私に藍色は似合わない
当たり前のように付けていたイヤリングをテーブルに置き、昼間買ってきたピアッサーを耳たぶに当てる。一つ息を吐いた私は思い切って握る力を込める。
ガシャン、と音が響いた私の耳には穴が開いている。そして反対の耳にも同じように穴を開ける。
開けた穴をろくに確認することなくテーブルに置いていたイヤリングを台紙につけて写真立ての隣に並べる。
写真立てを眺めた私は鏡でピアスを確認する。ピアスを付けた私を見て改めて思う。
『私に藍色は似合わない』と。
緊張感漂う廃都に藍の歩く音が軽やかに響く。どこからか聞こえる銃声に慣れたように進んでいく藍はイヤホンのコードを揺らしながら誰かを探しながら歩みを進める。
「久しぶりに会うのがこんな形になるとは」
独り言を漏らした藍はこの辺だったはず、とビルを見上げる。きょろきょろとする藍の背後に動物の着ぐるみのようなゾンビが襲い掛かる。
「前もあった気がするなぁ、こんなこと」
藍の構えた拳銃が火を噴くよりも先に銃声が響く。驚いた藍は自分の目線の先に立つ彼を見て久しぶり、と笑った。
「久しぶりっすね」
「うん、久しぶり」
なんか前にもあった気がします、なんて言った蓬《よもぎ》は拳銃を仕舞った。
歩き出した二人は久しぶりに再会したとは思えないくらいテンポの良い会話をしながら彼のアジトに向かう。
「戻った」
「おかえり、そっちの子は?彼女?」
「ちげぇよ。前の仲間」
ニヤニヤする彼の仲間にどうも、と頭を下げる。奥に通された藍はコーヒーの入ったカップを受け取り、一番眺めのいい窓際に座る。
「うるさいやつらですみません」
「全然大丈夫。いきなり来たの私だし」
そう言って一口コーヒーを啜る藍。遠くの景色を見る藍を蓬は眺める。そうして自分もコーヒーを口にする。
なんとなく流れた沈黙に蓬はそわそわするが藍にそんな素振りはない。
「そわそわしてるね」
「なんか、久しぶりに会うとそわそわしないっすか?」
「緊張はするね」
ふふっと笑った藍。二人の間を流れた風は彼女の髪を優しくなでた。その隙間から見えた耳に蓬は声を漏らした。
「それ……」
「あぁ、これ?……開けたんだよね、ピアス」
いつも揺れていたはずの藍のイヤリングがなくなっていた。
「イヤリングはつけないんすか?」
「つけないよ。もう……終わったから。私が壊しちゃったから。もう、いいよ」
ふへへ、と笑った藍を困ったように見つめる蓬。その視線に耐えられなくなったように耳たぶを無意識なのか気になるのか触り続ける。
「これからどうするんすか」
「わかんない。なにがしたいもないし。みんなとバラバラになってからもうずっと空っぽだよ」
「そうっすか」
寂しそうに笑った藍はコーヒーを啜った。
「ねえ、一個お願いしてもいい?」
「嫌っすね」
「なんで」
「なんか嫌な予感するんで」
ケチ~と笑った藍はそのままコーヒーを飲み干した。
「まあ君は優しいからどうせ断るだろうけどね」
「何、っすか」
「……殺してよ、私のこと。お前のせいで壊れたんだって、お前のせいだって、お前が壊したんだって、責めてよ。それでそのまま殺して」
いいでしょ?なんて笑った藍はフラッと立ち上がる。
「……何回も言ってるっすよ。あなたのせいじゃないって。みんなもそう言ってました。俺もそう思ってるっす。今もそう思ってるしこれからもあなたを責めるつもりなんてないっす」
「……ほらね?君は優しいから断る。分かってたよ」
知ってた、と悲しそうに笑った藍はそのまま下を向いた。
コンコンコンと扉を三回叩いた藍色は自分の髪を撫でた風に振り返る。その先に『みんな』がいた気がしたがそんなことがあるわけもなく寂しそうに微笑んで扉に向き直る。
開いた扉の先で目を丸くした蒲公英《たんぽぽ》はすぐに笑って久しぶり!と声を上げた。
「久しぶりだね。最後に会ったのはいつだっけ」
「忘れちゃったなぁ……でも、久しぶりなのは分かる」
確かにそれもそうだね、と笑った藍をどうぞと奥に通す。お邪魔します、と足を踏み入れた先では暖炉がゆったりと部屋を支配しており、奥には本がぎっしりと詰まった本棚が並んでいて手前のテーブルには栞の挟まった本が置いてある。
「お邪魔します。……また本増えた?」
「増えた増えた!ついつい買っちゃうんだよね」
「分かる。読み終わってないのに買っちゃうよね」
「そうそう!買っちゃうんだよね~」
