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洗礼

少し前からアイヌ文化やアイヌ語に興味があり、北海道の地名の由来を調べたりして遊んでいた。例えばSiretok。「シリエトク」または「シレトク」のような発音になるらしい。知床の語原となったアイヌ語である。この地名には色々な訳し方があるが、「最果ての地」という訳に最も旅情を掻き立てられる。

掻き立てられた旅情を持て余し、知床へ行ったのが2017年8月のことだった。

新千歳空港に着陸し札幌、旭川、富良野、美瑛を経て網走に至れば、もう知床半島の付け根である。ここで一泊して翌日は網走を観光し、一日の終わりには半島中腹の北西側にあるウトロという町へ移動する。ウトロ温泉で旅の疲れをいやしつつ、知床制覇の計画をたてる。

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制覇と言ってもこの半島は長大で、往復すれば130㎞もある。またその深い森は強力な肉食動物の住みかとなっており、人間が単身歩きまわるのは危険極まりない。少しずるい気はしたが、船の力を借りて半島の先端を見て戻り、お茶を濁すことにした。

あくる朝、夏の知床の空気はからっと天まで乾いて雲一つない。船の発着場に行くと活気があり、高揚感はいや増す。自動販売機でお茶を買い、10人乗りくらいの船に乗り込む。小さなエンジンを搭載した船は思っていたよりもかなり速く、港を出て北上し始めてからものの一分でかなり景色が変わった。人の営みの感じられる港町の景色は遠く去る。巌巌たる岩壁がそびえ立ち、その上に古い森が鬱蒼と繁る。

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我々はかなり沖を航行していたが、ケイマフリという鳥が船まで歓迎に来てくれた。「赤い足」という意味の名に恥じない真っ赤な足を持つ、かわいらしい海鳥である。幸先がいい。ケイマフリは半島の海岸線に沿って北へ飛んでいく。それに視線をいざなわれて目に入る半島は海の果てまで続くように見える。

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船には客の他に船頭とその父親らしき老人が乗っており、老人があれやこれやと説明してくれる。例えばある丘などは春になると一面桜に覆われると言う。海の群青と空の鮮烈な青に桜色の丘が突きだしている様を想像した私は、あまりの鮮やかさに目がまわる思いがした。そんな老人は海岸沿いでヒグマが出る場所を熟知していて、そういった場所のいくつかへ我々を案内してくれるらしかった。ヒグマと言えば北海道の生態系の頂点に君臨する日本最大の陸棲哺乳動物であり、アイヌ文化でもキムンカムイ「山の神」と崇められる重要な存在である。私は大いに期待を膨らませつつも、同時に自然のものなので簡単には見られないだろうと高をくくっていた。

最初のヒグマ出没地まであと15分ほどと言われたので、しばらく目を凝らすのをやめて雄大な絶景をしばし堪能しようと思っていたところ、老人が「あ!なんだありゃ!」と大声を上げた。みると、何か赤いものが海岸に打ち上げられているように見える。更によくみると、その周りに二つ、茶色い陰がもぞもぞしている。ヒグマの親子であった。老人が指示し、船頭が船を寄せる。近づいてみると、赤いものはエゾシカの死体であった。老人は、滝から落ちたやつがここまで流されたんだろう、という。ヒグマたちは我々が近づくと食事をやめ、のそのそと岩場を登って森へ去っていく。近くで見るとその大きさは圧巻である。子グマが既に大人のシベリアンハスキーほどの大きさなのだが、母グマはその倍以上もある。ヒグマは泳ぎが得意だと言うし、その気になれば私たちが乗っている小船など乗客もろとも八つ裂きにできるのではないかと想像し、身震いする。また、傍らの岩には、これもシカの亡骸を食べに来たと思われる巨大なオジロワシが佇んでいた。巨大といっても生半可ではなく、体高にして1mはあった。羽を広げれば2mはあるのではないか。私はあんなに大きな鳥を見たことがない。アイヌ語でオンネウ「老いた者」と呼ばれる巨鳥は、静かな威厳を湛えて我々を睥睨していた。

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ヒグマたちが去ったので、我々も興奮さめやらぬまま知床半島先端まで船を進めることになった。

二十分ほど北上し、目的地である半島の突端に到着した。出港した時には晴れ渡っていたのだが、その辺りは暗雲が低く立ち籠めていて、禁断の地の感があった。吹き荒ぶ突風で木は生えず、一面が丈の低い草地になっている。その突端は本当に細く、小さく、なだらかで、周囲の大海やそれまでの巨岩、大森林とのコントラストの激しさにまたもや衝撃を受けた。知床とはなんと表情豊かな土地なのだろうか。

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五分程度の滞在ののち、帰路に就く。
素晴らしい光景の数々を思い返し、幸福な名残惜しさを噛み締めながら、最果ての地に別れを告げる。

私は満ち足りた心で残り少ない船旅を楽しんでいた。ケイマフリ、ヒグマ、オジロワシ…港で貰ったパンフレット曰く、「見られたら超ラッキー」な動物を悉く見尽くし、闃寂たる美しさの半島先端を無事に眼中に収め、これ以上望むべきことなど無いように思われた。

ところが、今や見慣れた知床とオホーツク海の絶景をぼんやりと眺めながら三十分ほど南下したあたりで、老人が険しい表情で南の海を見据え始めた。そしてゆっくりと、感嘆するように「おお、なんだありゃ。」と呟いた。

アトゥイコロカムイ「海統べる神」と呼ばれ、当地のアイヌの神話体系において最も尊敬される海神であるシャチの大群が凄まじい速さでこちらへ北上して来ていた。私を含む乗客たちは恐慌をきたした。先ほど見たヒグマよりもさらに数倍大きい、凶悪な面相の海獣が、二十頭ほども小舟に向かって猛進して来ている。高い背びれが海上にまばらに突き出して、ときおりその先の鼻孔から荒々しく潮を吹きながら驀進してくる様は猛々しい。彼らの支配する海の上で、圧倒的に無力な私は現実的に死の恐怖を感じた。逃走すべく船が向きを変えたときには、彼らは既に我々のもとにたどり着いていた。

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しかし意外にも、船のそばまで来た彼らは減速し、水面から大きくジャンプしたり潮を吹いたり、また歌を歌うように声を上げたりと、まるで挨拶でもしているかのようだった。あまりにも距離が近いので潮をかぶった我々があまりのことに呆然としていると、老人が言うには、シャチは賢く遊び好きなので、船を見つけてからかいに来ただけらしい。また、近年知床付近でシャチが姿を見せることはきわめて珍しく、非常に運が良かったとのことであった。シャチは潮を上げ、海面を跳ねながら速度を上げてさらに北の海へと泳いでいく。私たちはそれを見送って、南のウトロの港に帰る。

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港に着き、私を含む十数名の旅行者は、短い船旅を終えた。

「自然の前に人間は無力である。」という文言を目にすることはあっても、現代日本人がそれを実体験を通じて感じる機会は限られているのではないだろうか。アトゥイコロカムイ、オンネウ、キムンカムイ、動物園の檻の中ではない知床の自然との邂逅を経て、私は自然に対する畏敬の念を新たにした。シャチに浴びせられた潮が、洗礼の水のように感じられた。

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