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居候のすすめ

なくなんとなく佐渡を出たら、
友達に拾われ、東京で居候になった。
8畳ほどの1ルーム。約1ヶ月のできごと。

家主は友達。
だが、コロナ禍にオンラインで出会ったので、直接顔を合わせたことがあるのは5日。
まだ関係性を構築し始めの友達。

1ヶ月、お互いの行動が丸見えの1ルーム生活は、暮らす以上の素晴らしい学びや信頼関係を構築することができた。

遊んだり、呑んだり、人との過ごし方は色々あるけど、「暮らす」って、やっぱり良いなって思った。

どんな暮らし

どんな暮らしをしていたか。

家主は出勤有りワーカーなので、日中は不在。
一方、自分は在宅ワーカーなので自宅警備に勤しんでいた。

家主と共に過ごしていた時間は、おはよう〜いってらっしゃいの朝の時間と、おかえり〜おやすみまでの夜の時間。
平日は1日2〜7時間くらい一緒にいたことになる。
(7時間の日は大抵夜更かししておしゃべりしてる)

土日は全部で4回訪れた。うち2回は各々旅行があり別々の時間をすごしていた。
うち1回は同じコミュニティで顔を合わせた。
最後の1回は一緒に東京旅行をした。

つまり、土日の半分は一緒に過ごしていた。
かなり一緒に過ごす時間の多い1ヶ月だった。

忙しさレベルでいうと、まず仕事面においては、わたしはかなり余裕がある時期だった。
家主も部署異動により多忙さが落ち着いた時期だった模様。

プライベートでは同じオンラインコミュニティの活動期間中だったため、その打ち合わせやイベントが多く、そこそこ多忙だった。

なので全体的に、忙しかった(主に家主)が、心理的には余裕があるという感じだった。

暮らしを支えた2つの条件

居候の分際で居候ができる条件をいうのは大変おこがましいのだけど、
「よくそんなに長く居候できるね」という声が聞こえるので、整理してみる。

自分でも1ヶ月できるとは想定していなかったし。

主な理由は以下の2つ

  1. ひとりの時間

  2. 家主の圧倒的コミュ力

ひとりの時間

家主がいると気疲れするから、ひとりの安心した時間がほしい。というのではない。

単純に、ひとりでできることに集中する時間が一定時間必要ということである。

具体的には本を読む/ウクレレを弾く/好きな音楽を聴く/内省などである。

これらの時間が十分にないと、ひとと一緒にいても「本読みたいなあ」「物思いに耽りたいなあ」っていう欲求を抱え、
その人との時間を純に楽しめなかったりする。

そうなると罪悪感もあるし自分も気がそぞろになりストレスなので、
快適な住み家を探しにふらっと家を出たと思う。

一人でできることは、誰かがいても気にしなければ良いだけのことなのだが、
せっかく家主がいるなら家主といてできることを優先したいという気持ちが働いてしまうのだ。

二人でいるのに一人のことをするのは失礼という気遣いもゼロではないと思うが、
気遣いを必要としないくらい、話したい、一緒に過ごしたいという気持ちだった。

家のドアが開く音が聞こえたら、「帰ってきた!」と内心でとても喜んでいたし、
家主が夜遅く帰る時には、寝る前に「今日はどうだった?」くらい話して寝たかった。
(実際、話さず寝た日はなかった。ありがとう。)

ひとりの時間も家主との時間も楽しく過ごすことができ、
とーっても贅沢な時間だった。

家主の圧倒的コミュ力

もう一つの理由は、家主の圧倒的なコミュ力。

圧倒的な丁寧さがあるのだ。
丁寧な気持ちとそれを反映するだけの技量を持ち合わせている。

居候暮らしを開始するときの会話にも表れている。

居候開始時の会話

家主から「泊まっていいよ」と言われたとき、個人的には、長くても2〜3泊が限度と思っていた。

なので、家主から1週間を提示されたとき、ちょっと後ずさった。

しかし、全力で「家に来てくれると嬉しい!」と伝えてくれたのだ。
来ていいよじゃなくて、「来てくれると嬉しい」だったのだ。

遠慮されることを織り込み済みで、全力で来て!と伝えてくれる。そこに言葉を尽くす丁寧さに感動。

(この時だけじゃなくて、丁寧なのは暮らしている間も後もずっとである。)