本棚を眺めながら話が盛り上がっている二人は本の虫そのもので、そのまま四十分ほど話に花を咲かせた。
「あ!これ持ってたよね!」
「あー、うん。持ってるよ」
歯切れの悪い返事をした藍は気まずそうな笑顔を浮かべた。蒲公英が手にしていた本は藍が『みんな』と呼ぶ人たち―すなわち蓬やこのあと会いにいこうとしている人たち―と出会うきっかけとなった本だった。
「読んでたの思い出して買ったんだ~!面白いよねこれ!」
「面白いよね、良くも悪くも人間臭い部分が出てるのが特に好き」
いいよね、これと呟いた藍はクルッと体の向きを変えてほかの本棚を眺める。読んだことがないはずなのにどのタイトルにも見覚えがあって、表紙を見ればいつか見た本ばかりが並んでいる。
「見覚えある本ばっかり?」
「どの本もどこかで一回は見たことある」
「でしょ?この本棚はみんなにおすすめされた本とかみんなが読んでた本を集めた本棚なんだよ」
いいね、と本を一冊手に取る。藍が切なそうに見つめるその本はいったい誰を思い出させる本なのだろうか。
「そういえば本の話に夢中でお茶も入れてなかったね!今入れるから適当に座って!」
「いや、大丈夫。それよりも私のお願い聞いてくれる?」
「うーん、内容によるかな~」
蒲公英は紅茶を作りながらそう答える。
「そっかぁ、じゃあ君は聞いてくれないかもな」
いい香りだね、なんて言いながら藍は笑う。
「そんなお願いしようとしてたの?」
「してた。○○―蓬にも断られたし」
入れてもらった紅茶を飲みながら他愛のない話をする二人。そんなこともあったね、なんて笑った藍はいつもの癖で髪を耳にかけてハッとする。気づいたときにはもう遅くて、蒲公英の目線は藍の耳に集中していた。
「ピアス……?」
「うん、開けたの」
気まずそうに笑った藍に似合うね、と笑った蒲公英。心の奥底でも本当にその笑顔だったかを知るのは彼女自身のみだった。
噴水を遠くに眺めながらイヤホンを揺らす藍は重力を感じないようなアクロバットを目にして懐かしい気持ちと切ない気持ちが心を支配して思わず頭を抑える。グッと締められたような感覚になり、吸う酸素が少なく感じる。
そんな感情持つな、と激しく呼吸をした藍はイヤホンを外してポケットに仕舞い、何事もなかったかのように噴水に向かう。
「久しぶり」
浅葱《あさぎ》の驚いた表情にあいさつをした藍は近くのベンチに腰を下ろした。
「久しぶり、だね」
「いつぶりかな。私が切って終わったんだっけ」
ふはは、と自嘲気味に笑った藍は気まずそうにする浅葱にごめん、と謝った。フワッと吹いた風は藍と浅葱の髪を優しく撫でて通り過ぎる。二人の耳にはそれぞれ光るものがあったがいつかのような色違いではない。
「耳、開けたの?」
「あー、うん。開けた」
「似合ってる」
ありがとう、とそれまで見つめていた浅葱の目から視線を逸らす。そこに乗る感情は本当に懐かしさと切なさだけなのか。
「それで、どうしたの?会いに来るなんて今までなかったじゃん」
少なくとも縁を切ってからは、と付け足した浅葱はストンと藍の隣に腰かけた。
「んー?なんで来たと思う?」
「分かんない‥‥…って言おうと思ったけど嘘。イヤリングしてないからそっち関係なんじゃないの?」
「はは、流石だね。半分正解で半分はずれ」
そう言うと藍は立ち上がってグッと身体を伸ばした。
「今ね、みんなに会って回ってるの。君は三人目」
蓬と蒲公英と会ったことを告げた藍は噴水のふちを器用にバランスを保って歩く。
「ねえ、私を殺してくれない?」
いい天気ですね、と言うのと変わらぬテンションで言われた浅葱はその言葉の理解に数秒の時間がかかる。
「なに、言ってんの」
「私に理不尽に関係を切られた君なんて私への恨みなんて一つや二つじゃないでしょ」
あーあ、落ちちゃったなんてのんきに笑った藍は浅葱に向き直る。
「ダメ?」
「……俺が××―藍のそれに弱いの分かってやってるでしょ?」
「私のじゃなくても弱いくせに」
ズルい人だね、と寂しそうに藍は笑う。それを見て目を大きくした浅葱はどんな感情を抱いたのだろうか。
「ごめん」
「何に謝ってんの~」
「……そのお願い?殺してくれってやつは聞けない」
正反対とも言える二人の温度感は傍から見れば同じ話をしているようには見えない。片方は今日は天気がいいですねと歌い、もう片方は今日は土砂降りですよとずぶ濡れになっているかのような差がある。
