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観光庁発足12年半、観光立国の現在地 - 矢ケ崎紀子氏、オンライン講演録

 2021年3月31日「今だからこそできるインバウンド観光対策」オンラインイベントには、観光庁立ち上げに民間出身者として加わった東京女子大学の矢ケ崎紀子教授をお迎えしました。2008年10月1日から数えてちょうど発足12年半の節目を迎えようというこの日、2010年代の急成長と2020年の急ブレーキを振り返りながら、観光立国の現在地について語っていただきました。

矢ケ崎 紀子 氏
東京女子大学 現代教養学部 国際社会学科 コミュニティ構想専攻 教授
九州大学大学院法学府政治学専攻修士課程修了。住友銀行、日本総合研究所総合研究部門上席主任研究員を経て、2008年の観光庁設立に官民交流で参加。同参事官(観光経済担当)として観光統計、観光白書、訪日外国人消費動向調査等の観光統計を整備。首都大学東京都市環境学部特任准教授、東洋大学国際観光学部教授を経て、2019年4月から現職。 日本貨物鉄道社外取締役。東武鉄道社外取締役。国土交通省交通政策審議会委員、国土審議会特別委員。2021年観光庁アドバイザリーボード委員6人の1人。専門分野は観光政策。著書に『インバウンド観光入門~世界が訪れたくなる日本をつくるための政策・ビジネス・地域の取組み』(晃洋書房)ほか。

司会進行:萩本良秀&青木優 (DMO anywhere)

「たとえ組織がなくなったとしても残る観光統計をつくってくれ」

 今日は昔話をしてもいいよ、ということでご依頼いただきましたが、昔話と言いつつ意外と昔、経験したことの拡大バーションが今、起きているという面があります。観光は外部要因で左右される宿命的な脆弱性があり、いつでもリスクにさらされています。将来を考えるには過去も振り返ると教訓もあるのではないかと思います。

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 観光庁が立ち上がってすぐに民間から参りました。2008年10月から2011年3月、観光経済担当の参事官として観光統計を作りました。「日本の観光統計を世界レベルに挙げる、UNWTO(国連世界観光機関)に対してここまでできると見せるんだ」とセントラルフロリダ大学の原忠之先生からは言われました。訪日外国人消費動向調査もヒット商品になりましたが、当時の観光庁柏木隆久課長から「観光経済担当参事官室で訪日外客の調査を実施していただけませんか?」ときっかけをいただきました。当時のモットーは「観光にサイエンスを、⼈々に休暇を、参事官室に愛を」で、経験と勘と度胸(KKD)でやってきた観光にサイエンスを入れていかないといけないと考えておりました。反復継続性や原則、ルールを見つけることで将来応用できる、それが科学だ、という意味が含まれています。

 政権交代もリスクです。現政権は観光を大事にして、お金がつくのは当たり前と思っているかもしれないですが、そんなことはありません。霞が関一丸で動いてくれるのは今しかないかもしれない。また、政権交代というのは一つのチャンスにもなります。私が観光庁に着任した当時には9000万円弱しかなかった観光統計の予算がその後9億円に増えました。

 当時忘れられない言葉のひとつが、観光統計をつくる時に当時の上司、本保芳明初代観光庁長官の「たとえ組織がなくなったとしても残る観光統計をつくってくれ」。この言葉に胸を打たれ、10年後20年後も使われる観光統計ってなんだろう、海外の観光統計はどんな考えて作られているのか勉強して、ずいぶん蓄積ができました。

 「観光産業」にしなきゃいけない、という話も観光庁でありました。個々のビジネスの集合体でしかない状態からどうやって産業体にするか悩みまして、セントラルフロリダ大学の原忠之先生にお聞きしたら、「優秀なマネジメントができる⼈材を育てることが近道」と教えていただきました。

過去何度も繰り返されてきた、感染症のリスク

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 訪日外国人旅行者数の推移はご存知の通りです。とんでもない動きをしていますね。私自身は2008年~2011年に観光庁参事官として在籍していました。政府は長いこと、1000万人越えを目標にしてきました。観光立国推進基本計画ベースで、次の目標は1800万人としましたが、その後2000万人、2500万人と目標は上げられていきました。当時はやや弱気なところもあり、「2000万人の“高み”を目指して」などと表現していました。その後、4000万人になり、そして今でも生きている観光ビジョン、2030年に6000万人という政策目標ですね。

