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ファンタジーを邪魔するな

昨日花火大会でで会ったヨットマンに「柏崎までついて行かせてください」ってお願いした。

「いいよ。明日の朝8時ごろ出航するから。」って言ってくれた。

今朝、7:50に港に着いた。ここから秋休みが始まると思い、急いで荷物をカバンに詰めて、意気揚々と向かった。

船は無かった。もう出航していた。海や風の様子で早めに出航することを決めたのかな。

落ち込んだけど、降って湧いたような話だったし、振り出しに戻っただけと思ったらそう落ち込むこともない。

と思っていたが、同居人からかなり心配されたので、こころはちゃんと沈んでようだ。

余談だけど、自分が読む心情と他人が読む私の態度に乖離がある。わかりやすいと言われるけど、自分では全然心が読めない。不思議。

ヨットに乗り込めずに不意に時間ができたので、北にいる知人に会いに行った。これもまた先週の花火大会で出会ったひと。夏の佐渡は祭りで忙しい。

人と会うと気はまぎれる。1時間のドライブも心地好い。海際をずっと走れるのが良い。急に田んぼも黄色くなって秋を象徴しているし、この景色の美しさのために、佐渡に長期で居ついてしまっているんだと、過去の自分を思い出した。

ひとまず今日は島をでることをやめたので、図書館に寄った。北にいったついでにいつもと違う図書館にいった。

新着本として平置きされていた「ドリトル先生航海記」。新訳版


昨日読んだ「伊豆の踊り子」とその他からの反動かもしれない。
恋愛・現実的・大人な世界の逆張りとして、児童文学・ファンタジーに惹かれた。

図書館でその世界観にどっぷりはまり、ヨットに乗れなかったことなぞ忘れて、主人公の少年のあふれだす好奇心や優しいドリトル先生にほっこりしていた。

図書館が閉まってしまったので、仕方なくおうちで続きを読むことにした。

こんなへんてこりんな世界観だったか、この展開は子ども向けすぎないか、そんな中途半端な大人な自分がでてきて鬱陶しかった。

家はシェアハウスなので家に一人だとしてもどうしても人の気配を感じてしまう。誰かが帰って来やしないかと心のどこかでびくびくしてしまう。そうすると、自分だけの世界を構築したうえでの客観性が発揮されて、ファンタジーにのめりこめない。

一旦本を置いて、楽器を弾くことにした。

自分の部屋でヴィオラを弾いていると、集中力・自分の世界が少しずつ確立されていく。

POOLOのぴろちゃんが「森のピアノ」というプロジェクトを立ち上げようとしている。周りを気にして表現がしづらいひとのために、安心して一人に慣れる空間を提供することを目的にしているらしい。

それを聞いて、人前で楽器を弾きたくなかったり、周りがいるときになっちゃうことって、だれしもに当てはまることじゃないのかと知った。

「繊細さん」って大変だね、なんて他人事に構えている場合ではなかった。

楽器を一頻り弾いた後は自分の世界に閉じこもって(ひとの気配にびくびくはするけど、そのびくびくを上回る集中力が発揮できる)、しゃべる魚や乗り物になるカタツムリをわぁああああああ!良いいいいい!楽しいいいいいい!って思いながら読みふける。

いつかマンボウの背中に乗って海を渡ってみたいって想っているし、死ぬまでには海の中に住めるんじゃないか。ってそこそこ本気で思ってたりもする。

改めてファンタジーアドベンチャーが好きだし、その好きに応えてくれる作品にであえてしあわせ。

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