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現代だから軽快に生きる

今日は佐渡で一番大きな花火大会。それが開催される場所は商人の町であり、北前船の町でもある。

北海道に向かう船乗りたちを激励し、盛大に送り出すための祭り。朝から踊ったり歌ったり、様々な神事が行われる。

そんな町のムードとは裏腹に、勝手に秋めいてしまった自分は花火大会まではしっぽりしようとYogiboにすがる。

図書館から借りてた積読本の中から開いたのは、薄めの本。

川端康成は美しい日本語ってイメージがあった。そんな言葉に触れようと思った。

これから関東方面にいくということもあり、舞台が伊豆なのもちょうどよかった。(佐渡からしたら関東も静岡もだいたい同じ)

全体的にこの感じの表現を理解でいるほど豊かな感性を持ち合わせておらず正直よくわからなかった。けど、言葉がなめらかに並んでるのをなぞらえるだけで心地好さを感じるし、時代や人間的背景の距離感がぐんと遠ざかってくれたから、それだけで旅の気分を味わえて満足。

「伊豆の踊り子」
伊豆の踊り子ってこんな短い話だったのか、というのが第一印象。休みだから読むぞ、という意気込みはちっとも必要なかった。

『女はきたない』と繰り返されることに痛ましさを感じつつ、佐渡でもたまに聞くホラーとも思える老人たちの感覚がリンクして、時代なんだよなぁと。

「花のワルツ」

一風変わった友愛の描写がおもしろい。嫌いって言ったり好きって言ったり、そんな自由な感情表現ができる信頼関係ってすてき。

「十六歳の日記」
川端康成の青年期を知れた。

ストーリーとしてのおもしろさはないんだけど、文体や内容が特異すぎておもしろい。

日記は振り返るときに価値を発揮する。このnoteに記録してるのも、たぶんこの作品に影響されてる。(数日前の感情すら思い出せない)

「十七歳」
姉妹愛・家族愛をテーマにした作品はたいてい好き。

この時代、病気が治らなかったり、子どもが幼くして死んだり、今よりもっと死が身近で、そういうのを背負って生きてた人が多かったんだろうな。

現代ってなんだかんだ生きることに軽快さがある。みんなじゃないか。自分の場合は。

背負うと動きは重くなるけど、その分、地に足がついていたり広さを持てたり信頼感があったりする。かっこいいけど、その覚悟はまだできないなんだよな。大人ってすごいな。

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