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音鳴地蔵

夜中に銭湯へ行った帰り道、
コンビニの脇に小さいお地蔵があるのに
気がついた。

道路の縁石の少し奥で
3体の小さいお地蔵が
こちらに手を合わせて
軽く微笑んでいる。

札を読めば
300年ほど前この近くに
人がよく落ちる崖があり、
落ちて死んだ人を弔うために
置かれた地蔵なのだそうだ。

コロナや分断などいろんなことがあるが、
300年前の人は崖に落ちてたくさん
死んでいたのだと思うと、
今の時代も特別な時代ではなく、
歴史の中のほんの一瞬に
過ぎないのだろう、
と妙に考えさせられて
思わずしゃがんで手を合わせた。

300年。
 疫病、戦争、飢餓、
 開国、戦勝、敗戦、
 好景気、不景気、
 ええじゃないか、一揆、
 産業革命、民主主義、経済成長、
 バブル崩壊、テレビ、ネット、
 などなど
知ってる歴史だけでもいろんな事があるし、
 食べる、飲む、食う、
 花が咲く、実がなる、枯れる、
 歩く、座る、話す、聞く、
 見る、踊る、走る、止まる、
 恋愛、結婚、出産、
 育てる、育てない、
 生きる、死ぬ、
 就職、趣味、出会う、
 友達、競技、お金、
 怨みつらみ、嫉妬、いじめ、
 無視、騙す、脅す、
 などなど
語られない様々な出来事はもっとあったろう。
語られない事の方がはるかに多いのだろう。

歩きながら「地蔵」についてググってみた。
「地蔵」とは正式には「地蔵菩薩」という名前で、
ブッダ(仏様)が入滅した(亡くなった)あと、
56億年後か5億6千万年後に
ブッダが弥勒菩薩となって再び現れるまでの間、
六道すべての世界(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)
に現れて衆生を救う菩薩である、らしい。

つまり今を生きている我々含む全てを、
ブッダに代わって救う任務を
担っているのがお地蔵様なのだ。
そんな大役を担っているとは知らなかった。
すごいなお地蔵さん。
小さいけど、小さな巨人だ。
確かに大きい大仏を参る時よりも、
一人でひっそり名も無い小さなお地蔵さんに
手を合わせるときの方が
心がこもる気がする。

家についた。
レコードをかける。
昔からレコードが好きだ。
回っているのがたまらないし、
ジャケットも超カッコイイ。
そしてなにより音がいい。
プラセボだという人もいるけど
明らかにレコードの方が音がいいと感じる。
毎日聞いているからよくわかる。
何十万もする高級オーディオなんか買わなくても
盤に合った適切な針で再生すれば、
デジタルよりも生々しいいい音がちゃんと聞ける。
デジタルにも良さがあるが、レコードの音は格別だ。

最近は特にSP盤という
1920~1950年代までに生産された
古い10inchのシングルレコードにはまっている。
音がべらぼうによくて、
目の前で演奏されているような生々しさがある。

SP盤はシェラックという
木の樹液を
固めた素材で出来ていて、
持った感じは
瀬戸物のお皿のような感触だ。
なので割れやすく
扱いに気を遣う。

生産当時は蓄音機で再生されていた。
蓄音機とは、
電気を介さずに
レコードに刻まれた音を
再生する装置で、
エジソン等が発明した
物と基本的な仕組みは同じである。

今聞いているのは
Billy Holidayの"Strange Fruit"
という
Billy Holidayの代表曲だ。

"Strange Fruit"
日本語に訳すと
「奇妙な果実」と言う意味だが
これは虐殺され木に吊るされた黒人の死体を
意味している。
元々ニューヨークの教師が作った歌を
Billy Holidayが歌って大ヒットしたのだが、
彼女自身も黒人であり
苛烈な生い立ちであるためか、
血が滲むような歌だと感じる。
いろいろ想像していたら
思わず目を閉じ手を合わせてしまっていた。

SPレコードとお地蔵さんは
似ているのかもしれない。
この世の片隅でひっそりと衆生のために手を合わせているお地蔵さん。
レコード屋の片隅でひっそりと再び聞かれるのを待っているSPレコード。
お地蔵さんに手を合わせればその時間と人の暮らしに思いを馳せ、
SPレコードをかければその当時の空気が蘇る。
どちらも多くの人に知られてはいないが、
目を向ければ、語られていない人々の暮らしに
思いを馳せることが出来る。

うまくいかないことも多いが、
お地蔵さんとSPレコードに手を合わせたことで
「それが生きるということ」なのだと
なんだか妙に腹落ちして、
その日はぐっすり寝た。

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