしているのである。
 果たしてこれらは、過渡的な緊急避難に過ぎないのか。それとも、今後もずっとそのようなシステムが世界の新たなグローバルスタンダードになるのか。多田、いずれにしても、再び国家や統制、計画化といったタームが注目されつつあることは間違いない。この意味で、朴正煕と岸信介の時代はまだ真の意味で終わってはいないことになる。この二人を導きの糸に満州国とその後の歴史を見ていく意味もここにある。


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