たまには昔の話を
わかりやすいかと思ってタイトルを日付の連番にするシステムが実は日記を書く気力を削っていたのではないかという斬新な説を提唱してみます。
というのも、かれこれ8年だか9年だか続いていた頃は記事のタイトルは完全にその時頭にポップアップした単語を入れ込むだけだった。むしろそっちの方が混濁しそうなものだが、しかしそれで不思議とすらすら書けていた。いつも必ず最初にタイトルを適当に決定し、そこから書き始める。タイトルをあとから付け直すことはほぼ無い。其れがたとえどれほど本文から逸脱したものだったとしても。つまりこれがひとつの儀式だったのではないだろうか。ベートーヴェンは作曲に行き詰まった時、アイデアを得るために頭から水を被る癖があったという。そういう、科学的根拠とか無関係にルーチン化した「儀式」というのはしかし一定の効力を持つらしい。
たまには推敲も逡巡もなしに、ただ心の屁泥を吐き出すように書いてみよう。あの頃みたいに。
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