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30、療養旅行


フェルセンは病気の妹ソフィーと共に、ソフィーの療養を目的とする旅行に出かけます。





フェルセンは王国の元帥の地位を与えられることになりましたが、最初は拒否しました。
これは、名誉的な地位であり実際にはそれほど重要なものではありませんでした。それなのに拘束力があり、果たしたくない義務に縛り付けられるものでもありました。

王国元帥の待遇が改善されると、フェルセンは職務に就く前にある条件と引き換えに承諾しました。
その条件とは、病気を患った妹と一緒に療養を目的としてヨーロッパを旅行することでした。1801年の終わり頃のことです。


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旅行には、フェルセンとソフィーのほかに、姪のヘドウィグと彼女の夫メラースヴェルトが同行します。

一向はシュトラールズントやスウェーデン領ポメラニアなどを通過し、イタリアへ向かいます。

ローマでは、ナポレオンを戴冠させることになる教皇ピウス7世に謁見しました。
フェルセン曰く、「彼は陽気で非常に簡潔に話した。善良な司教であり、それ以上の何ものでもなかった」そうです。



ソフィーの病状は悪化していますが、まだ旅行は続きます。
ピサ近郊で、フェルセンとソフィーの姉ヘッダが埋葬されている教会を訪れました。ヘッダはイタリア旅行中に亡くなりました。

フェルセンは最愛の妹まで(ヘッダと同じ状況で)失ってしまうのではないかと耐え難い不安を感じていました。
同行者のメラースヴェルトは道中で体調を崩し亡くなっています。


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この旅行の途中、フェルセンはハンブルクでコルフ夫人と会うことができました。
コルフ夫人は国王の逃亡計画の際に大金を貸してくれた人物です。



彼女は年をとったが、また会えて嬉しかった。彼女は私にとってとても魅力的だった。 何不自由なく暮らしているが、彼女がどれほど多くを、そしてどのように失ったかを考えると、私は悲しくなった

とフェルセンは書いています。


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旅行は無事に終了し、1803年2月5日、ストックホルム南部の所有地の一つに到着しました。






フェルセンはこの旅の中でも他の女性との情事を体験しています。

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