「君もかぁ」
残念だな、なんて言いながら藍はフワッと飛び降りる。
「本当、残念だよ」
藍が空を見上げた瞬間、ポツポツと静かな雨が降り出した。
学校の廊下を歩く藍色はとある教室を目指してコツコツ歩く。三階の西側突き当たりの教室に踏み込んだ藍はその教室、図書室に想定よりも多く差し込んだ夕日に思わず目を細めた。
「あれ、久しぶり」
「ん、久しぶり」
眩しいねここ、と紅桔梗《べにききょう》の隣に行く。何読んでたの、と紅桔梗の手元を覗いた藍はピクッと眉を動かした。その本は誰を思い出させたのだろうか。
「迷わずここまで来られた?」
「うん、前回迷ったから不安だったけど今回は迷わず来られたよ」
「それはよかった」
そう言って笑った紅桔梗は本にしおりを挟んだ。藍はそれを横目に本棚を物色し始めた。蒲公英の家でも本棚を見ていたところを見ると藍たちは本関係で繋がりがあったのだろうか。
「最近本読んでる?」
「うーん、あんまりかなぁ……読みたいけど気力が追い付かないって感じ」
「あーあるあるだね。私もそういうときある」
藍は目線を外すことなくそんなもんだよねぇと同感した。本棚を眺める藍は懐かしそうな表情を浮かべて本棚を眺める。
「それでどうしたの?突然来て」
「久しぶりに会いたいなぁと思って」
「そう?連絡もなしに来たことなかったから珍しいなと思って」
確かに連絡なしで来ちゃった、と謝った藍に全然大丈夫だよと笑った紅桔梗は藍と同じように本棚を眺める。
「……ごめん、嘘ついた。お願いがあって来た」
「分かってた」
そう言って笑った紅桔梗はどうしたの?と言葉を続けた。
「私を殺してほしい」
「また無茶言うねぇ」
寂しそうに笑った紅桔梗はその綺麗な瞳で藍を見つめた。その目線に気まずそうに目線を逸らした藍は何かを考え、やがて沈黙に耐えられなくなったように言葉をこぼした。
「ごめん、今のなし」
なんでもない、と笑った藍は反対側の本棚を眺め始めた。
「なんで殺してほしいの?」
「……みんなに殺されたら多分楽になれるんだよね。みんなにお前のせいだって責められたかったの」
「貴方のせいじゃないのに?」
「それ、その言葉が私を苦しめて仕方ないの」
「……そっか」
沈みかけた夕日が二人の横顔を照らす。二人の表情からは何も読み取れない。
「……こんばんは」
下手くそな笑顔を浮かべた藍は小さく挨拶をする。
「こんばんは、お久しぶりです」
そんな藍にフワッと笑いかけた紅鼠《べにねず》は横に腰を下ろした。
「今日も星が綺麗に見えますね」
「晴れててよかったよ」
せっかく会うのに見えないんじゃ残念だからね、と藍はそのまま寝転がった。大きく息を吸った藍はそのまま大きく息を吐いた。目を閉じた藍の横顔を紅鼠は眺める。そして何かを思った紅鼠は藍と同じように寝転がって星空を眺めた。
しばらくの沈黙の後、藍は口を開いた。
「ねえ、お願い聞いてもらっていい?」
「なんですか?」
『殺してほしい』
そう言おうとした藍は言いかけて口を再び開いたが肝心の声が出ていない。
「どうしました?」
「……殺してほしい」
絞りだされたその声はあまりにも小さくて星空に虚しく消えていった。そんな声でも聞き逃さなかった紅鼠は驚いたように身体を起こした。
「なんて、言ったんですか」
「……殺してほしい。私を」
「なんで、なんでですか。なんでそんなこと言うんですか」
目を逸らしたまま起き上がった藍はうつむいたまま言葉を繋げる。
「……ずっと、もうずっと苦しいの。みんなとの時間を壊してから、貴方を私の勝手な理由で傷つけて、生きるのがしんどいの、つらいの。お前のせいでって責めてほしかったの。みんなに責められて死ぬのが一番楽になれると思ったの。ねえ、なんであのとき私を責めてくれなかったの?」
「貴方を責める理由がなかったからですよ。貴方のせいではなかった。みんな今よりも子供だったから、だから」
「やめて、聞きたくない。私が悪かったの、私のせいだったの。そうずっと言ってるじゃん。なんでわかってくれないの?」
「なんでって貴方は、」
うるさい!という荒ぶった藍の声が響く。その声にビクッと肩を震わせた紅鼠。紅鼠の目を見た藍の目は涙をいっぱいに溜めていた。
「……貴方は、悪くなかったんですよ。みんなそう言っていたでしょう?それが俺を含めた貴方の言う『みんな』の答えなんです。それに」
言葉を止めた紅鼠は藍の目をまっすぐに見つめる。