ひとりでいる時間がなくても平気か聞いてみたときの返事も、単に「大丈夫だよ」とかではなく、

理由や背景を説明したうえでOKを出してくれた。

丁寧に接する姿勢や精神性があるだけではなく、こちらが遠慮する可能性や不安要素を先回りして悉くつぶしていくスキル(なに力?)も併せてのすごさ。

この丁寧さがなければ、居候もたった数日のものになっていたかもしれない。

どちらも望んでいるにも関わらず、確実ではないから遠慮やマイナスな推測が生じて、結果に結びつかないことはよくあると思うし。

例えば、佐渡に来たけど忙しそうと思って声かけなかったって言われて、言ってくれたら超歓迎したし会いたかったのに!みたいな。

家主のようなコミュニケーションができれば、きっと人と人の間に落ちる希望や願いが減るんだろう。

いうなれば、バレーボールのスーパーレシーバー。

どっちがとる?という一瞬の悩みによって、プレイヤーの間にボールが落ち、失点になる。私の高校では「お見合い」といっていた。

それを防ぐために、声を出しまくって、もしくはめっちゃでかい声を出して、どっちが取りに行くか感じ取り合う。
つまり、声の量や言葉の頻度によって失点を防ぐ。

家主なら、お見合いすることなく、ボールを投げるだろう。声出しの言葉の的確さに加えて、量もすごぶる多いから。

47件のLINEが入っていたときは、何事かとおもった。

これらは全部、家主がいない間に私が知っておくべき家の使い方についてだった。

他にも、仕事長引きそう、今から帰る、電車乗った、駅着いた、買い物行く、etc...逐一教えてくれた。

一緒にごはん食べれるかなあと、そわそわすることもないし、
一人のうちにやっておこうという作業の期限もパシっと決まってそれまでは完全に一人の時間として過ごせたり。

居候の学び

丁寧なやりとり

すでに学びについても触れてしまってるが、
苦手だったテキストコミュニケーションは少しマシになったと思う。

丁寧なコミュニケーションのお手本を受け取り続け、発話量の感覚や語彙の充実度合いが多少自分にも染みて、
何気ないことの報連相を無意識にたくさんできるようになった。

とはいえ丁寧な表現を面倒くさがる自分はまだ存在していて、
ぶっちゃけ、この雑さに慣れてくれ!と思ってる。
言葉足らずだとか、連絡が少ないと言われたら、LINE苦手なんだよねぇという期待値コントロールもやめられない。

マインドチェンジには時間がかかりそうだけど、
自分が大切にしたいことがあったら
そこは濃淡をつけて、
気合をいれれば丁寧な表現ができるくらいにはなってもいいかもしれない。

そうすると、雑な時の露骨さが際立って、失礼になってしまうような気もする。

最低限のレベルをどこに置くか、相対ではなく絶対的に不快に思わない丁寧さがあれば良いということかも。

それでいえば、意見やyes,noに理由をつけることで与える安心感はすさまじいと知ったので、それは最低限、自分に課してもいいかもしれない。

(やればいいのはわかってて、ただ面倒臭いって思っちゃうんだけどね。)

もちろん、積極的な良いではなく、「別に良い」くらいの時もあって、
そんな時は無理に喜んでいることを伝える必要はない。

「積極的な良い」の時でも「別に良いよ」の時と同じ表現をしてしまっているなら、
それは伝わるはずがないから、
「お見合い」が発生しないように、家主くらい全力でやりとりしたい。

ありがとうの期待

積極的な良さを伝えない理由はめんどい以外にもある。他者より優位にいたいという欲求のせいだと思う。

「泊まっていいよ」に含まれるスタンスは、自分があくまで家主という優位性があり、
それを保ちたいという心の動きが含まれている気がする。

じつは、家主はとことんフラットでかつ損得勘定も全然ない。(かなり衝撃的だったのだが、詳細は割愛する。)
だから優位にいたいなんて粍も思わないんだろう。

他の例でも振り返ると、
「貸そうか?」「手伝ってあげようか?」と言うのみ。
たとえそれ自体に積極的な理由(モノが有効活用されたら気分が良いとか、手伝うことで自分も楽しみを得られるとか)まで全然言っていない。
(相手が遠慮してたら言うかもしれないが。)

感謝されたい、優位に立ちたいという欲求があるし、欲求とまではなくても、
「ありがとう」の期待があるからなんじゃないか。

ここも贈与論的態度をとれてるかどうかの違い。ありがとうの期待を持たずにいたい。

少しずつ自分に癖づいている等価交換の概念を溶かしていこうと思う。

あなたはあなた

家主の丁寧さがプレッシャーになることはなかった。

家主との場合は、同じ量・質で答えなければという気も起きないくらいに、
表現力の差が明白だったので、諦めて無理をすることはなかったというこちら側の理由もあるが、

貫かれた自分の淡泊さに何を言われたこともなかった。自分に厳しく、居候にやさしかった。


家主はスケジュールを毎日送ってきてくれて、わたしは決まってないのもあり、
前日に聞かれたら言うくらいの連絡レベル。

がんばる気力が出て、スケジュールを送った時は、変化したことに好リアクションをしてくれたくらいで、良いも悪いもないノージャッジ。

わたしはわたし、あなたはあなたという認識で尊重してくれてたのがとても心地よかった。

暮らすとどうしてもすり合わせが必要なときがあって、そのすり合わせを無意識に相手に強制してしまうことがある。

今回は家主が柔軟に受け入れる態勢が強かったので、こっちが変化を求められることはなかった。実際に対等なルームシェアをした時はどうなるんだろうと、気になった。

暮らすだけじゃない

さいごに、

これまでシェアハウスなど色んな暮らし方を試してて、人と暮らす価値は感じていた。

ただ暮らすんじゃなくて、向き合いながら暮らすとこんなに充実するし学びもあるし、仲も深まるんだって、知った。

暮らし方にこだわってたからか、なんでからわからないけど、二人で過ごす時間を創ろう!って、居候開始時に言ってくれてた。
そういう聡明さ、全力さによって、この暮らしが成り立っていたよ。本当にありがとう。

まだたくさん書きたいことはあるんだけど、ここまでで終わりたい。

ぜひ、居候を。

ぼんぼやーじゅ⛵️

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