 このように目標としては推移していますが、当初の実績ベースでは一見、行きつ戻りつしていることがお分かりいただけると思います。皆様の中で訪日外客数が1000万人越えしてからインバウンドの世界に入られた方、関心を持たれた方が多いとお聞きしています。2003年は業界的に、インバウンド元年と言われています。この年3月にイラク戦争があり、SARSも流行りましたが、VISIT JAPANキャンペーンも開始しましたので、そんなに減ったりはしなかったですね。SARSは2003年7月にWHOによって収束宣言がなされます。感染症のパンデミックが発生した場合、WHOが収束宣言をしない限り、終わらないのだということがわかります。

 次は2008年ですね。観光庁が出来た年ですが、中国の四川で大地震が発生しました。日本にとっての大のお得意様である中国市場で公務旅行の自粛がおきました。ですから、日本の自然災害だけでなく、大事なお客様市場での自然災害もリスクとして響いてきます。また、北京五輪があり、中国の方が自国でオリンピックを見るため、海外旅行に行かないということもありました。これも日本のインバウンドにとって、主要市場におけるビックイベントは日本に来ないリスクになるということですね。

 それから2008年リーマンショックが来ます。2009年は減っていますね、これはリーマンショックによる世界金融危機によって世界的に人が止まってしまった、景気が悪くなって人の移動が止まってしまったという、景気変動によるリスクですね。それと同時に新型インフルエンザが流行します。この当時関西にいた方は覚えていますでしょうか、非常にニュースになっていてみんながマスクをしていました。海外の方から「日本人はみんなマスクをしていて気持ち悪い」と言われたことを思い出される方もいらっしゃると思います。国内では、関西を中心に修学旅行客のキャンセルが相次ぎました。文部科学省の調べによると確か2500校、250万人程度のキャンセルが出ました。

 この新型インフルエンザは2010年8月にWHOが収束宣言を行いました。1年くらいかかりました。2010年はこれを乗り越えて増えているのですが、このときに尖閣諸島沖の漁船衝突事故が起きます。これでまた中国から入ってこなくなります。それでも他の国から増えていましたので、なんとか800万人台は維持しました。

 次は皆様方もご存知な東日本大震災で一回落ちましたが、日本の底力を感じます。翌年から回復してくるのですね。震災があった当初はいつ回復するのかわからないということで、当時私は観光庁にいたのですが、9.11(2001年のアメリカ同時多発テロ)の回復過程なども勉強しました。でも、翌年戻してくるのはすごいことだと思いました。対策としては緊急促進対策であるとか、MICEキャンセル防止策であるとか、いろいろなことをしました。市場としては台湾から戻り始めます。そして香港。この2つの市場から戻り始め、2011年12月までにビジネス需要が回復してきます。こういったあたりが東日本大震災の戻りとして特徴的でした。

 これ以降は行け行けドンドンで、伸びていくのです。熊本の地震であるとか日韓関係の悪化によって韓国からの入りがあまり良くなくなってくるなど、局地的なリスクは起こってはいるのですが、全体の市場としてはぐんぐん伸びてきました。そこで、今回の感染症によってガクっと落ちていますが、落ちて400万人ちょっとです。見ていただくと2000年初頭頃の状況と同じくらいだといえます。

 今まで、自然災害や戦争・テロ、感染症といったリスクについて述べてきましたが、政権交代のようなリスクもあります。民主党政権に変わった時、独立行政法人はダメ、社会的実験もダメ、プロモーションって何?と、事業仕分けにかけられました。この時、JNTO(日本政府観光局)は法人格としてもプロモーションという点でも、二重の責を負わされています。

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 JNTOの「訪日プロモーションの執行機関化」という話はあまり知られていませんが、2014年までは、海外プロモーションも企画も観光庁が実施しており国内契約も観光庁が行う、また観光庁は海外事業者と直接契約できないので仲介事業者を入れて契約していました。そして、この業務を監督するのがJNTOという立場でした。プロモーションに関して最も能力とリソースを持つJNTOがこれまでの本業から追いやられていました。これを2015年以降、観光庁が企画し予算を取ってJNTO=プロが実施することとなり、JNTOは国内契約も海外契約も実施する組織に戻り、今の実体的なプロモーションができる形が生まれました。体制的なリスクもこうやって乗り越えました。

