エクストリーム日本史(江戸時代編②)

中田敦彦のYouTube大学を観て、うわ〜めちゃめちゃ面白いなーて満足感に浸るも、思ったほど内容を理解できていない…
かといってもう一度動画を見直す時間もなかなか取れない…(どんどん新しい動画がupされていくから次の動画観たいし‼︎)

そのような思いから動画内容を更に要約し、ピンポイントで動画を見直せるよう項目ごとに再生時間の目安をまとめました😆

今回の動画では、2人の人物に焦点を当てて構成されていました👇

《人物》
①豊臣秀吉
②徳川家康

【各場面の視聴目安時間】
※番号は上記とリンク
○全動画時間→16分50秒
①→0分00秒から
②→5分45秒から

《豊臣秀吉の物語》
賤ヶ岳の戦いで柴田勝家に勝つも、家康をなかなか取り入れることができませんでした。家康に武力では敵わないと悟った秀吉は別の戦略を取ります。
 元々農民出身であった秀吉は将軍にはなれないと言われていましたがウルトラCの作戦に打って出ます。朝廷に近づき、関白に就任されます。そして、関白の名の下にもう日本に争いは必要ないと宣言します。これにはさすがの家康も従わざるおえなくなりました。
 秀吉は自身が武力に自信がなかった為に誰よりも頭を使いのし上がって行きました。そんな秀吉も朝鮮出兵につまづき二度目の出兵中に亡くなってしまい朝鮮出兵は失敗に終わります。

《徳川家康の物語》
徳川家康を一言で表すならパーフェクトコントロール。しっかりと仕組みを作り上手にコントロールしていきました。それが江戸幕府が何百年と続いた秘訣です。
 秀吉の死後、東軍の徳川家康vs西軍の石田三成との「天下分け目の戦い」と言われる関ヶ原の戦いが起こります。最初は西軍が優勢と言われていましたが、家康の将軍に対する援軍要請の手紙が功をそうし形成が逆転します。そしてなかなか家康軍の味方にならない小早川軍に向けてどちらの味方に着くのかはっきりさせる為に大砲を打ち込み牽制し、小早川軍が三成を裏切り最終的には家康軍が勝利します。
 関ヶ原の戦いに勝利し、天下を取った家康が久しぶりに豊臣秀頼に会います。面会すると秀頼の優秀さに気づいた家康は「コイツは生かしておくと、いづれ自分の命が危ない」と感じ、豊臣家にいちゃもんを付け潰しにかかります。その争いが大阪夏の陣(冬の陣)です。
 夏の陣で一度和睦するも、再度家康側から仕掛け、冬の陣が始まります。ここで有名なのが豊臣側に味方した真田幸村です。秀吉への恩を返す。そして、死を覚悟し、弱い側に味方する(ほうがんびいき)というカッコ良さから人気となりました。(真田幸村の死を覚悟して戦う意思を表した六文銭

その真田幸村は徳川家康のいる本陣まであと一歩のところまで追い込むも家康軍に敗れてしまいました。
 邪魔者がいなくなった家康は、幕府の体制を固める為に上手にコントロールする政策を打ち出していきます。それらを武断政治といい、幕府の言う事を聞くように厳しく統制していきます。その一つに武士のコントロールである監視配置制を導入します。後から味方になった者を(外様)幕府から遠いところに配置し、近くに幕府直轄地を置き監視する体制を取りました。
また、お金を持つと反抗する可能性があるため財力削減措置を取ります。→この続きは次回

【中田敦彦のYouTube大学】江戸時代編!豊臣秀吉の天下統一・関ヶ原の戦い・徳川家康のパーフェクトコントロール・大阪夏の陣

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