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ちゃんと生えている

植物には葉面電位というものがあり、
触られたときの電位はストレスである事を本で知った。
あんまり触ってると枯れるそうだ。
よく木に触って癒されるみたいな表現を見たりするが、
本当は彼らは嫌がっているのだ。

秋葉原の喫煙所で一服しながら
目の前の立入禁止の植え込みの雑草を眺めていたら、
彼らも我らも同じだ
と妙な感動を覚えた。

触られたり
いじられたり
風に吹かれたり
踏まれたり
病気にかかったり

それでも彼らはちゃんと生えている。
僕らと同じように。

人に生死があり
草にも生死がある

人は死を逃れようとするし
草も死を逃れようとする

人は資源を奪い合うし
草も水や光を奪い合う

人は農業で草を利用するが
草は「おいしい」をエサに「植えさせる」事で人を利用する

草には脳がないが
人には脳がある

しかしやってる事は似ているので
草と人両方に共通する生死についての
根本的な何かがそこにあるように見えるが
それが何かがわからない

草を創作に利用したこと
草(野菜)を毎日食っていること
草(野菜)を食うことは生きるのに必要だけど
創作は生きるのに必要か?

必要かもしれない
必要ないかもしれない

もやもやしながら
生えている。

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