可能性と脆弱性を併せ持つインバウンド観光

 インバウンド・ツーリズムは、可能性と脆弱性を併せ持つものだと思います。嬉しいなと思ったことはインバウンド・ツーリズムが日本の中で認知されるようになり、やっと観光市場が成長市場と認識されるようになったことです。インバウンド市場が無ければ我が国の観光市場は成熟市場である国内市場だけとなり、イノベーションが起きないのではないかと思います。インバウンド・ツーリズムには新しい方が入ってきており、かつてリゾート開発で痛手を被り「もうホテルを作るのは嫌」と言っていた人達が、インバウンドがここまで来るのなら「もう一度ホテルを作ろう」と戻ってきてくれました。ビジネスの多様性も起きましたし、地域でも「東京経由でなく直接(誘客を)やる」との勢いも出てきました。

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 海外では当たり前ですが旅はライフスタイルの中にあって、体験型(歩く、スキー、文化体験)など、物見遊山ではない旅の本質というものが、インバウンド観光を通じて日本にも入ってきました。そして外需。訪日外国人による旅行消費だけでなくて、投資もやってきました。それから観光に関する法制度・政策も改善されました。このようにダイナミックな動きが、インバウンド・ツーリズムが認知されるに従っておこったことから、やっぱりインバウンドは、観光振興の大事なエンジンだと思っています。

 一方で、影響を被るリスクもあります。「自然災害リスク」、今まで局地的な災害は経験してきましたが、これが大都市圏で起きたら、全国規模だったらどうするというようなことも考えておかなければならないと思っています。「感染症リスク」、今まさに経験しているのですが、国際観光にとっては避けて通れないリスクです。医師の中にはウイルス系のリスクは4年から10年毎に必ず起こるという人もいます。日本だけでなく日本にお客さんを送ってきている重要な送客市場の一部にパンデミックが起きる場合と、今回のように全世界で起きる場合のリスクもあります。

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 今回コロナが発生した時に「へぇー」と思ったことがあります。インバウンドに携わっている方々の態度が二通りに分かれたな、と思ったことです。ひとつは「もうだめだ、どうしよう…」と思った方と、「いや、乗り越えられる!」と思った方。それは昔からインバウンドをやってきて、新型インフルエンザなどを乗り越えて、かつて困難を乗り越えた人たちは今回もなんとか乗り越えられると思う、状況に対応しようとする最初のマインドが大きく違います。
 
 今回のこの経験と教訓をしっかり分析し反省し、ちゃんとまとめて経験を記録してアーカイブし、次に伝えていかないといけません。覚えていないと立ち向かえないですよね。私たち喉元過ぎれば忘れてしまう民族で、つながっていっていないと強く思うのです。

 熊本地震の時に私は湯布院にいたのですが、湯布院は1975年に大分県中部地震という大規模な被災をして地域が大打撃を受けました。1975年の大地震を経験した年上の方々たちは旅館の経営者を中心に地元の大工を使うという方針に変えて、日頃から地元の大工と仲良くして何かあるとすぐ直してもらうという体制をとっており、それが熊本地震のときに活かされて湯布院の早めの復興に役立ちました。昔の経験から若者を叱咤激励して導いていくということがありました。

 主要な送客市場との関係悪化ですが、先ほど尖閣諸島、韓国のことも見てもらいましたが、それもインバウンドにとってリスクですし、経済的なこと、これから温暖化の影響による観光資源のダメージ、こういったこともリスクだと思います。

 冒頭、私はスキーが趣味と申し上げましたが、蔵王というスキー場、樹氷もご存じだと思いますが、樹氷は実は8割が枯れた木に雪をまとわせています。こういった状況がひたひたと日本の資源に進んできています。

 また政府がカーボン・ニュートラルを発表していますが、観光はカーボンをかなり排出していますが、これをどうしたらよいのでしょう。日本に来るには飛行機には乗らないといけないし、日本においてCO2排出を減らせる行動をとってプラスマイナスゼロにするのか考えていかないといけないです。

 今の国内政治情勢では観光はとても大事にされているがいつまで続くのでしょう。今できることをやっておかないといけないこともあるでしょう。

 この度のコロナで地域でも思ったと思いますが、意外と観光は理解されていなくて、愛されていなかったと思った人もいたのではないでしょうか。このあたりはリスクがあるのではないでしょうか。

 脆弱性を乗り越えて観光のレジリエンスをどう構築するか、皆様の知恵も拝借したいと思っています。

観光のレジリエンス(回復する力)とは何か

(会はディスカッションやQ&Aに進む)

