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「歴史家論争」再考(1)

 先日、「ガザをめぐり対照的な南アとドイツ」の中で、「ドイツは、ナチス・ドイツによるホロコーストを反省したのは良かったのだが、それが盲目的なイスラエル擁護につながってしまい、結果的にイスラエルによる「ホロコースト」を支持するという自己矛盾にまで陥っている」と書いた。しかし、このようなドイツのイスラエル支持の姿勢は、果たしてホロコーストに対する反省自体が本物だったのか、という、より根源的な疑問を、栗田禎子・千葉大教授は『現代思想』2024年2月号(特集:パレスチナから問う)に寄せた論考の中で次のように問いかけている。
 
<フランスやドイツでパレスチナ連帯デモが禁止され、ドイツの裁判所ではガザの事態を「ジェノサイド」と形容することを禁じる判断が下される、といった事態には驚かされ、欧米における集会の自由や言論・思想の自由が事実上失われていることに強い印象を受ける。注目に値するのはこうした言論・思想統制がもっぱら「アンチ・セミティズム(反ユダヤ主義)」対策の名で正当化されていることで、現在欧米でガザにおける戦争を批判することは即座に「反ユダヤ主義」のレッテルを貼られ社会的に葬り去られることに直結する。逆に「アンチ・セミティズム」という用語は、現在では世界各地の市民の間で急速に発展しつつある反戦運動を弾圧するためのキーワードとしてこそ機能していると言うこともできる。
 特にドイツではホロコーストの反省から、「イスラエルと共に立つ」ことが国家の基本方針とされ、知識人の間でも(むしろ良心的知識人ほど)今回の事態に際しイスラエル支持を表明する(そしてイスラエル批判を「アンチ・セミティズム」と断罪する)傾向がみられる。(中略)ナチズムを反省するとしつつ、現在イスラエルがガザで行っている――まさにナチを彷彿とさせる――行為を批判しないドイツの姿勢からは、その「ナチズムの克服」自体が果して真正のものなのだろうか(「ユダヤ人に対するホロコースト」のみは反省するが、それ以外の人々に対する新たなホロコーストには目を閉ざす思考停止状態に陥っているのではないか)という疑念が浮上する。>
 
 ホロコーストを真に反省するのであれば、ナチス・ドイツによる歴史上1回限りの「ホロコースト」を批判・反省するだけでなく、あらゆる「ホロコースト」を批判すること、加害者・被害者を問わず「ホロコースト」的なすべての人道犯罪に対して反対の声を上げることが必要なのではないだろうか。ユダヤ人とイスラエル国家をあたかも同一視し(これ自体とんでもない間違いだ)、イスラエルによる「ホロコースト」に対する批判を反ユダヤ主義として抑圧・弾圧することは、ホロコーストに対する真の反省とは対極にあるのではないだろうか。栗田禎子はこうした当然の疑問を呈しているのである。
 
 しかし、ドイツ外交史が専門の板橋拓己・東大教授によれば、ドイツにおいても、これほどまでに硬直したイスラエル擁護の姿勢が顕著になったのはそれほど古いことではなく、1986年に西ドイツで起きた歴史家論争に起源を発するという(朝日新聞2023年11月30日)。「歴史家論争」とは、西ドイツ(当時)の著名な哲学者ユルゲン・ハーバーマスが1986年7月11日、「ツァイト」紙において、4人の歴史家の名を挙げて、ナチスの過去を相対化する歴史修正主義者であると批判したことを契機に、西ドイツの論壇とジャーナリズムを巻き込む大論争へと発展した。この論争をめぐって膨大な論文と多くの書物が書かれ、海外でも大きな関心が示されたことから、西ドイツ外務省は同年11月、すべての同国大使館に「歴史家論争」の詳細な資料を送付したほどである。それによれば、この論争で扱われたテーマは、「ナチ時代の罪悪は唯一無比のものなのか、それとも例えばスターリニズムの罪悪との間で比較や因果的連関を論じ得るのか」、「歴史学は『歴史化』されるべきか、それとも『道徳化』されるべきなのか」、「歴史は意味を供給したり、ナショナル・アイデンティティーの担い手であったりすべきなのか」、「連邦共和国はどのような自己理解と、どのような歴史のイメージを持つべきなのか」等々、多岐にわたっている。
 
 私は今、この大論争を的確に要約したり、論評したりできるだけの能力も資料も持ち合わせていない。ただ、この論争の一部を日本に紹介した『過ぎ去ろうとしない過去――ナチズムとドイツ歴史家論争』(人文書院、1995年)を再読し、そこに従来見落とされがちであった問題があるのではないかと指摘するのみである。(つづく)

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