立ち止まった、男。
「インク姉さん、どうしよう。僕、帰ってきちゃったよ。」
そう言われて、最初に出た言葉は
「バーカ!」
だった。
前々から気にかけていた従兄弟の男の子が大学を二日で退学して実家に戻ってきた。
ずっとなんとなく高校三年間くすぶって、ノれなくて、最低ランクの地方国公立の理系の学部に潜り込んだこの男。
周りの誰もが浪人を進めたが、なんとなく悩みながら遠い地方の土地へ旅立った。
そんな中で人一倍どころか十倍百倍彼に浪人を訴え続けた私。
しかし、彼は勇気を出せぬまま大学に入学してしまった。
家具を買い、家を契約していく彼を敗北感とともに見つめていた。
もはやこれまでなのか。
悔しかった。
が、彼が地方に旅立って二日後に大騒ぎになった。
「やっぱり浪人する」
と、彼が言い出したとおばさんから泣きながら言われて、私は吹き出しそうになってしまった。
おせーよ、ばか。
と、言いそうになったがそうも言ってられないから。
「家族で決めた方がいいと思う」
と言った。
彼がここまで拗らせた原因は、両親とちゃんと向き合ってないことだと考えたのだ。
なんとなく両親が偉大すぎて、眩しくて逃げ続けていた彼が、ちゃんと両親と話して彼の家族の一員として胸を張って生きて欲しかった。
彼が退学して浪人する、と言い出したのでおばさんは仕事を休んで彼のいる県まで駆けつけた。
次の日にはおじさんも駆けつけた。
おばさんと彼は二人で桜を見に行ったらしい。
温泉にも行ったらしい。
お寿司も食べたらしい。
ゆっくりゆっくり未来の話をして、退学と浪人を決めた。
そしてみんなで京都に戻ってきた。
いつもは、私から連絡するのに今日、彼の方から私に電話をかけてきてくれた。
「インク姉さん、僕帰ってきちゃった。どうしよう。」
「バーカバーカ。こうなるってわかってたからあたしゃ最初から浪人しろって行ったじゃんね。」
「ぐうの音もでえへんわ。」
「おかえり。よかったね。帰ってきてくれてホッとした。」
地方に旅立っていった寂しそうな後ろ姿が忘れられなかった。
自分の人生に限界点を決めて、勝手に諦めた彼が許せなかった。
「ただいま。なあなあ、インク姉さん。
僕な帰ってこれて良かったと思うねん。
でもな、多分インク姉さん居なかったら帰ってこれへんかったと思う。
お母さんとかお父さんとか、兄弟とかとも縁切れてたと思うねん。
インク姉さんが京都にいて良かったと思うわ。
ボコボコになってやってるインク姉さん見てたから、僕もそういう生き方したいって思えたし。ほんまにありがとう。」
18歳の男の子がそういう風に一生懸命言葉をつないで何か言おうと絞り出すように話してくれたのを聞きながら私は泣きそうになってしまった。
多分、彼のために私は京都に来たのだと思う。
第一志望の東京の大学に落ちて。
泣きながら京都に来たけれど、私が京都にいた事で彼の人生を救うことができたなら、私が京都に来た意味があったと思う。
「それは受かってから聞きたいなあ。」
と言ったら、
「うるせえ馬鹿野郎」
と言われた。
「あ、言っとくけど浪人生って犯罪したり殺されたりしたら無職として報道されるからな。頑張れな。」
「お前が死ね!」
なんにせよ桜満開。春爛漫。
良かったね。良かったね。
と何回も何回も思った。
後一年、京都にいる。
間違いなく彼の人生史上最高にしんどくてつらくて、幸せな一年間に最後まで寄り添おうと思う。
そして、一年後大学に合格した彼を連れて中国に行くのだ。
「てめえは図体がでかいんだから便利だよな。
一緒に中国行こうな。田舎町。てめえと一緒だったらお姉ちゃん、変な輩に絡まれんから楽だけんね。」
そう言ったら、「まあそんくらいいいよ」と言ってくれたので、絶対行こうと思う。
頑張れ頑張れ。
声が枯れるまで応援したい。
君なら大丈夫だよ。と何回でも言ってあげたいのだ。