― (司会) 観光庁は2008年10月発足した時は、リーマンショックで株価も為替も暴落し、観光どころではなかった時期。日本の海外旅行者数は1700万人おり、インバウンドはちょうど半分くらいで、観光庁設立から5年間にわたり900 万人の壁をインバウンド超えられない時代でした。今日の話で過去を振り返ったことで感染症(SARS・MARS・インフルエンザ)もいつも起こっていることを思い出しました。

― 民主党政権の時はJNTOも廃止されそうになって、VISIT JAPANキャンペーン予算とJNTOの役割は別物として以前整理されていましたが、JNTOを活用してインバウンドの市場を作っていく体制が再確認され、JNTOを中心にしてインバウンド市場をつくる体制(2015年訪日プロモーションの執行機関化)は組まれているが、いかに活用するかが非常に大事になりました。

― 現在までの12年間で急激にインバウンドが伸び当初想定されていた数値を超え目標4000万人まで軌道修正もされたが、当時の戦略の読みについて当たっていたことと、想定外だったことは何でしょうか?

 1000万人の目標を超えるまで少しかかったが、1000万人を超えると世の中での認知もされ、ニュースにもあがり歯車がいい方向に回って来ました。マーケットは生き物だという実感はありました。1000万人は越えなくてはいけない実務的な目標でしたが、4000万人や6000万という目標設定になった時の政策目標は、性格が違うと思いました。今までのやり方では達成できず構造改革が必要で、そのために予算をつけてみんなでジャンプしないと達成できない政策目標という色合いが強くなり、「観光立国」という表明になった。1000万人を超えた後の伸びはマイナス要因がなくラッキーな面もあったのと、インバウンドでの国別割合が多かったアジアの状況が良くなって、タイや台湾の人が増えたのが要素としてあります。

― 本来であればいくらお金を使ってくれたかという消費総額が重要ですが、4000万人とか6000万人とかマスメディアは何人来たという数字の方がわかりやすいのでそちらを使いがちです。7000万人とか8000万人まで行ける要素があると思います。世界で国境をまたぐ国際観光客は約15億人。今後10年ぐらいで18億人ぐらいになる。コロナ前の2019年で日本が世界で取れているシェアは2.2%、その数値を3%に上げるだけで世界の観光客が15億になれば5000万人、UNWTOがいう通り18億人になったら5400万人。伸び代があると考えている要素はデスティネーション・マーケティング強化し世界シェア4%になったら、国際観光客が18億人で計算すると7200万人になります。
 
 消費額の観点でいうと今まで訪日客は7割強が漢字圏の中国や韓国・台湾の人が多く、消費単価は自宅からどれだけ離れているかと正比例します。短期間の滞在だと1日あたりの消費額が高くても消費総額はそこまで伸びないことがわかっています。

 今後取り組むべきは距離のある所の人、ヨーロッパ・アメリカ・オーストラリアなどで、消費総額を上げるためにはラグジュアリーでなくても、滞在期間を伸ばせが結果的に消費額は伸びます。コロナで一旦振り出しには戻ったがヨーロッパ・アメリカ・その他中東圏遠くのマーケットを強化することで3100万人にもどって、さらに3100万人を超えていく可能性は充分にあります。

― ビジネスの集合体でしかなかった観光業界を産業にするのが大きな目標、と言われていた詳細を教えてください。

 一言でいうとみんなで稼げるものにしたい。観光ビジネスに従事している交通事業者、旅行会社、宿泊事業者が相乗効果を産んで、利益を出して地域の活性化をさせるような強さを持たせたいという思いを持って「産業」という言葉を使いました。自動車産業が日本の中で重要とされている理由は外貨を稼ぐことができることと、中でイノベーションを起こしマーケットに適用させる力を持っています。多くの企業を巻き込んで雇用を定着させることができるので、観光産業が自動車産業と同じくらい国の柱になればいい、という意味で「産業」という言葉を使いました。

― 矢ケ崎先生の書籍「インバウンド観光入門」で、2003年観光立国宣伝当時、日本のデスティネーション・インバウンド観光政策はブランド構築をしてプロモーションから着手すべき、したということに感銘共鳴したのですが、当時の状況はどうだったのか?また現在はどうなのかを教えてください。

 皆さんの質問がとても深く、一つ一つが15コマの講義になりそうで、皆さんさすがだな、と思い拝聴しています。

 私が観光庁に入庁した2008年、JNTOもちゃんとプロモーションしていましたが、国家ブランドとかブランディングとか、そういう言葉はあまり聞かなかったですね。では日本にはブランドがないのか、といえば「技術大国ニッポン」とか「経済大国ニッポン」というブランドはあったと思うのですが、観光におけるブランドということになると、「来て楽しいよ」「うちでお金を落とす旅がいいよ」など、そういう意味のブランドというのはこれまで作られてこなかった、と思います。

