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アニメ『神様になった日』が叩かれていることを妥当だと思いながらもどこか腑に落ちない気持ちを抱えてしまった麻枝准アンチのチラ裏

※『神様になった日』のネタバレがあります。

2020年10月~1月期いわゆるアニメの冬クール『神様になった日』は放送された。麻枝准とP.A WORKSが『Angel Beats!』『Charlotte』に続いて三度手を組み世に送り出した〝泣きの原点〟と〝ボーイミーツガールの到達点〟なオリジナルアニメ。

だが蓋を開けてみるとできの悪いシナリオ、終盤に出てくるあまりに現実とかけ離れた介護描写等に視聴者のヘイトは溜まっていき最終話放送直前に原作者の麻枝准は失踪。そして放送された最終話も今までの不評を覆すほどの物ではなく無事プチ炎上騒ぎとなった。

正直妥当な結果だと思う。

だってつまんねーもんこのアニメ。

いや、つまらないだけならまだいい。

主人公の陽太は終盤で難病を患い要介護状態となり喋ることも歩くこともできなくなったヒロイン・ひなをなんかよくわからん治療施設(こういう所をはっきりさせないのもアニメとして出来が悪い)から自分と一緒に過ごした時間はひなも楽しかったはず、本心では一緒に暮らしたいと思っているはずというなんとも幼稚な理由だけで身分を偽って無理やり連れ戻す。

はっきり言って滅茶苦茶不快な人物だ。そしてこの主人公を物語の中で純粋にひなを思っている人物だと周りが肯定しまくる。

この構図も限りなく不快だ。つーかキモい

歩けなくなったひなを映画撮影に参加させて歩けただけで仰々しく皆が抱きしめて褒めるのが不快だ。障碍者に対してあまり関心のない健常者の僕から見てもあまりに障碍者を馬鹿にした描写じゃないかと思ってしまう。

今挙げた不快ポイントは主に物語終盤の話だが前半だって不快にこそならないがただただつまらない。前半部はいわゆる日常回、ギャグ回が詰め込まれているが、なんというかセンスが00年代で止まっているかのようなキャラ、ギャグ、展開、演出で全く見ていて面白みを感じ取れない。

麻雀回なんて僕が麻雀好きだからか普通に不快でした。

要するにつまらない上に不快なんですよこのアニメ。見てらんないと思った。

その見てらんないと思ったアニメをなぜ最後まで見たかと言うと僕が麻枝准アンチだからです。アニメアンチたるもの全話視聴した上でなければ存在すら許されないのはこの世の常識。だから全話見ました。なんなら僕と麻枝准作品は最初の『Angel Beats!』の時に出会っていますから当然『Angel Beats!』も『Charlotte』も全話見た上でしっかり嫌いです。

そんな筋金入りの麻枝アンチ(key原作関係は普通に興味ないのでスルー)の僕ですが今回の『神様になった日』を見終わった後叩いている人たちの意見を見て何か腑に落ちないというかもやもやが残ったのでここに吐き出したいと思います。ここから本題です。

『Angel Beats!』『Charlotte』と比較してみた時の『神様になった日』


僕がもやもやしてたのは『Angel Beats!』『Charlotte』と比較した意見で

・『Angel Beats!』の方がよかった

・『Charlotte』ってつまらないと思ってたけどまだマシだったんだな

等の意見。

んなワケねーだろ目ん玉ついてんのかって思いました。

まあ僕は麻枝准アンチなので上記二作も普通にゴミアニメだと思っているんですがそれは置いといても『Angel Beats!』も『Charlotte』も前半に無駄な話を持ってきて終盤に大事な物事を詰め込みまくって視聴者置いてけぼりにしちゃうという致命的な構成の欠陥があるんですね。

