見出し画像

休み取ったらふしあわせになった

秋休みをとった

半年弱のプロジェクトが終わったので、次のプロジェクトに入る前にお休みをもらった。

この頃、山で隠居する老人の暮らしを夢想していた。山が特段好きでもないのに、この想像が止められない。

まものコーチングによって、今一番欲しているのは「休み」であることに気づかされた。

そして、特段の目的を持たない、休みを目的として、休みを取ろうと決めた。

プロジェクトの最後三日間くらいはバッファなので、わりとゆるりとしてる。やることがないわけじゃないけど、気持ち的には余裕があるので、お休みと認識することで、より長期のお休みになる。認識上では16連休。

休みを取ったらふしあわせになった

休みをどうすごすか、布団の上でごろごろしながら悩んでみた。

なんとなく島を出た方ることは決まっていた。出たい、どこかに行きたい、というよりは、出た方が良い気がするから。

島の暮らしは心地よいから出なくても十分しあわせなのだけど、月に一度は外に出ていた方がいいって、なんとなく思っていて。

比較することで見える自分と佐渡がある。それがわかってるから、このマイルールは自然と継続されてる。

とはいえ、どこにいこうか、何をするかピンとこない。

仕事が終わってぷつんと何かが切れたのか、朝起きれなくなった。会議もなく、起きる強制力が無くなったから。

とくにやりたいことも見つからず、もんもんとした。

内発的にゼロベースで何やりたいか考えるのって久しぶりだなとも思った。(休みとってよかった。)

もんもんしつつ脳みそに余裕ができたのか、しばしば島で遊んでもらってた友人が、島から去って、その気配のなさに寂しさがぶり返してきた。

親友が転校した翌日みたいな気持ち。

暇だと寂しいんだな。休みって良いことだけじゃないな。でも、寂しいって悪いことなわけじゃないとは思うけど。もんもん。

今やりたいことは思いつかないけど、忙しかった時に思い描いていた理想のイメージは、山にこもって書を読むこと(読書というか、書を読む)。千利休の師匠みたいな(よく知らないけど)。

だからとりあえず本を読みはじめた。図書館で借りてた積読たち。

本を読んでてつまらないことなんてないんだなあって。とりあえず本を読む休みにすることにした。

読書の秋、夏の間に外に向きまくった矢印を少しずつ仕舞う秋。

あかりんも、秋だし気持ちは変わるよね(いなり的要約)って言ってるし、この過渡期のふわふわを味わうことに少し前向きになったし、みんなそうなのかなって安心もした。

せっかくなので、本の感想日記でも書こうかな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?