 日本の場合は国が大きく、いろいろな資源があるので、ブランドイメージの合意形成が非常に難しい国だと思います。そのため作業が非常に困難なので、また、ある程度「日本」という国が知られていた、ということでブランディングをすっ飛ばしてプロモーションをやっても成果が出てきている、ということだと思います。これは原忠之先生が「遠くからの人を呼びましょう」と仰ったところにも関係すると思うのですが、「どういう国なのか」というのは物理的に近くの国なら分かっているわけです。ですから、アジアの国に対して今更「日本はこんな国です」「日本はどこにありますか」なんてことを言わなくても来てくれる、ビザ緩和などをすれば来てくれるわけですけども、遠くの国に対してはブランディングをきちんと立てたほうがいいかもしれない、というところもあると思います。結構日本はブランディングするのが難しい国だと思いますよ、いろいろありますので。

― 難しいというのは要素がありすぎて絞り込めない、ということですか?

 そうだと思います。「いろいろありますよ」って、ブランドだとどうなのかな(笑)?

― JNTOに対して期待されることはありますか?

 JNTOさん、すごく頑張っておられるので、今の方向性でいいと思います。デジタル・マーケティングもやられている一方、地域との連携をもうちょっと進め、インバウンドに真剣に取り組もうとしている地域にめちゃくちゃ頼りにされるJNTOになってください。まだ地域との接点がそれほど強くないと思います。もうちょっと直接にいろいろやれるようになって、プロ集団として地域を支える存在になってほしいです。今のJNTOには充分その力があると思います。

― 「接点が少ない」というのは何が原因ですか?

 JNTOの事務所って国内に一か所しかないですよね。日本の地域がインバウンド政策と接点を持とうとすると、地方の運輸局とか経由になって、ワンクッション、ツークッションと間に入るので、伝言ゲームになってしまうのです。

(続いてブレイク・アウト・セッション「日本のインバウンド観光のレジリエンス(回復する力)とは何か?」をテーマに参加者が9グループに分かれ15分間討議後、全体発表)

<Room 1>
 レジリエンスとは何か?完璧なウルトラCはまだわからないが、海外OTA等の方々と話をする中での経験から言うと、日本の現状や持っているものを海外に向けてそのまま発信、提供するのではなく、世界のスタンダードを取り入れた形で提供することが必要ではないか。安心安全についての情報発信をすることはもちろんであるが、他国の状況を把握し、他国には無い日本独自の取り組みを発信することにより日本の差別化を図るべき。そうすることによって、今後再び爆発するインバウンド需要に備えるべきである。それがレジリエンスの着火剤になる。

<Room 2>
 旅の本質は、日本人も外国人も変わらなく、日本人が楽しめることが、外国人にとっても楽しめる。その考え方を持って取り組めば、日本としては、マーケットを国内にも海外にも両方持てる。つまりリスクヘッジになる。多様性、癒し、人との交流、ツーリズム等のキーワードを意識して日本のコンテンツを見せれば、日本を選んでいただけるし、回復してゆけるのではないか。

<Room 3>
 レジリエンスとは何か?それは今のコロナの状況から復活すること。その前提としては、日本国民全体がワクチンの接種を終わらせること。まずそれを急がなければならない。その上で、海外との接点を持っている方々が、日本は安心安全であると情報発信することが必要。この30年間で、日本は貧しく=経済が途上国型に変換しつつある。地域経済や産業の中心となっている方々は輸出マインドの方が多いが、外貨を稼ぐ地域活性化の方法として、輸出中心からインバウンドに考え方を切り替えていただく必要がある。また、地域の住民と、オーバーツーリズムの問題について、いかに折り合いをつけてゆくかが大切な課題。

<Room 4>
 日本のブランドイメージは海外の方が高いのではないか。ブラジルに住んでいると強く実感する。このグループのように、議論をする場を持っているということ自体がレジリエンスを象徴している。政権交代をしてもインバウンドが残るのが大事。いま大変厳しい状況を経験して、今後どのような大きな困難が起こっても動揺せず乗り越えられれば、それがレジリエンスを高めていると言える。日本にはわび、さび等の精神性や文化がベースにあり、それを広めるため再確認するための学びや教育が大切。国のブランドイメージをマネジメントすることについては良い面と悪い面があり、多様性と様々な解釈があるということを確認した。サスティナブルに対する取り組みに関しては、日本人はブームではなく自然にやっている。日本人の根底に流れているものそのものがレジリエンスであり、無理をしてやっていない。それをいかにして打ち出してゆくかを考えるべき。

