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エクストリーム日本史(江戸時代完結編)

中田敦彦のYouTube大学を観て、うわ〜めちゃめちゃ面白いなーて満足感に浸るも、思ったほど内容を理解できていない…
かといってもう一度動画を見直す時間もなかなか取れない…(どんどん新しい動画がupされていくから次の動画観たいし‼︎)

そのような思いから動画内容を更に要約し、ピンポイントで動画を見直せるよう項目ごとに再生時間の目安をまとめました😆

今回の動画では、6人の人物に焦点を当てて構成されていました👇

《人物》
①徳川家康
②由井正雪
③新井白石
④徳川吉宗
⑤徳川家斉
⑥徳川慶喜

【各場面の視聴目安時間】
※番号は上記とリンク
○全動画時間→19分24秒
①→0分00秒から
②→6分40秒から 
③→7分40秒から
④→10分35秒から
⑤→11分45秒から
⑥→13分05秒から

《徳川家康の物語》
家康は武士へのコントロール策として監視配置(江戸時代編②参照)に続き、財力削減策を取りました。それは、お金を持つと反乱される可能性があった為です。参勤交代や城の修理代金の徴収など、様々な理由でお金を使わせると同時に武力削減策として一国一城令を敷き、城の修理などを無断でした場合には謀反の恐れありと厳しい武家諸法度を適用し、家ごと潰してしまうとても厳しい処置を取りました。
 農民へのコントロール策は、土地売買の禁止(力を持った農民の出現を抑える)、分割相続の禁止(零細農家を無くす)、五人組(連帯責任制の為、仲間に悪さをさせない監視システム)などの仕組みを取り入れました。そうした厳しい武断政治により武士達の不満は次第に高まっていきました。

《由井正雪の物語》
武断政治により家を潰され主君をなくした武士(浪人)集団が集まり、由井正雪の乱という反乱が起きるも鎮圧されてしまいます。しかし、行き過ぎた政治が反乱に繋がったという反省から、ゆるい文治政治へと流れていきました。

《新井白石の物語》
新井白石は儒学をもとにした政治改革に乗り出しました。儒学は年功序列や仁義など上司や目上の人に逆らわないという前提があり、権力の維持に適用しやすかったからです。また、織田信長の時代に仏教を潰してしまっていた為、儒教の考えが取り入れやすくもなっていました。
 それにより武士達の価値観に変革が起きます。武士は武芸に励めという価値観から忠義のものであれ、「礼儀を重んじなさい」という教えに変わっていきました。その結果、赤穂浪士の事件が起きました。これは、武士達のあいだで「主君の為に家臣は尽くす」という考えが行き過ぎ、主君の仇を取る、敵討ちはOKというものになっていったからです。
 しかし、武断政治による過剰な財力削減策によりジワジワと財政はきつくなっていきました。

《徳川吉宗・徳川家斉の物語》
財政再建と徳川の権威復興を狙い(享保の改革)吉宗・田村意次・松平定信らが頑張るも中々うまくことは進みませんでした。
 そんななか、とどめを刺したのが家斉です。妻40人に55人の子供を持ち、将軍職を退いても権力だけは手放さずやりたい放題に長いこと浪費し続けました。その結果、江戸幕府はボロボロの状態にまで陥ってしまいます。

《徳川慶喜の物語》
ボロボロの幕府を立て直しに来たのが慶喜でした。
 ちょうどその頃、スペインやポルトガルと貿易をしていましたが、そこにオランダが貿易交渉に訪れました。オランダが出した条件は貿易時にキリスト教の布教をしなくても良いというものでした。その頃のスペイン、ポルトガルはキリスト教の布教が条件に入っていました。そこでオランダはキリスト教は国家を乱すという嘘を広め、日本との独占貿易にこぎつけました。しかし、それを崩す黒船ペリーが来航します。(アメリカは産業革命によりクジラの油が大量に必要でした。その捕鯨船の停泊地として日本に開国を迫ったのです)
 そうして大政奉還へと続き、明治時代の幕開けとなりました。

【中田敦彦のYouTube大学】江戸時代完結編!徳川家康のパーフェクトコントロール・徳川幕府の歴史から令和時代にも役立つビジネス術を学ぶ・そして明治時代へ


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