「どうせ自分なんて」を捨ててみた
最近気づいたことがある、
自己理解が低いことはしょうもないということを。
当たり前かもしれないが、この気づきを糧に最近になって自己理解を進めることにした。
その経緯は少々前途多難で、足枷がいくつもあり、意思はあっても実行できずにいた。
大切な仲間の存在で足枷を外し、自己理解を深められるようになったので、足枷を外していく経緯を記録したい。
自己理解の3つの足枷
自己理解は不要
これまで自分のことをよくわかっていないことをどこか他人事のように、笑い事のように捉えていた。
体力や思考を自己理解に費やす必要性も感じていなかった。
だが大切な仲間が進化していく仲間たちと一緒に居続けたいという思いから、「自分のことはわからない」という状態を改善する気になった。
いまはそばにいてくれていても、仲間たちは成長し続けていて進化しているので、悲しいが常にそばに居続けてくれるとは限らない。
昔から「諸行無常」という言葉があったり、憲法が自由を得るためには「不断の努力」を要しているように、最高の仲間との関係は変わる。
「LIFE SHIFT」の著者であるリンダ・グラットン氏も、「パートナーであっても一生一緒とは限らない。進む道が変わればその都度必要なひとをそばに置くもの」というようなことを言っていた。
「選ぶ」側としての目線で書かれているけど、それは同時に選ばれる側としてもシビアな世界で、それを覚悟しないといけないんだろう。
実際に、仲間が遠くに一歩踏み出したと思う瞬間がちらほらあった。その線を越えたさきで、輝く何かを見ているように感じる。
自分と比較してどうというわけではないが、
純粋に、同じ場所に行きたいと思った。
見る世界は違っても、隣の世界くらいには位置したいと思った。
自己理解は不要という足枷は捨てられた。
どうせ自分なんて
自己理解を経て苦手を克服したり得意を伸ばすべきと頭で理解はしたが、心はまだついてきていなかった。
周りから自分を知って輝かせろと言われても、そんなに期待しないでよ、頑張れないよって、周りの応援を受け流してた。
「できなくても自分はそんなもんだ」「十分よくやっている。これ以上は無理」と思ってしまうのだ。つまり、自分に期待をすることができなかったので、前に進められなかったのだ。
そんな感じだったが、昨年の暮れに、ちょっとした罪悪感を抱えている事象について友人に吐露したことがきっかけで心持ちが少し変化した。
自分が友人に対して不誠実な態度をとっており、そうした行動に罪悪感を覚えつつも変えられないという悩みについて吐露した。
不誠実であり、それを認識したうえで行動を変えられないどうしようもない人間だと自分を認識していた。
詳細は割愛するが、周りのひとから「最低だ」と言われるような行動でもあった。にもかかわらず、友人は意外な反応をした。
「あたなは自分を誤解している。人手なしでも不誠実でもなく、むしろ誠実。その行動は、誠実だからこそ起きている。」というようなことを言った。その結論を導くエピソードも語ってくれた。
目から鱗だった。
最低だと言われるような他人への刃として表出した行為は、自分自身に突き刺していた刃の鏡だったと気づいた。
救われた気がした。
自分に期待しないなんて、寂しいし虚しい。
自分に期待しないのはとても楽だけど、自らが創り出した寂しさを抱えなければならない苦しさもあった。
楽ではないが、他人に刃を向けないために、
真実かどうかは置いておいて、自分は誠実な人間だと認識することにした。
自分に期待が持てるようになった。その結果、出来ないことをできるようにしてみよう。そこそこできることも、より伸ばしていけばいいと思えるようになった。
内省は恥
最後に捨てた価値観は、自分のことを考える(内省)のは自意識過剰で恥ずかしいという思考である。
自分のことを考えていることを周りに知られるのがいやで、周りからの自己理解のアシストを受け止めずに流していた。
そもそも内省が恥ずかしいというのは、自意識と自己理解を混同していたからだ。「自分を知りたい、自分のことを考えているなんて自意識過剰だ」、と思われたくないという、自意識過剰さがあった。
大切なひとから「自己理解に関してこどもだ」と言われたことで、足枷は外れた。自己理解は能動的な努力の結果であるといったニュアンスも含んでいた。
はじめて自分のことを知らないことは欠点だと知り、同時に内省することや自己理解のために思考することは恥ずべきでは無いと知った。
新しい世界を楽しみに
いまは着実に足枷を外し、今は自己理解を自分のペースで進めている。
まだ自分は何が好きなのか、何が得意なのか、苦手は何かを理解している最中で、何を武器にすればよいかまではわかっていない。
悠久に思える時間が必要だという気がして諦めそうになるが、ありがたいことに自己理解を助けてくれる仲間や自分を磨いているお手本がそばにいる。目指すべき目標が近くにいるというのはとても心強い。
ニーチェ先生が言うように「今」を生きたいし、
ちゃんと今の自分に向き合うことにする。
そして、そこから見える新たな世界を楽しみたい。
ぼんぼやーじゅ⛵️
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