<Room5>
 日本のインバウンドのレジリエンスは何かという論点と、どう構築していくかということを分けて話し合った。何かというところの論点は、そもそも日本人は精神的に強い、戦後復興をやってきたという話が出た。そもそも島国であり独自文化が極めて成長してきている中で世界の国から非常にその独自色を望まれ、行きたい国というところもあり、そう考えるとそういう独自の文化みたいなところにちゃんと日本人それぞれが誇りを持つこと自体がレジリエンスではないか。それをどう構築していくかという論点で、そもそも観光産業は自社最適になっていないか、個社個社がどう生き残るか?みたいになっているので、そうじゃなくてその枠を超えて観光産業が社会を変えていくんだ、というくらいの気概のもと、社会の全体最適を観光産業がやっていくんだよと、いうメッセージ性が必要。

<Room 6>
 いいお客様をしっかりと呼んでいこうという話が多かった。やはり熊野古道は欧米豪のお客様が多く、滞在期間が延びるほど満足度が上がる。本当にお金持ちが呼べるような状況にあるのかということ。現場で見ていると外にレジリエンスを求めていったとすると急にLCCが増えるということは無いのでいきなり大量のお客様が戻ってくるということはないと思うので、それに対して価値がある中間層以上のお客様を呼べるだとかそういったことをやっていく必要がある。内部的なレジリエンスを追求していくのであれば、しっかりとした財源確保であるとか自然環境の保護をしっかりと今固めていくタイミングなのではないかと思う。

<Room 7>
 人間力と自然の多様性とそれからストーリーという3つのキーワードが出た。そもそも非常に自然災害の多いところでそれに対して打ち勝ってきたというそこで培われてきたレジリエンスというものが既にあるのではないか。人間力ということでいろいろな人との繋がりであったり、助け合いであったり、めげない気持ちであったり、雨が降ったら傘をさすようなしぶとさであったりというようなところが、日本のインバウンドにも生きるのではないか。富裕層向けの観光では良質なストーリーがあることが非常に観光における成功要因になっている。そのストーリーの発掘とストーリーテラーの養成というものを進めていけばいいのではないか。コロナだからといって日本の魅力は失われていないと思う。日本の外から認められている価値を見えるようにしてほかの国との競争に勝つようにしていくことを地道にやっていくことが必要。レジリエンスは何かということよりむしろ、今レジリエンスが足りないところは航空とそれから宿泊が今非常にダメージを受けていてポキッと折れそうな状態になっているので、これはやはり大きく支えないといけない。

<Room 8>
 観光のレジリエンスは人のレジリエンスだということで、それをいろいろな側面から話した。外から海外からの目線を入れるとか、手元にあるものを大事にするとか、いろいろな方向で話した。矢ケ崎さんへのラブコールが出ていて、今日のお話をお聞きしていてもやっぱり現場のど真ん中に来て頂いて、私たちに知恵や愛を授けて頂きたいという様なラブコールが出ていた。

<Room 9>
 災害や大きな事件等が起こっても暴動や略奪行為が起きない。超富裕層やVIPでもSP・警護を付けずに街を自由に歩ける、誘拐や強盗被害等の心配も少ない。災害や事故等、どんなことがあっても物事をキチンと進めようとする。台風や大雪の日でも皆、何としてでも出社し、業務を止めないための努力が凄まじい。コンビニはどんなことが有っても基本的に24時間開いており、トラック運転手達も全国各地でどんなことが有っても休まず支えている。日本では「人の目がある」場所では皆、比較的礼儀正しくキチンとしている。社会が信頼・信用関係、更には「こうあるべき」という規範や「お約束」の中で成り立っている。社会全体が相互に監視しあっており、それが全体のレジリエンスにも繋がっているのかもしれない。

組織の連携、宿泊、リピーター、国民の理解

(イベント最終盤、まとめと講評をいただく)

 レジリエンスはいくつかのレイヤーで考えたい。企業や活動しているグループ、地域や地域がまとまった広域、国などのレイヤー(単位)ごとに少しずつ違って、違ったレジリエンスのアクションを取っていく必要があると考えています。違うが故に、もし、それらが一緒に活動をしていけるようになったら相乗効果を産み、日本の観光はとても強くなると考えています。