「俺に貴方は殺せないです」
そう言ってボロボロとこぼれ始めた藍の涙を紅鼠は優しく拭う。
「私は、殺されたい。みんなに殺されたいだけなんだよ」
『だから殺して』
そう言う藍に紅鼠はごめんなさい、としか返さなかった。
屋上へと続く扉を開けた藍は扉の開く音を聞いて振り返った紺碧《こんぺき》に不器用で下手くそな笑顔を向ける。
「久しぶり、だね」
「久しぶり」
ガチャン、と閉まった扉に振り返ることもなく彼女に近づいた藍は通り抜けた風にいつかの夏を感じ、息が詰まるような秋の匂いを思い出す。
「あの日以来、か」
「そうなるかな」
そうだよね、と下を向いた藍は今まで会った仲間に向けることのなかった表情をする。それは彼女への罪悪感か、今のなんとも言い難い感情を押し殺すためか、はたまた死んでしまいたい衝動を抑えるためか。その正体を藍自身も分かりはしない。グッと噛んだ口内の皮膚に歯が容赦なく突き刺さる。
「ずっと……ずっと話がしたかった。もう一度こうやって向き合う機会がほしかった。後悔しないって、してないって、そう決めてたのに心のどこかではしてるんだと思う。それを見て見ぬふりをしてた」
困ったような笑みを浮かべた藍は紺碧の目を見れないまま話をする。
「みんなにお願いした。私を責めてくれ、お前のせいだ、お前が自分を傷つけたって言ってくれって。そうしてそのまま私を殺してくれって。みんなに言った。……誰も殺してくれなかった」
「みんな優しいからね。でも、君のことだから分かってたんでしょう?」
「分かってたよ。君に今ここでお願いしても叶えてくれないことまで分かってる」
誰も私を楽にしてくれない、と涙をボロボロ流す藍。感情的になったのはこれが最初で最後か、はたまた最初からずっと感情的だったのか。
「私はみんなに殺してほしかった。ずっと、もうずっと。みんなが責めて私を殺してくれれば私は楽になれるの。なんで?どうして誰も殺してくれないの?」
私はただみんなに殺されたいだけなのに、と顔を覆う。その様子を眺める紺碧の目に浮かぶ感情は同情か軽蔑か、本人以外に読めることはない。
「はは、駄目だね。困らせてごめん」
目元を強引に擦ったであろう藍の目元は少し赤くなっている。
「ねえ、殺してよ。私のこと。君が最後の望みだよ。私はみんなに殺されたかった。誰も殺してくれない。君は殺してくれる?」
紺碧は答えない。じっと藍の目を見つめる。
「ほかの人たちが殺さないって言うなら私は殺さない」
そうだよね、と藍は寂しそうに笑う。
「分かってた。聞かなくとも分かってた」
そう言った藍は精一杯の笑顔を浮かべた。
藍《わたし》はみんなに殺されたかった。みんなの居場所を壊して、藍のせいでバラバラになって、みんながお前のせいだって言ってくれれば藍は楽になれたのに誰も責めなかった。責められて心も体も殺されたらそれで満足だった。
実際は違った。誰も殺してくれなかった。藍を責める人なんていなかった。なんで誰も責めてくれなかったんだろう。藍はみんなに殺されて死にたかった。手を下してくれなくてもいい、私が藍でいられなくなるように突き放してほしかっただけ。たったそれだけ。
カッターを手にして手首に押し付ける。私はまた自傷に走る。
誰も私を殺してくれないまま、私は藍を殺せないまま、また中途半端に死にたがる。
切り始める前に涙がボロボロこぼれて目の前が見えなくなる。嗚呼、本当にダメだな。カッターに込める手に力が入らない。もう切ることもままならないのか。
ずっと藍色のものを身につけていた藍《わたし》だったけど、本当に私は藍色が似合わないと思う。
みんなを簡単に傷つけて、怖くなって離れて、そのくせ「恋しい」と病んでカッターに手を伸ばす。みんなは私のことを好きだと言ってくれて、大事だと言ってくれて、藍色は貴女だねと笑ってくれた。
”みんな本心から言ってくれていたのだろうか?”
そんな疑いが心のどこかにあって仕方ない私は本当にみんなといてよかったのだろうか。分からない。答えなんてないんだと思う。
だけどもし、一度だけ過去に戻れるのなら、願わくはみんなと出会わない人生を歩みたい。
みんなと出会えてよかった。だけど同時に、出会いたくなかったと思ってしまうくらいにはみんなのことで死にたくなってしまう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?