それに比べて『神様になった日』は前半に日常回兼ギャグ回で必要最低限の人数のキャラの掘り下げを行い(掘り下げになってないことが問題なのだが今は構成の話なので無視)中盤の8、9話で物語の核心に触れて(核心に触れたせいで世界が滅亡するまでの設定が途端に意味を無くしたのが大問題だがそれも今は無視)ラスト3話でひなを連れ戻しきっちり締める(全てが雑で酷いがもうこれもスル―)つまり構成上破綻はないし、12話構成のアニメでやるべきことはちゃんとできている。まずこの時点で個人的には今までの麻枝作品より上であると思います。

そして何より『神様になった日』の最終話で長年の麻枝アンチである自分はグッときたんですよ。

別にアニメの内容でではないです。ここまでさんざん言ったようにアニメとしての出来はほんとにひどいものだからグッとくるもクソもない。

『Angel Beats!』は主人公や仲間が死後の世界の学校で正体不明の神に抗うための戦線に仲間入りして生前果たせなかった人生の悔いを解消するための物語。

『Charlotte』は特殊能力が使える高校生が生徒会に入りなんやかんやあった末に全世界の超能力者を消すために駆け回る物語。

どちらも規模のでかい話だし死後の世界の学校とか超能力を使う高校生とか平成生まれの中高生がワクワクするような設定だと思う。

それに比べて『神様になった日』は難病に侵された少女が脳内に埋め込まれた量子コンピューターのおかげでひと夏の楽しい思い出を謳歌し、それが外されまた寝たきりになってもその夏できた仲間たちが変わらず少女と一緒に歩いていくという物語。

キービジュやキャッチコピーがどれだけ煽ろうとも大体のシーンは一つの町の中で完結してしまうような小ぢんまりとした物語であることは間違いないと思います。

三作並べてみた時、僕は麻枝准年取ったなと思いました。と同時に初めてオリジナルアニメに真正面から取り組んだなとも思いました。感想ですけど。

設定とかそういう小細工じゃなくてとにかくちゃんといい話を自分の持ってる武器だけで作ろうみたいな。

でも麻枝准の持ってる武器のいわゆる〝泣き〟ってセカチューなんですよ。

可哀そうな女の子が出てきて頑張るけど死んじゃって悲しいみたいな。

00年代はそれでよかったんですよ。通用したんですよ。オタクやら業界が〝泣きのパイオニア〟って持ち上げてくれたのがその証拠。

でも2020年の現代ではそれは通用しないんですよ。酷い出来のアニメが出来てぶっ叩かれてるのがその証拠。

他に持ってるギャグって武器もこの2020年のセンスで見たら古いし笑えない。時間の経過に耐えうるほどの強度を持ってなかったんです。

『神様になった日』のラスト、ヒロインのひなは要介護の障碍者になって主人公はそのひなと一緒に歩いていく決心をして終わるわけですが、正直な話物語のオチとして考えるならひなは奇跡が起こって健常者に戻るか死んでしまったほうがどう考えても話を作るのは楽だし収まりがいいんですよ。

ていうか今までの麻枝准ならそうしてたような気がする。思い出を作ったひなを死なせてその別れで〝泣き〟を演出してたように思う。

でもこのアニメはそうじゃないんですよラストの主人公のセリフを借りるなら「奇跡もない残酷な世界」を一緒に歩いていく終わり方をしたんですよ。

当然泣けないし、話も気持ちよく纏まらない。でもすごく真っ当で安易な泣きに逃げないまっすぐで美しい終わり方だと思います。

こっから先はもう妄想みたいな話なんですけど、このラストに僕はもう現代には通用しない武器しか持たないロートルが何とか誠実に実直に良いものを作ろうとしてダメだったという姿が透けて見えてなんかグッときました。

何回も言うようにアニメ自体は本当に酷い出来だったと思います。でも自分は何か小細工めいたもので上手くやろうとした感のある『Angel Beats!』や『Charlotte』より誠実に良いものを作ろうとした感のある『神様になった日』の方がずっと好きです。そしてもし僕の妄想が当たっているのであれば麻枝准という人が作るアニメをこれから先まだ見てみたいなと思いました。

まあアンチだから全部嫌いなアニメではあるんですけどね。

お目汚し失礼しました。

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