 企業の自社最適になっていないか、というご意見に関して、私もそう感じています。観光の場合、地域の中で活かされている企業という意識が大事であり、その地域にある資源により、ビジネスができているということを謙虚に考えて、視野を広げ活動していこうと意識付くと、各企業の連携が強まっていくと思います。

 地域のレイヤーでいうと、多田稔子さんが会長の田辺市熊野ツーリズムビューローはDMOの日本最高峰と思っています。各地域でがんばるDMOを今後5年間の観光立国推進基本計画の中で育てきる、という政策を取ってほしいと思います。稼げる地域、ファンをたくさん作れる地域になってほしいです。

 地域で一番お金を回せるのは宿泊事業です。観光庁の時にデータをつくってきました。観光地域経済調査では観光消費の域内循環ができるのは宿泊がダントツです。そこが地域資源を利用してくれたり、泊食分離をしたり、地域の物を使ってショーケースなどをしたり、ということでもっと強くなっていくと思います。

 リピーターを各レイヤーが本気で作っていく必要があります。リピーターは何かあってもその地域のことを気にしてくれる、一番最初に戻ってくる、何度来てもお金を落としてくれる、宣伝費もいらず新規顧客コストがかからないです。やっぱりありがたいです。日本はリピーターを作るのが下手で、なぜなら日本人の国内旅行は平均1〜2回なので、毎回新しい所に行きがちです。行った先では毎回新しいお客さんになるので、地域の側ではリピーターになるメカニズムの分析がなかなかできていないです。沖縄くらいしかそういう分析を見たことありません。人は人に引っ張られます。人は胃袋に引っ張られます。人は行って何かやればやるほど上達するというアクティビティに引っ張られます。この3つがすごく大事な要素だと思います。

 「インバウンドは大切!」という気持ちを多くの国民の中に育てたい。「GO TOトラベル」という需要喚起政策を行って、こんなに誤解と批判されることが多かった国ってどうなの?と思いました。海外の方からは賞賛されていたのですがが、国内ではめちゃめちゃ言われて。観光に対する国民の気持ち、「気持ちの観光インフラ」ができていないので、そこを育てていってほしいです。

― 今日のお話は講演録を文字起こして、それの答えをみんなで考えていきたいです。また、矢ケ崎さんにもこういった観光関係者の場で知恵と勇気を与えていただきたいです。

 ぜひ、お仲間に入れていただけると、とっても嬉しいですー。

― 今回の個人的な学びは3つ。まずは今自分たちが当たり前に触れている情報や成り立ちや変遷を知ること。500万人時代から1000万人、2000万人、3000万人の変遷を知ることができました。過去の成長要因、阻害要因を学びながら、日本のインバウンド可能性と脆弱性を理解し、昔の経験を活かすこと。今後も日本の観光の変遷を学んでいきたいです。
 
― 2つめは、日本のレジリエンスとは多様性、という話。一元的なものを誰かが決めるのではなく、大きな器を作りながら、多面性、多様性をもたせていくことが大事。又このグループ自体が一つのレジリエンスでは?という考えは、まさに膝を打つ気持ちになりました。

― 最後に、2030年のロードマップをこのグループを通じて考えていきたい。世界での戦況分析をベースとし、6000万人という目標をターゲットごとに細分化し、便益性、HOWを整理していきたい。同時に、確実に積み上げていって起きる計画的偶発性を楽しんでいきたいです。

(その後、二次会でも質問やディスカッションが続いた)

― 値上げについて
 私たち日本人は致命的に価格戦略が弱い、つまり、安く値決めしてしまいます。値上げには地域の反発が伴う。阿寒湖温泉が入湯税を上げる際に、利用者の側に徹底してアンケートを取り、500円くらいまで値上げしてもいい、という調査を年に何回か行い「実際に払う人はこう言っている」ということを行ったと聞いています。

― リピーターについて
 いち早くリピーター分析を始めた沖縄では「うちの観光資源は“おばあ”」、おばあがリピーターを生む、と知っています。人と、胃袋と、繰り返し行くと上達するアクティビティ、がリピーターを生むと思っています。

― ブランディングについて
 メソッド通りに五輪を活用して上手にブランディングしたのは英国と思います。ブランドとは、ブランド政策がなくなることが最終ゴール、みんなの頭の中に国のイメージができるとブランド政策がいらないですね。2008年に研究したところ、フランスは他国と違って、ブランディングはもう不要で、プロモーションだけやる振舞いでした。マカオはリブランドとして、カジノだけでないと打ち出そうとしましたが、やはり要らなくなるのがいいですね。

― 矢ケ崎さんから参加者に質問
 皆さんの共通項は、インバウンドを盛り立てるということと思うのですが、なぜインバウンドやっているんですか?

