お喋りだけど会話が怖い
基本的に話すのが好き。
講演やプレゼンは好きだし、面接や友達との会話では脳みそよりも口がさきに動いてる感覚すらある。
一方で、何をどう話していいかわからず、会話が怖いというシチュエーションや感覚もある。
それ故に、サシで会う誘いをできなかったり、誰か交えて3人で会おうとしてしまったりする。
これはなんなのか。
友達と話をする中で謎が解けたので記録したい。
一旦話が逸れるが、謎が解けるのは大抵、人と会話してる時だと気づいた。
自分の思考に引き篭もりたくなるが、そのプロセスが脆弱すぎることを自覚して、謙虚に外に出向きたいと思う。
だが、自分の考えが周りに先を越されるのは嫌なので(あくまで自分の考えがあった上でぶつけたい)、そのバランスは模索していきたい。
「はなす」の機能
話を戻すと、
話をする目的は複数あるだろうが、今明確にわかっているのは二つ。
その二つの一方の目的においては話せるが、残りにおいては話せないということが起きていている。
そのためにおしゃべりなのに、日常で話すことが怖くなる。
その二つというのは、情報伝達のための話と空気をよくするための話。
私が得意なのは前者で、後者は苦手。
相手が自分の情報伝達を欲していない、かつ私が相手から情報を獲得する機会ではない時、話ができなくなる。
空気を良くするための話はレベルが低いものであればできるが、高度なものはできないし、そもそもやる気もあまりない。
MBTI的な話をすると、他人の感情をあまり気にしない(劣勢機能がFe)で噂のINTPの特徴なのかもしれない。
オタクと呼ばれる人の特徴に、自分の好きなことはめっちゃ話すけど、雑談はできない。ってあって、いわゆるコミュ障と呼ばれる現象だが、これのまろやかバージョンのようなことが自分の身に起きている。
おしゃべりだが、マイルドコミュ障なのである。
二つの「話す」を、別の言葉で定義し直すと、
情報伝達の話しは「お喋り」で、一方向的。
空気を良くする話は「コミュニケーション」で、双方向的。
双方向的なのが苦手だったのか。なるほど。
おしゃべりができてもコミュニケーションができなければコミュ障であるが、
お喋りが苦手でもコミュニケーションが得意であれば、コミュ強である。
前者の前向きな言い方はないだろうか。おしゃべりが上手いひと、おしゃ強。
そうだ、おしゃ強である。
それでいい。
ぼんぼやーじゅ
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