『ソニックフロンティア』の物語はソニックそのものを象徴している

※日本語版に基づいた感想なので、一部英語版と異なる場合があります
※ネタバレ注意

割と当たり前のことを言っているというか、単純に見て感じられたことを言葉にしているだけなので、深い考察とかではないです。

可能性の原生生物

物語冒頭で天の声はソニックのことを「可能性の原生生物(いきもの)」と呼んでいますが、この言葉がソニックフロンティアの物語を包括して表現しているような気がします。

まず、原生生物とはなんぞやという話ですが、私も生物学とかの知識はまったくなく、Wikipediaの概要だけ読んだくらいの知識しかないので全然分かりません。ただ恐らく「菌界にも植物界にも動物界にも属さない」というのがポイントになってるのではないかなあと考えています。

ソニックはハリネズミという種族に割り振られてはいますが、その正体はまったくの謎で一切明かされていないところがあります。なぜカオスエメラルドを操ることができるのか。なぜシャドウのような究極生命体同然の力を秘めているのか。そもそもどこで生まれてどこから来たのか。主人公でありながら、その存在は全くの未知数です。
したがって、ハリネズミではありますが、常識の範疇を遥かに超えて何もかもを可能にしてしまうソニックは、動物なのか植物なのか菌なのかとか、そういう単純な括りでは表せない存在なのではないかと思います。そして、それが「可能性の原生生物」である理由なのかなと。

今までの主題歌に“Endless Possibility”なんてものもあったり、“His World”では銀河系最強みたいな風にも言われてるわけですし、そのポテンシャルは計り知れないでしょう。

そして、そんなソニックの可能性をより一層引き立てているのがセージとThe Endです。

まずセージは物語中盤、もしくは終盤までずっと事象演算を基に行動しており、可能性というものを否定し続けます。しかし、ソニックはことごとく彼女の予想をはるかに上回り、どんな局面も乗り越えてしまいます。
その結果、彼女自身もソニックから影響を受けて、あらかじめ決められたAIという枠組みを超え、人間としての心を得ることになります。そして、演算では処理できない未知の可能性が存在することを理解し、ソニックたちと災厄に立ち向かう決意をすることになるのです。

もちろんAIが人になるみたいな話自体はもう映画でも何でも何度も擦り尽くされたテーマだとは思いますが、それをソニックという存在に照らし合わせてみると、より説得力が増すというか、やっぱソニックの可能性凄いなってなるんですよね。
絶対だと思っていたものが覆されるというのをセージは身をもって経験してしまうわけですから。彼女の視点で観測するとソニックの偉大さが一層際立つことだと思います。
(岸本さんが以前あみあみのインタビューでセージを第二の主人公と呼んでいた理由もわかった気がします)

そして、極めつけがThe Endです。The Endはまさしく覆すことができない、事象演算の上では何もかもの可能性を否定できてしまう存在です。そんな存在を、可能性の原生生物であるソニックと、彼から影響を受け、自身に定められた枠組みを超えたセージが打ち倒すというのですから、これもまたソニックが持つポテンシャルを表すにはこれ以上ないラスボスだったのではないかと思います。
またThe Endの目的は、ざっくりいえばすべての生命に安寧をもたらすことで、これは全員を電脳空間に閉じ込めて永遠に生きながらえさせようとしたセージとあまり変わりないわけです。そんな自分自身の成れの果てになりえたかもしれない存在をセージ自身が覆すからこそ、これまたソニックの影響力の強さが印象に残るのではないでしょうか。

つまり物語全体を通して、ずっと「ソニック・ザ・ヘッジホッグは因果をも超越するヤバいやつ」だということを伝えているわけです。
ソニックフロンティアという作品自体がソニックそのものを象徴しているのではないかというのはこういうことです。

今回からソニックシリーズは第三世代を迎え、新境地へと足を踏み入れたわけですが、その一歩目でこんなふうに改めて「ソニックとは」について考えられる作品が生まれたことにも何かしらの意味があるのではないかと考えています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?