― 「楽しいから」「海外にいたからこそ日本の良さを伝えたい」「外交の目的は日本の友達を世界につくる。インバウンドはその役割を果たし、成長していく可能性がある」「観光は地域で様々な産業や住民も誰でも主体者になれ、自分自身も旅をするので共感ができる」

― 市場の捉え方について
 日本のインバウンド政策も市場によって違う、加えて、国でなく横串のテーマで見ることも必要、という話ができるところまできましたね。香港の方々は海外に出られない中、自然やアウトドアのアクティビティが好きだから、高級グッズが売れていると聞きました。せっかく買った高いグッズを使える場所として日本旅行を考えてもらうとかは?以前、上海のカメラ好きコミュニティを対象にして、日本の高級カメラを持っている人たちを一気に引っ張ってきた、という話もあります。モノづくり大国ニッポンのモノという資源を、インバウンド観光にも活かせたらいいですね。

― 情報収集術について
 いろいろな人からカジュアルに聞く。この1年も旅行をして、地方の温泉旅館経営者など地域に詳しい方の話をマメに聞きました。いい経営者はいい情報を持っています。地域で誰が私の欲しい情報を持っているか、わかっているのはありがたいことです。

― リピーター獲得の成功例
 アクティビディで何度来ても失敗せず楽しいのは、白馬のスキー場。野沢温泉のスキー場は人で惹きつける。地域はどんな強みでリピーターを呼ぶかを考えることが大事です。行ったら顔を覚えてくれている、しばらくするとコンタクトがある、などといったことも必須です。

― アメリカでは食事とお祭りを経験すると、日本リピーターにつながると分かっています。矢ケ崎さんが消費動向調査の質問票を作られたことが、その後10年にわたり貢献しています。

― なぜ観光庁に抜擢されたか
 経済がわかりソリューションが考えられる女性の課長を民間から入れたい、組織ピラミッドの構成上もちょうどいい年齢、ということで候補の最後尾から私ということになりました。私は当初は観光庁を、官公庁と勘違いしていました(笑)。

― JNTOが受入れ施設向けのピクトグラムを制作するなど、国内の施策に目を向けている。以前はプロモーションが主だったが、こういう状況で今は商品開発のニーズなど、観光事業者にフィードバックして相談する動きもできてきている。

 台湾の訪日旅行商品を作っている方々も、繰り返し日本に来ている方が満足する新しい観光資源を見つけるために地方を回っているそうで、特にインセンティブ旅行でそういうニーズが高いようです。

― 国内に支部がないJNTOが広域DMOを全国への拠点として連携したらよいのでは。

 JNTOと広域DMOの機能が被らないように、上手に地域の皆さんとも連携する形を作りたいということで話し合いをもっていただきたいと、日本観光振興協会がコーディネートをされています。元観光庁観光産業課長である鈴木副理事長がすでに2~3回、場を持ってくださっています。そこに皆さんの要望を伝えて、膨らませていったらいいと思います。

― 渡航が止まっている中で国内からUGCを発掘してJNTO+広域DMO+地域で連携することなど価値がありそう。

 そのためには広域DMOのスキルアップも必要ですね。JNTOに蓄積した能力を引っぱってきて増幅されていくことが必要ですね。

― 広域も地域DMOも同様のことを、デジタル・マーケティングや調査などでやろうとなってしまう。地域の各論も広域DMOが正しくリードできると望ましい。10の広域DMOにはプロのマーケターを置くことで、マーケティング・エージェンシーとして地域の底上げに貢献していけるといいのでは。

 どこかで一つ成功例ができると、見えやすくていいですよね。

― 私たちと同じことをどこかで考えていることもある人をご存知でしたら、つなげていただいたらありがたい。

 私も皆さんのご意見を拝聴したいです。自称有識者みたいな私も含めて偏っていることがあるので、いろいろな人の話を聞きたいです。

― 今日は最後までありがとうございました。

編集協力:中島 しのぶ、常井 大輝、蛯澤 俊典、星乃 勝、長野 京子、小杉 千寿子、米田亜季子、満沢 康裕、熊谷 篤、山﨑 友起子、萩本 良秀 (DMO anywhere)

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