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藍染めに「至上の染め方」は存在しない

 タイトル画像は、藍染めの染料「すくも」です。こんな土塊のようなものからあの美しい藍色にどうやって染め上げるのか。本藍染め、正藍染め、化学染めとか割り建てとか、沼に足を取られて引き摺り込まれそうな気持ちになるほど、紛らわしい「言葉」と「技法」に溢れた藍染めの世界。
 ああ、誤解を呼びそうなタイトルをつけてしまったと、既にうっすら後悔しつつ書き進めようと勇気を奮い立たせているところです。


1、方法論で完結できない藍染め

 藍染めはかつて日本全国で行われてきた産業の一つでした。日本の北から南まで、気候条件や水質や地質の違いがもちろんあり、その中で育まれたそれぞれの地の「藍染め」が存在していました。だから…現代に至って改めて藍染めを学ぼうとする時に大切なことについて、あえて触れておきたいと思ったのです。
 この人と思う師匠につき、一つの指針として藍建てや藍染めを学ぶことは、学びの入り口としてとても大切なこと。ですがその方法は、「その師匠のその工房にとって」「現時点で」最高の方法なのであり、師匠が新たに学びを得てさらに素晴らしい染色方法を手にされることもままあるし、あなた自身の染め場では少し違った工夫がさらに功を奏すことにもなるかもしれない。つまり、教わったものがそれそのまま、誰にとっても最高の方法ではないということを意識しておいた方が、後々の学びも深まりますし、何よりも気が楽なのです。

 なぜ気が楽なのかというと…

 それこそ各地でそれぞれの師匠についたお弟子さんたちがたくさんいらっしゃるわけです…そういった方達とお話しする際に、染色の方法論が違うために「どちらが優れている」「どちらが本物だ」という論点で交流を(というかマウントの取り合いですよね…)試みようとしたら、つまるところ喧嘩にしかならない。ギスギスしますよね。楽しくありません。方法論が一致しないというだけで周りは敵だらけになっていきます。気が休まりません…不毛です。

 また、発酵によって染め液を調整する「灰汁建て」「発酵建て」の甕で染色をしている人の場合、それぞれの染め場に住んでいる菌も違えば、彼らにデリケートに作用する水質にも違いがあります。同じ染め場でも季節によって変化がある。何より使用している「すくも」自体が年によってコンディションが変わっている。一つの方法論で良いコンディションを保つということは、到底不可能なことになります。
 これが、全世界共通の絶対的な至上の染め方は存在しない、と私が言いたい気持ちになる根拠です。

 日本には、素晴らしい発酵文化が根付いています。味噌・醤油・味醂・酒…それぞれの蔵元なりの工夫や培われてきた「勘」があり、味わいもそれぞれの趣を醸します。藍染めだってそういうことだと思っているのです。


2、藍と対峙する「その人の姿勢」が結果を生む

 師を得て基本的な指針をしっかり教わることができたあとは、「藍の気持ちになって」自分なりの作業を進めることになると思います。
 一人称は「藍」であって「私」ではない。
 綺麗な色に染めることのできる「自分が凄い」のではなく、もともと素晴らしい色を持っている「藍が素晴らしい」のです。その色を引き出せるようになるかどうか、心を込めて謙虚に藍と向き合い続けることが、藍の望んだ結果を得ることにつながっていく。

 私がこのような気持ちに至るきっかけとなった言葉の一つは、今も徳島ですくもを作られている佐藤家の、今は亡き初代平助さんの何気ない一言です。それは、法政大学出版局による『ものと人間の文化史65ー1 藍1 風土が生んだ色 竹内淳子:著』という本で触れることができました。

「藍がわしを助けてくれたんです。よい藍はこれからもけっしてのうなりません」

 戦後、需要が減り続ける「すくも」を作れば作るほど家計が逼迫し、「これが最後」と決意して臨んだ年のすくもの出来栄えがことのほか良く、予想外の高値で売れたことによって藍の仕事を続けられるようになったというエピソードの締めくくりの一言でした。
 評判となるすくもを作り上げた「自らの腕前を誇る」という発想すら微塵もないこの言葉に、藍の美しい色に携わり続ける人の心得を得たように思いました。


3、母と私の学びの道

 プロフィールに記載しているように、私の住まいは徳島です。優れた染料「阿波藍」の産地であることから、染色に携わられている方もいらっしゃるし講座も各地で開催されており、藍染めを志す者にとっては恵まれた地であると思います。当然のようにして、母の染色技法はその基本を地元の徳島で習得しました。

 藍染めに携わられている方ならきっとお分かりいただけると思うのですが、自分の甕を持ったら、その日から様々な疑問にぶつかり続けるという経験を誰もがすることになります。何も悩まないという人は多分いない。母もそうでした。
 先生に教わった基本を踏まえた上で、クリアしたい疑問が尽きない母は、当時やっと家庭に普及し始めたパソコンを駆使し、様々に検索を重ねてヒントを収集しては実験に及んでいました。

 その数々の実験の中で、私の目にもはっきりと「結果の違い」をもたらす画期的な出来事が「石灰を貝灰に変えてみる」ということでした。徳島では当たり前のこととして藍建てで使われる石灰ですが、貝灰を使って藍染めを行う県外の方の記述を見た母が思い切って試みたところ…染めあがった藍色の艶と輝きがそれまでのものと比べ物にならないほどに増し、それはまだ藍建てを自分でしたことのなかった私の目にもはっきりとした違いとして認識できたのです。

 だからといって世界中の全ての染め場で貝灰を使うべきだと言うつもりはありません。私たちの染め場において、石灰よりも貝灰が良い結果を生んでくれるということが分かった、という認識でいいのだと思います。
   染料の産地である徳島で定着している方法だから「絶対ナンバーワンの染め方」なのだということでもない。ここを間違えなければ、藍が本来の輝きを持って染まることが可能になる。「私たちがナンバーワン」などと思うことが藍の道を閉ざすことにつながる。謙虚でいないといけないな…と改めて思うこととなった出来事でした。

 そういったこともあって、私が藍建てと染色を学んだ地は県外の工房でした。母の学びの道から受け取った、私なりの学びの場所でした。
 教えを乞うた師匠は既に重い病との闘いの中にあり、命懸けで大切なことを説いてくださいました。限られた日数の中で、これからの私の人生の指針となる言葉をたくさんいただいたのですが、その中でも私の中で強い輝きを放つ言葉は大変シンプルなものでした。

「心を込めて、藍と向き合うんだよ。そうしたら、藍は、必ず応えてくれる。」

 初代平助さんの言葉に重なる響きを感じました。どんな悩みを得ても、きっとこの言葉に心が還っていくのではないだろうかと思います。
 「至上の染め方」を追い求めるのではなく、常に藍にとって何が最良なのかを心がけ続けることが大切。
 
 これから先、藍染め業界がどのような局面を迎えるのか、希望も懸念もありますが、「心を込めて藍と向き合う仲間たち」と手を携えあうことで、一歩ずつ道を繋いでいくつもりでいます。大変幸いなことに、仲間には恵まれつつあると実感を深めているところです。願わくば、藍が応えてくれるような心持ちを、私が保ち続けられますように。そして、藍に携わる人たちが、どんどん素敵な色を染めて行けますように。

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